2017/07/20

東海道五十三次歩き(第7回) 府中~藤枝3

(2より続き)

続いて大正のトンネルと宇津ノ谷峠・明治のトンネルとの分岐があり、左へと行く。旧道らしい道で風情がある。
丸子宿でもそうだったが、ここ宇津ノ谷にも各家に屋号が残っていて、おもしろい。いったい何の商売なんだろうと思う屋号もある。
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ちょっと横道に入った慶龍寺には、十団子の句碑がある。
旅人を食べてしまう鬼と対決した地蔵菩薩が、小さな玉に変身した鬼を杖で砕き飲み込み、それ以降鬼の災いがなくなったことから、お団子を数珠のかたちにして十団子を作り魔除けとした、というもの。
それよりも、普通のお地蔵さんの他に、ミニミニなお地蔵さんがたくさんあったことの方がワタクシ的にはツボだった。
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秀吉から送られた羽織があるという御羽織屋は休業日だったのでとばし、石段を上がっていく。
上がって振り返ると宇津ノ谷の集落が見える。
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右に行くのが東海道だが、近いので明治時代のトンネルを見に左に曲がる。
トンネルに入ると、おおっ、ひんやり。なんと涼しいんでしょう!
昼くらいには曇るという予報だったのが、全然曇らず、予報より気温も上がってかなり暑かったので、ホッと一息である。
はるか遠くに出口も見えていたけれど、これ夜通ったら結構怖いだろうなあ。
このまま行けばショートカットにはなるけれど、きちんと東海道を行くべく、元に戻る。

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東海道宇津ノ谷峠越えの看板があるところから山道へと入っていく。
馬頭観音を見て進むと、竹林のいい感じの道だ。
展望台からは宇津ノ谷の集落が見える。

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雁山(俳人山口黒露)の墓(旅に出て音信不通となり、旅先で没したものと思われこの墓碑を建てたが生きていた・・・)を過ぎた先に峠の地蔵堂跡。石垣が残っている。地蔵自体は明治時代に慶龍寺に移されたとのこと。
そうか!あのお寺にたくさん地蔵があったのはそういうことなんですね。納得。
狩野探幽の絵にも描かれているとのことで、それ見てみたいなあ(東海道地取図巻)。

写真を撮っていると、何かが向かってくる!
蚊の大群だ。慌てて蚊除けスプレーをまいたものの、あっという間に刺されてしまった。蚊じゃない何かにも刺された・・・

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そして宇津ノ谷峠を越える(標高151メートル)。
向かって右が飯間山、左が満観峰と、プレートがかけられていた。

道を下っていく。
髭題目碑なるものがあり、髭?なんじゃそれ?と思ったら、髭のようにはねて書く書体で題目が刻まれているということなんですね。そういえば、今までも見たような・・・日蓮宗の盛んな県東部には多く見られるが、中部では非常に珍しいとのこと。

すっかり下ったところに坂下地蔵堂。
鼻取り地蔵があるとのことのことだが、ん?鼻取り?鼻が取れてる?
と思ったら、どうやらお地蔵様が牛や馬の鼻をとって農作業を手伝ったということらしい。

国道1号線をくぐった先に、岡部側の道の駅宇都ノ谷峠。
峠を越えてきてちょっと疲れたのと暑いので休憩することにする。
またまたクーリッシュ(冷やしパイン)を買い、クーラーが効いている中で食べる(飲む)。
と、坂下地蔵堂で出会った東海道歩き(同じ風人社の地図を持っていた)のご夫婦にまた遭遇する。

ゆっくり休んで復活!再び歩き開始。
岡部宿案内板が見えてくる。
いよいよ岡部の宿だ。

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十石坂観音堂に登っていくと、奥にたくさんの石碑が。
観音様なのだろうけれど、削れてあまり判別できない。

枡形跡を通り過ぎ、笠懸松を見にいくことにする。
もっと簡単に登れるかと思いきや、かなり登っていく。
松は立派だけれど、二代目らしい。
西行にまつわる悲しい物語の舞台だ。

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やがて大旅籠柏屋(かしばやと読む)に到着。
建物の内部は有料なので、というわけではないがパスして中庭で休む。
ここでもまた東海道歩きのご夫婦に遭遇した。
ここで、このあとの計画を立てる。
元々、岡部で終了にして、バスで静岡に出ようと考えていたのだが、もしかして藤枝まで歩けるかもと思い始めていた。
まあそんなに無理しなくてもいいけれど、バス通りを結構通るので行けるところまで行こうということに・・・

(続く)

2017/07/19

東海道五十三次歩き(第7回) 府中~藤枝2

(1より続き)

やがて国道1号線に合流したのち、すぐに分岐。東海道は旧道へと入っていく。
地蔵堂の前の公民館のところに万葉歌碑。このあたりはさわたりと呼ばれていたが、丸子1丁目と町名が変わってしまったのを嘆き、建てられた碑だと言う。

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続いて見えてきたの名残の松。
今はそれほど残っていないが、昔は安倍川を渡ってすぐの手越から丸子宿入り口まで松並木が続いており、ちょうどこのあたりはおばけやおいはぎが出没するとウワサされるほど寂しい場所であったということだ。今は見通しはいいですけどね。
この松の下にはお茶を持った男の子のパネルがあるがこれはいったい??

そして丸子宿へと入る。
江戸見附を通り過ぎてすぐに水神社。
そこに流れる川は丸子川である。
神社の境内に大きな木があり、割れ目にでっかいきのこがあってびっくり!

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馬頭観音もあったが、めずらしく馬の顔(耳も!)がよくわかる。欠けてるものが多いので・・・

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問屋場跡、脇本陣跡、本陣跡、七里役所跡(紀州藩御用をつとめる機関)などが続く。
脇本陣跡のところに明治天皇小休所跡の石柱があったと思ったら、ほんのちょっと行った別の脇本陣跡にも小休所跡が・・・こんなにすぐに休み?と思ったら、上り下りで別のところで休まれたってことですね。

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すぐ先に、丁字屋。楽しみにしていたとろろ汁だ。
1596年創業というからなんと400年以上!広重の丸子の絵はまさにここだし。

昼を過ぎて混んでたらやだなあと思って、なるべく早く行こうと、多少脇道のスポットを飛ばしてきたかいあって、11時過ぎには到着。誰もいないんじゃと思って部屋に通されたところ、結構いますね~
結構暑くなってきていたので、クーラーが効いている部屋にホッとする。
どうやら広重さんの部屋というところだったらしく、大広間で80人収用可。ずらっと東海道五十三次の絵が飾られている。丸子なんてまだまだ序の口ですねぇ。これからどれだけかかることやら・・・

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注文したのはとろろ汁+麦めし、みそ汁、香物、薬味の「丸子」と、さらにむかごの揚げ団子、珍味2種(むかごの和え物、しらすのくぎ煮)、甘味もついた「本陣」。
とろろ汁は自然薯に特製味噌、削り節、卵が加えられており、麦めしにかけてザーザーと音を立てて流し込むように食べるとおいしい・・・ということだったけれど、音は立てずにいただきました(笑)
むかごの揚げ団子もとてもおいしく、みそ汁には大好きなたたみいわしが入っていたりして、大満足で、普段より多くご飯を食べてしまった。

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12時前には出発。また歩きはじめる。丸子橋を渡ってすぐのところに高札場。昔の高札を復元している。毒薬やにせ薬の売買の禁止などだが、中にはん?というものもある。

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観音堂を通り、地下道で国道1号線を渡ってちょっといった先にあるのが誓願寺。立派なお寺である。
ここには片桐且元夫妻の墓がある。且元は、大阪冬の陣のきっかけとなった国家安康の鐘事件の申し開きのため、この寺に滞在したそうだ。

再び東海道に戻り、先に進むと、丸子紅茶発祥の地という看板があり、紀樹天満宮には、日本紅茶の礎を気付いた多田元吉の碑があった。
隣の長源寺には耳地蔵なるものがあると書いてあったので、中に入ってみたかったのだが、いろいろと作業中なので入りづらく遠慮することにした。

名残の松を過ぎた先で国道1号線を歩道橋で渡ると、丸玄工芸の金ぴかの観音像が見える。目印になる。
東海道は、時々1号線に入ったりしながら進む。

元々、宇津ノ谷の道の駅で休憩しようと思っていたのだが、手前のコンビニで凍ったカルピスを買って首を冷やしたり、塩分チャージタブレットを食べたりしていたら復活したので、休まずに進む。

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昭和のトンネルと平成のトンネルを見て東海道は右に入る。

(続く)

2017/07/18

東海道五十三次歩き(第7回) 府中~藤枝1

梅雨の時期はお天気がギリギリまでわからず、行けるのかどうか最後まで決められず・・・
今回は雨も降るし暑そうだしでいったん中止としたのだけれど、雨マークが消え、曇りベースで思ったより暑くないに違いないと踏んで、前日午後3時に行くことに決定。
自分の中では、ほぼ中止と思っていたのであまり下調べをしておらず、前日夜慌てて勉強するはめに陥った。それでも勉強不足は否めず・・・

前回と同じ電車に乗り(切符は前日購入)、いつもと同じこだま(6時56分)に乗る。
安倍川餅のお店があいていたら食べようと思っていたので、パン1個で軽く朝食を済ませる。
いつもなら、新幹線の中からちょくちょく富士山が見えるのだが、この日は暑い雲に覆われ、一瞬裾野が見えただけだった。

静岡駅には8時24分に到着、8時半に歩きはじめる。
まずは前回のゴールだった江川南の交差点へと出る。
すでに暑い気配がしていてちょっとイヤな予感・・・

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呉服町も右折し、伊勢丹のところで左折。
ちょうど伊勢丹の前に札之辻跡があった。

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マンホールがカラフルだ。

少し中に入ると銀座跡(銀座は昔駿府にあってその後江戸に移された)や十返舎一九生家跡があるようだったがパス。
いつも、歩き始めは結構脇道にもそれていろいろと行くのだけれど、この日はある使命があったので・・・
しかし、十返舎一九って静岡の生まれだったんですね。やっぱり東海道中膝栗毛読んでみないといけないかなあ。

七間町を通り抜け右折すると急に静かな道となる。
そして津島神社を左折、この通りは新通りである。
新通りからもチラチラ見える本通りが元々の東海道であったところ、家康が府中の街を整備した際、新通りを作った。新通りからは駿府城天守閣と富士山が一直線に見えたらしいのだが、現在ではお城はないし、富士山もビルがあって見えない・・・のかこの日、雲がかかっていて見えなかったのか・・・

わさび漬の有名店田尻屋やたい焼きやさん(さすがにまだ営業時間外)を通りすぎてしばらくいくと安倍川の川会所跡(西見附は標柱がないためいつの間にかとおりすぎていた)。
大井川などとともに架橋が禁じられていた安倍川は川越人夫に川を渡してもらわなければならなかったのだが、この人夫を監督する所が川会所だった。

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隣の弥勒緑地には、安倍川架橋の碑、明治天皇小休所跡の碑、そして由比正雪の墓跡もあった。由比で生家とされる正雪紺屋を見て、そしてお墓の跡である。

正直な川越人夫(財布を拾って持ち主に私、どうしても礼金を受け取らなかった)の顕彰碑である、安倍川の義夫の碑を見て、安倍川餅のお店2軒が見えてきた!

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創業210年の石部屋はガイドブックによれば10時開店とあったので、まだ9時半前、絶対無理だなと思っていた
のだが、なんともう開いていて先客あり!
ということで、入店。
甘いのならあべ川もち、辛いのならからみもちと説明され、やっぱりここは安倍川餅だよねということで注文。

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注文してから作ってくれるので、柔らかい!
元々は安倍川餅はきなこのお餅だったらしいけれど、あんこ5個、きなこ砂糖5個で出てくる。どちらもおいしいですねぇ。
今までおみやげとして売っている安倍川餅しか食べたことなかったけれど、全然違いますね。
開いていてラッキー!
お茶もついて、600円でした。
からみ餅はわさび醤油でいただくらしく、こちらもおいしそうだけれど、さすがにお餅はおなかいっぱいになるので食べられず。残念!

川を渡る前に、首地蔵を見に行く。
首というからまさか首しかないんじゃ?と思っていたが、フツーのお地蔵さん。
なんでも今は弥勒緑地になっている正念寺にあって、処刑場だったのでこの名前だそうである。
その裏には水神社。
大きな川の傍には必ずといっていいほどありますね。

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そして安倍川を渡る。大きな川だ。
振り返ると富士山が見えるはずだった・・・が、あいにくと富士山方面は曇っており(晴れているのに)見えなかった。残念!

山門に武田菱がある高林寺。
ゆっくり見たいところだが、写経会なるものが行われていて、じっくり見る雰囲気ではなく、子育地蔵尊の写真だけ撮って退散。
白い馬が置かれた木馬堂も見たかったが、どこにあるかわからず。

怖いいわれのある地蔵尊を見て(殿様不在の時に奥方が妊娠し、召使いが「奥方を守るため寝ている時も腹に手を当てていただけ」と言ったが、生まれてきたのは手だけだった。殿様はそれを捨てて供養のために地蔵を建てた)、君盃酒造(街道沿いによく酒蔵があるのだが、まだまだ歩くとあっては買うわけにいかず、残念)を通り過ぎてしばらくいくと松が見えてくる。そこそこ大きな松だ。
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(続く)

2017/07/17

国分寺:一休 国分寺店

先週土曜日、仕事後に美術館のはしごをし、あれこれ買い物をして、さてどこで飲んで帰ろうか?
たまたま最後の買い物場所から近かったのと、そういえば同居人のカードは今月で期限切れだから更新しなきゃということで・・・
一休へ。
カウンターしかあいていないということだったけれど、結果的には静かな場所で、最後の方にもう一人お客さんがきただけで快適。ふーん、こんな席もあったのか。

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まずは生ピールで乾杯!そのあともう一杯生ビールを。なにしろ暑くて・・・
お通しはいつものとおり枝豆。おや、でも珍しく一人前ずつのお皿に入っている・・・
モバイル会員だと安くなる、まぐろユッケ。本物のユッケは苦手だけれど、こういうユッケならOK。

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砂肝バター醤油揚げ。
マヨネーズがついていたけれど、下味はしっかりついてる。

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ししとう豚巻き串。
あたりがあるかな~と思ったら3個めが大当たり!からっ。

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あぶりしめ鯖(ハーフ)。
ここのは酢が結構きつめです。問題ないけど。
日本酒に切り替え、ワタクシは麒麟山ピンクボトル、同居人は鶴齢。

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ポテトガーリックバター。
これがなかなかのヒット!7月のおすすめ品。

なんといっても安いのがいいですね。

東京都国分寺市本町2-11-5 矢野ビル 2F

2017/07/16

【吉田博展】

art-32 【吉田博展】 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館

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昨年から楽しみにしていた吉田博展がとうとう東京にやってきました!
ということで初日に見に行ったのですが、やはり損保ジャパンにしては混んでいましたね。
そして、点数が多いので、いつもは使わないスペースも使い、壁も増やしての展示だった。

第一章 不同舎の時代
吉田博は久留米の生まれで、地元の洋画家吉田嘉三郎の養子となり、その後、京都から東京へと出る。そして、小山正太郎の画塾である不同舎に入門している。
幼い頃から画才に恵まれていたようで、デッサン、水彩、こんなことを言ってはなんだか、実にうまい。
「土瓶や茶碗」などの静物画もいいのだが(ちょっと正しすぎるけれど)、やはり風景画。水彩の細かな表現が美しい。
「花のある風景」、素敵なお庭だこと!

第二章 外遊の時代
東京美術学校の西洋画科の教授に黒田清輝らがなり、門下生たちが次々と国費でフランスに留学する中、吉田博は友人の画家中川八郎とともに片道切符とわずかな生活費を持って渡米。デトロイト美術館館長に認められ、展覧会を行った結果、彼らの絵は売れに売れたという。
そのお金を元手にヨーロッパを回った吉田は、のちに義妹ふじ(のちに結婚)と共に再渡米、兄妹展を成功させる。
「街道の風景」をはじめとした、のどかな田舎の風景がアメリカ人に受けたのだろうか。どこかノスタルジックな絵である。
この頃から、朝の風景、夕方の風景、霧や雪など、季節や時間にこだわって描いていたようだ。
「霧の夕陽」、「夕暮」、「田舎の夕暮」など夕方の景色が気にいった。
夏目漱石の『三四郎』に登場する画が「ヴェニスの運河」。もう一枚「ヴェニスの運河」というタイトルの絵があるが、こちらは後年の木版につながるような油彩。前者の方がオーソドックスな絵である。

第三章 画壇の頂へ
帰国後、画壇の頂に登りつめたものの、黒田清輝との確執や、水彩画のブームが去り、時代遅れと見なされることとなったことで、吉田は山へと向かう。元々登山好きだった吉田は次々と山に入ってはスケッチし、作品を作りあげていく。
最近マイブームの富士山を描いた「富岳」も、雪と雲の中の富士山が描かれていて素敵なのだが、「穂高山」がとてもいい。この山には思い入れがあったのか、次男の名前は穂高というらしい。
自宅の居間に飾られていた「槍ヶ岳と東鎌尾根」の連作もいい。居間にこんな絵があったらなんと涼しげなことか!
同じく自宅に飾られたという「バラ」の連作7点がまた素晴らしいのだ。
水彩でもそうだったが、風景のみならず、花の絵も得意だったのだろう。

第四章 木版画という新世界
吉田博といえば木版画・・・のイメージだったのだが、意外にも版画をはじめたのは50歳近くなってから。
関東大震災後、被災した仲間のための資金集めに渡米したものの、あまり売れず、そのとき人気の版画を見て自分ならもっと素晴らしい作品が作れるはず、と取り組みはじめた。
吉田は徹底的にこだわり、自分でも彫ったり、彫りや摺りに厳しい注文をつけ、決して妥協しなかったという。時には80回以上も摺ることがあったとか。
いや~職人さんたち、やりにくかっただろうなあ(笑)
そのかいあって、素晴らしい作品の数々が生み出されたのだろうけれど。
版画でも山が多いのだが、意外と外国の山々もいいですね。モレーン湖やグランドキャニオンはダイナミック、ブライトホルンやマッターホルン(昼と夜がある)も美しい。
日本アルプス十二大題もキレイなのだが、ここまでくるとだいぶグラフィックな感じだ。ポスターにもなっている「剣山の朝」の山々が朝日に耀いている風景は、立山の朝を思い出した。徐々に夜が明ける様子が美しい。
瀬戸内海集の「帆船」は朝から夜まで6バージョン。どのバージョンもいい。
ダイアナ妃が気にいって購入したのは「光る海」ですね。
その他、気にいったのは動物シリーズや「渓流」。水しぶきがすごい。

第五章 新たな画題を求めて
昭和に入って、吉田はインドを旅し、そのまた数年後には韓国と中国を旅してたくさんの絵を残している。
インドの絵ではエキゾチックなものが並ぶ中、「カンチェンジェンガ」の2枚が気にいった。やはり山を描かせると素晴らしい。
「タジマハル」は神秘的。
日本の桜八題は、日本人に好まれそうな?
「東照宮」は80回、「陽明門」は96回の摺りということで、なんと細かい!

第六章 戦中と戦後
日中戦争画が始まり、吉田は従軍画家として中国へ行っている。
実際に乗ったであろう飛行機の絵が迫力。上から爆撃する様子を描いている。
溶鉱炉に惹かれて何度も描いたという軍需工場の絵は炎の熱が伝わってくるようだ。
最後の木版画となったのが「農家」という作品。穏やかな光景で、ここからまた作風が変わるかもしれなかったことを予感させる。

前後期で60点以上が入れ替えになるとのことで、後期も行かねば!
素晴らしいです。是非どうぞ。

2017/07/15

【水墨の風 長谷川等伯と雪舟展】

art-31【水墨の風 長谷川等伯と雪舟展】 出光美術館

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先週土曜日、仕事の後に行った展覧会1。
出光で開催中の水墨画の展覧会である。
等伯と雪舟が中心となるが、それだけでなく幅広い展示だった。

第一章:雪舟を創りあげたもの―「破墨山水図」への道
雪舟は中国の画家、玉潤の影響を大きく受けているという。
玉潤の「山市晴嵐図」は激しい筆使いの木々、薄墨で遠景の山、小さく人も描かれていてなかなかに大胆、斬新。
並んで展示されていた雪舟の「破墨山水図」と比べてみると、確かに影響を感じる。大胆な筆使いで。
伝雪舟の「四季花鳥図屏風」もいいですね。梅の木が力強く目立っているが、遠景がぼかすように描かれているのもポイント。
谷文晁の「風雨渡江図」は激しく降る雨と風の表現がスゴイ。この展覧会のタイトルにぴったりの絵。

第二章:等伯誕生―水墨表現の展開
だいたい花鳥図は好きな分野なのだけど、能阿弥のもいいなあ。日本最古の水墨による花鳥図らしい。
サギ、燕、鳩、鵞鳥?などの中に混じって叭々鳥も。
叭々鳥を描いた画といえば、能阿弥が傾倒していたという牧谿の「叭々鳥図」がかわいい。日本にはいない鳥なのだが、この当時日本でも描くのがはやったらしい。
叭々鳥に変わって描かれるようになったのが鴉で、長谷川等伯「松に鴉・柳に白鷺図屏風」で描かれるのも鴉。日本にいない叭々鳥を描くのは不自然ということで等伯が描くようになったとのこと。
この画は、右隻が松の木に巣を作る鴉(季節は春・・・たんぽぽが描かれているので)、左隻が雪のつもる柳と白鷺(季節は冬)で、黒と白との対比も素晴らしい。
等伯「四季柳図屏風」はパッと見、金なので派手かと思いきや、柳が風でそよそよと動く様が繊細に描かれた画だった。

第三章:室町水墨の広がり
呂景玄の「栗鼠図」。竹に2匹のリスがぐるぐる巻きになっている・・・のだけれど、遠くから見たら蛇かと・・・毛の感じはリアル。
伝 一之の「観音・梅図」は真ん中に観音、左右に梅。左は下に垂れさがる梅、右は下から上へ勢いよく伸びる梅で対比がおもしろい。
伝 楊補之「梅図」もまあ似た感じだが、どっちがいいかなあ。迷う。

第四章:近世水墨―狩野派、そして文人画へ
岩佐又兵衛「瀟湘八景図巻」が出ていた。 こういう画(風景画)も描いたんですね。優美な感じ。
同じテーマでは、池大雅の「瀟湘八景図」の方が好みだけれど。
浦上玉堂の「奇峯連聳図」は斬新ですねぇ。抽象画の域に入っている。
岸駒・呉春「群仙図屏風」は楽しい。よくよく見ると、呉春の作風の方がおとなしめな感じ。

水墨画の世界にどっぷり浸れる展覧会です。
明後日で終わりですが是非どうぞ。

2017/07/14

新宿御苑:百の輔

先週土曜日。
仕事を終えて、さてどこで昼食?
と考えて、3月にオープンしたつけ麺のお店があることを思い出した。
つけ麺好きとしては行かざるを得ないですねぇ。

お店の前で看板をじーっと見ていると、お店の人が出てきて、スープは4種類あるけれど、2種類お値段同じで選べるハーフ&ハーフもありますよと教えてくれた。
いろいろな味が楽しめるのはいいね、ということでハーフ&ハーフにすることに。
麺は並150グラム、中200グラム、大300グラム、1キロまで無料で増量できるらしい。1キロってどんな量なんだ?
当然、ワタクシは並、同居人は中でオーダー。

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こちらはワタクシの魚介豚骨スープとビネガースープ。
チャーシュー大きいなあ。なんでも醤油麹チャーシューらしい。
麺はかなり太くてモチモチ。
まずは、定番魚介豚骨から。フツーにおいしいです。
そして、ビネガースープは、結構ビネガー!そして、結構ピリ辛。おもしろいなあ。こういうスープははじめて。すっぱ辛いスープで見た目はイタリアンかと思うとエスニック。

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こちらは同居人の、濃厚魚介豚骨スープとエビとイカ墨濃厚スープ。
ちょっと味見させてもらったが、濃厚魚介豚骨は濃厚と銘打つだけあって、確かに濃いかんじ。見た目もちょっとどろとっとしている。
そして、エビとイカ墨濃厚スープは見た目黒くてちょっとびっくりなのだけど・・・
イカ墨だ!エビよりイカ墨の方が主張している。これまた濃厚でおいしい。
4種類食べた中で、これが一番好みかも~

ハーフ&ハーフで食べられるのは楽しいですね。

最後にスープ割り(昆布、椎茸、さば、かつお使用の和風スープ)をいただいて終了。

ごちそうさまでした!

新宿区新宿1‐2‐5ファインズビル新宿1F

2017/07/13

東海道五十三次歩き(第6回) 江尻~府中4

(3より続き)

だいぶ疲れてきたこともあって、予定通り、MARK ISで休憩することにする。
ここはちょっとした思い出?の場所。
2014年2月にいちご狩りに行った際、最後の最後に寄ったところ。翌日雪の予報で、同居人が雪靴をこの中のABCマートで買ったのである(笑)。
その頃はまだ全部はお店が入っていなかった気もする・・・
上の方の階のフードコートで一休み。なぜか、クレープやさんにいろいろな種類のタピオカドリンクを売っていたので、ワタクシはピーチオレンジ、母親はマンゴーオレンジのを飲む。いやー冷たくておいしい!だいぶへばっていたのが、一気に蘇った感じ。
外を眺めると山がいくつか見えたので、もしや富士山も?と思ったら方角的に難しかったのだった。

再び歩き始める。
柚木駅の手前で新幹線と東海道線をくぐり、旧道を行く。
ちょっと脇にそれて寄り道。
法蔵寺の隣に軍神社。入るとなぜか豊田交通観音が。
日本武尊が戦勝祈願をしてという伝説のある神社で、砲弾型の忠魂碑があったりするが、なんといっても印象に残るのはクスノキ。神社中、立派なクスノキが植えられているのである。
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曲金観音堂から右手に入り、再び線路をくぐる。

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国道1号線とちょうどまじわるあたりに府中宿東見附の説明版が。
いよいよ府中宿だ。
この宿は最大規模の宿場で西見附までは3.6キロ。旅籠は43軒もあったという。
城下町でもあり、江戸八百八町に対して、駿府九十六町。町名一つどとに標柱があり、バシバシ撮っていたのだが、ありすぎて途中でどうでも良くなってしまった(笑)。

だんだんと街も賑やかになってきた。
つつじ通りを渡ったところに久能山道標。
久能道は久能海岸の塩や海産物を駿府に運ぶ道であったという。そして、家康が祀られた久能山東照宮にお参りする大名たちが歩いた道でもあったようだ。

この道標の向かいの道を入っていった先に華陽院がある。
家康の祖母源応尼、家康の娘市姫、側室のお久の方などの墓があるとのことで、ちょっと探してみたが見つからず。というか、時間もおしてきていてそう真剣には探さなかったのである。
家康お手植えの松があるというのでそれだけでもと思ったのだが、見つかったのはお手植えのみかん。そのとなりにあった松がそうだったんだろうか?
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貫目改所跡(先日、品川宿でも見た。西の方には草津にあるとのこと)を通り、西郷・山岡会見之史跡碑を見る。江戸無血開城が話し合われた地(松崎源兵衛宅)である。

今回の東海道歩きはここでやめることとし、最後に駿府城跡の駿府公園に寄って帰ることにした。

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時間は5時半をだいぶ過ぎており、まだ開いているか心配だったが、結構遅くまであいてるんですね。
東御門から入ってみると、いや~広い。くまなく歩くのはもう無理だったので、とりあえず家康公お手植えみかん(ここにも!笑)をめざすことにした。

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本丸堀などを見学しつつ、ようやく家康公像に到着。そして、その隣にお手植えみかん!静岡のみかんは家康によって広められたのか・・・
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というところで引き返し、静岡駅へと向かう。
6時20分発のこだまに乗る。三島から乗るよりは席の確保が楽だ。

はじめは、3席並びの方に座っていたのだが、2席の窓側に座っている人がしきりとスマホで撮影している・・・
と思ったら、なんと富士山が見えているではありませんか。
慌ててデッキに出て写真を撮る。午前中も見えていたらなあ。残念。
しかしあっという間に富士山はまた雲の中に隠れてしまい、三島で2席の方に移ったものの、もう見えることはなかった。
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9時前に最寄り駅に到着。
定番化している庄やにて乾杯。途中から同居人も合流し、炙り穴子、漬け物、のり塩れんこんチップ、明太北あかりチヂミ+生ビール2杯。

ちょうど飲んでいる間に雨が激しく降っていたらしいのだが、少し収まったところで帰宅。
歩数、約43000歩。今回もよく歩きました!

いよいよ次は丸子(のとろろ飯)です。

(完)

2017/07/12

東海道五十三次歩き(第6回) 江尻~府中3

(2より続き)

追分の踏切で東海道を越え、緩やかな坂を上がっていくと、久能寺観音道の道標が。
久能寺は元々久能山にあった寺だが、武田氏が城を築くために移転したものの、明治時代に廃寺に。山岡鉄舟が惜しんで再興、鉄舟寺に改称したとのことで、ちょっと行ってみたい気持ちはあったのだが、東海道からはちと遠い。時間的余裕もなく、暑いしでカット。

そしてイオン(以前はここに遊園地があったとのこと)で待望の休憩タイム。
昼食を食べ終わって2時間弱がたっていた。
イオンの中で少々涼み、カルピスクーリッシュを食べて(飲んで)体の中から冷やす。
英気を養ったところで出発。

家康が武田勝頼を攻める前に穴山梅雪と会見した場所という上原延命子安地蔵(明治24年に焼失し、昭和に入って立て替えられている)、十七夜宮のお堂と千手寺はいずれも入り口から写真を撮っただけで通り過ぎ、緩やかに登ったところで振り返ると富士山が・・・見えるはずだったがやはり無理。

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この先で国道1号線と合流する。
そして、草薙一里塚の標柱が。43番目の一里塚である。

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草薙川を柳橋で渡った先に大鳥居。
確かに大きな鳥居で、通りの向かい側からでないと写真に収まりきれない。
残念ながら、ここから草薙神社まで1.2キロとのことで、時間的に余裕がないので行くのは断念。

すぐに右折して旧道に入る。
この道は植木やさんだらけ。なんでこのあたりに集中してるんでしょう???

しずてつの県立美術館前駅から続く大きな通りを横切る。
いつもこの美術館には車で来ているが、歩きだと結構坂がきついかも?
やぶきた原樹がこのあたりにあるとのこと。やぶきたブレンドのあれだ!

その先は閻魔坂。傾斜が急で馬から落ちてけがをする人が多く(馬に乗ったまま通り過ぎるのは閻魔大王に対し礼を失したたたりとか)、東海道の難所と言われたそうだが、現在通って見ると、それほど急ではなく、緩やかな坂といったところである。

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おや?おもしろい像が?
と思ったら、東名寺の葦葉達磨大師像だった。立ち姿の達磨さんである。

吉田川を東橋で渡り、東名高速をくぐる。
草薙総合運動場にぶちあたって、道は右折。その先で、東海道はJRの線路で分断されている。ここに旧東海道祈念碑が建っている。
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手前の地下道で線路をくぐるが、この地下道狭い上に天井が低く、車が来るとちょっと怖い(通った時は1台しかこなかったけれど)。
操車場沿いをちょっと歩くと、右に東海道は続いている。
清水のあたりのマンホールはサッカーの模様だったが、葵区に入ると、たちあおいなのであった。
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そして再び国道1号線に合流。
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合流地点には駿河三大名物の1つという(あと2つは何?)兎餅跡地があった。
今は別のお店が作っているらしいのだけど、きっとワタクシ好みのお菓子なんじゃないかなあ。食べられないのが残念だ。

すぐにまた静かな道へと入る。
やはりこういう道の方がほっとする。

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久應院というお寺があったが、山門もお寺自体もピカピカ。
しずてつの長沼駅を通った先にはバンダイの工場が見える。
バンダイといえばガンダム。ガンダムファンとしてはなんかうれしくなる。

(続く)

2017/07/11

東海道五十三次歩き(第6回) 江尻~府中2

(1より続き)

もうすぐ11時半。ちょっと早めではあるが、ここを出ると昼食場所を見つけるのは難しそうなので、駅近くで昼食にすることにする。
アーケードの途中にあるおにぎり屋さんのイートインにて。アーケードは七夕祭りの準備中。ここのイートインも翌日からその準備のため利用できなくなるところだった。ぎりぎりセーフ!

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おでんコーナーから自分でおでんを入れ物にいれ、青のり、だし粉をかけ(味噌はパス)、おにぎりを選んでいただきまーす!しぞーかおでんとおにぎりの昼食。
おでんは、大根、卵、なると、牛すじ、黒はんぺん、じゃがいも。
おにぎりは、ワタクシがたぬき、しらす、母親が梅じゃこと鳥飯。
おでんももちろんおいしいけれど(じゃがいもがgood)、おにぎりもおいしいし、リーズナブル。たぬきおにぎりが意外なおいしさで今度家でやってみよう!

さて、いよいよ東海道歩き再開。前回のゴールからスタートである。
まず現れたのは、江浄寺。
信長が家康を試して自害させた信康の墓があるお寺であるが、なぜか入り口が閉まっていて入れない。

少し進んだ角あたりが脇本陣跡で、鉤型に右折。ここからが江尻宿の中心だが、今は静かな商店街。
途中左に曲がって橋を渡るのだが、ちょっと寄り道。
直進すると魚町稲荷神社がある。
武田信玄の過信でのちに家康に仕えることになった穴山梅雪が造った神社だら、なんといっても石で造られたサッカーボールが目立つ。
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日本少年サッカー発祥の碑だそうで、サッカー神社と言われているらしい。
お隣の小学校が江尻城跡だ。

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元の道に戻り、巴川を稚児橋で渡る。四隅にはかっぱの像があり、そのうちの一つはきゅうりを持ってる!かっぱはキュウリがすきですもんね。
川の渡り初めに、河童が渡ってさっていったという伝説があるらしい。

橋を渡って、右側に船高札の説明版が、左側の料亭の前にかっぱの腰かけ石がある。
久能道との分岐を右に行くのが東海道。

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すぐ先に法岸寺があり、ここには浄瑠璃「朝顔日記」深雪のモデルと言われた人の墓がある。

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向かい側の東明院の山門は立派。
江尻城が廃城になる際、家康から裏門を下賜されたものだが、火事で焼け、1831年に再建されたもの。
そのすぐ先の慈雲寺は芋和尚で有名とのこと。白隠に学んだ長泉和尚が、やせ地で困窮していた三保の農民に甘藷の栽培を広めたことからその呼び名がついたらしい。

ここで江尻宿を出る。
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有名な羊羹のお店、追分羊羹のすぐ手前に「是より志三づ道」と書かれた道標があり、清水港へと至る道が分岐している。
一口羊羹でも買って帰りたいところだったが、この日は結構暑くずっと持って歩くのはなんなので諦めた。

1時を過ぎてかなり暑くなってきており、延寿院で少々休憩しつつ、Tシャツ1枚になる。休憩ポイントまであと少し!

清水といえば、ちびまるこちゃんにサッカーにそして清水の次郎長。
ここに、森の石松を殺害した都田吉兵衛を次郎長一家が仇討ちした供養塔があった。あいにくと、次郎長についてはあまりよく知らないのだけど・・・

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金谷橋を渡ってすぐのところに姥ヶ池と弁財天が。
昔々、ひどい咳が止まらない子の姥が子供の代わりに池に入水し、これによって病気が治った・・・その後子供の親である長者が社を建て、ひどい咳に苦しむ子供がお祈りするとたちまち治ると言い伝えられているところ、だそうである(ただし、東海道名所図会には別の説が書いてあるとのこと)。
(続く)

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