2022/09/28

日本美術をひも解く展】

art-21【日本美術をひも解く展】 東京藝術大学大学美術館

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藝大美術館で開催されていた【日本美術をひも解く展】に行って参りました。
この展覧会は、皇室に伝えられた品々を収蔵する宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の名品に藝大のコレクションを加えたもの。
三の丸尚蔵館は今まで一回しか行ったことがなく、このコレクションを見られるのはワタクシ的には貴重な機会。これは行かねばと思っていたのだけど、いろいろあって、結局閉幕間際の訪問となった。

序章 美の玉手箱を開けましょう
まずは「菊蒔絵螺鈿棚」がお出迎え。
会場内はかなり暗いのだが、だからこそ、螺鈿が浮かびあがって見えてくる。
法隆寺関係では模型がなかなかよいが(模型好き)、拓本もなかなか貴重である。

1章 文字からはじまる日本の美
正直なところ、書はまったくわからないので、感想は書けない・・・
おお、これはきれいな字だなとか、個性的だなという感想のみである。

2章 人と物語の共演
俵屋宗達「扇面散屏風」。きらびやか。平時物語が描かれているらしい。
高階隆兼「春日権現験記絵」、「蒙古襲来絵詞」は国宝。両方とも細かく描かれてますね。
個人的には気に入った絵巻は
「酒伝童子絵巻」。ちょっとユーモラス。
尾形光琳筆「西行物語絵巻」。物語がすーっと入ってくる感じ。
岩佐又兵衛「をくり(小栗判官絵巻)」。ビビッド。結構強烈だ。
「太平楽置物」。これが彫金とは驚き。
石川光明「古代鷹狩置物」。細かく表現されてるなあ。

3章 生き物わくわく
後期展示のハイライト伊藤若冲「動植綵絵」。
今回は、30幅のうちの10幅がきている。2016年の若冲展で30幅すべてを見ているのだが、圧倒されたというか・・・ちょっとおなかがいっぱいになってしまった。緻密な描写はすごいのだけれど、色彩が鮮やかすぎるというか・・・10幅でもなかなかだ。
若冲といえば鶏だけれど、一番好きなのは「池辺群虫図」。いったい何種類の生物が描かれているのか(60種類以上らしい)。ずっと見ていても飽きない。
そして、高橋由一「鮭」。うーん、やっぱりいいなあ。
谷文晁「虎図」。かわいい虎。
星野蝉水「月に亀図」。ちょっと浦島太郎を連想するのだが、なんかいいなあこれ。
西村五雲「秋茄子」。これいいなあ。かわいらしい狐たち。
高村光雲「鹿置物」。雄鹿のりりしさと雌鹿のやさしさがいい対比。
安藤綠山「柿置物」。びっくりのリアルさ。
沼田一雅「牛と童」。ほのぼの。

4章 風景に心を寄せる
横山大観「飛泉」。遠くから見ると一瞬写真のようにも見えた。墨で描かれたモノクロームの絵なのだが、くっきり描かれていて迫力がある。
五姓田義松「ナイアガラ景図」。西洋画なのだけど、日本画のようでもある。
高橋由一「栗子山隧道」。この絵は初めて見たかも。崩落により今は使われていない米沢と福島の境にあるトンネルの完成図。重厚な絵。
濤川惣助「七宝寰宇無双図額」。無線の七宝。なんかぼやーっとした感じ。
ラストは並河靖之「七宝四季花鳥図花瓶」。なんと細かく美しいのだろう。ため息が出る美しさ。

よい展覧会でした。
(すでに終了しています。)

2022/09/27

日光街道歩き(第10回) 石橋宿~雀宮宿~宇都宮宿~上戸祭4

(3より続き)

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街道に戻る途中のカトリック松ヶ峰教会。
昭和7年竣工のロマネスク様式の教会で、大谷石建築としては宇都宮最大級なのだそうだ。上智大学を手がけた建築家ヒンデルによるもの。

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街道に戻り、材木町木戸跡を通り過ぎ、突き当たったところを右折、本陣跡の案内板のところから直進するのが奥州街道、左折して清住町通りを行くのが日光街道。追分である。
日光街道を歩き終えたら奥羽街道も歩こう!

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宝勝寺は宇都宮七代城主宇都宮景綱の創建。日限地蔵尊があるとのことだったが見つけられず。

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歩道がなく、車がかなり通る道をそろりそろりと進み、琴平神社へ。
金比羅山の分霊を祀っている。

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境内に清住不動尊。

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この日はたくさん不動明王を見た。

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拝殿。

お隣の桂林寺へ。宇都宮家第12代当主宇都宮満綱によって建立されたお寺。
戊辰戦争(宇都宮城の戦い)の際、官軍の官舎となっていたが、旧幕府軍の会津藩が来襲し、当寺に放火して全てを焼き払ってしまった。その後再建。

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高麗門。

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山門。

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十九夜塔、子供を抱いたマリア観音。

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地蔵菩薩、釈迦如来、如意輪観音。

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八角観音堂。

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本堂内陣。

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蒲生君平の墓もあった。

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このあと枡形があり、先を進むと勝善神碑があった。
勝善神は、神道系の牛馬の守護神で、仏教系の馬頭観音に相当するものだそうだ。
そろそろ時間が気になってくる。バスは遅れることがあるので、少し早めに切り上げなければならないが、行けるとこまで行こう。

松原三丁目交差点で、国道119号線に合流、広い道(歩道も広いので歩きやすいのは歩きやすい)をひたすら進む。

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上戸祭の信号を過ぎた先の薬師堂。

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お堂の中の薬師如来と、いろいろな仏像。

というところでそろそろ時間切れ。
上戸祭小入口のバス停でこの日の街道歩きを終了する。
4時47分のバス(3分ほど遅れてきた)に乗り、5時20分前に宇都宮駅到着。

改札入ってからおみやげを買い、新幹線を待つ。

5時59分発のやまびこに乗り、大宮、武蔵浦和、西国分寺と乗り換え、地元到着は7時15分。

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北海道にてカンパーイ。
ホタテのチーズ焼き、蟹味噌の甲羅焼き、ラーメンサラダ(ハーフ)。
お酒は瓶ビールと白ワイン2杯。
帰宅は9時近くだった。

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この日のおみやげは、レモンドーナツ、柿の種餃子風味、日本酒黄ぶな。

44800歩。まずまず歩きました。

日光街道もあと3回で到達できるかどうか・・・

(完)

2022/09/26

日光街道歩き(第10回) 石橋宿~雀宮宿~宇都宮宿~上戸祭3

(2より続き)

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続いては熱木山不動尊。

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初代下野の国司宇都宮宗円が奥州征伐の際、城山村多気山頂に陣を張ったときに、戦勝を祈願して造った三体の不動尊のうちの一体が祀られている。
炎が赤くて迫力がある。

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一向寺山門。

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本堂。
宇都宮景綱による開基で、第12代当主であった宇都宮満綱によって、応永12年(1405)に建立された銅造阿弥陀如来坐像が安置されている。この像は、世の中に異変が起こると汗をかくと云われ、別名 「汗かき阿弥陀」 と呼ばれているそうだ。残念ながら日曜日のみ拝観できる。

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報恩寺。宇都宮藩主奥平家昌の正室仙遊院(本多忠勝の娘)により開山された。

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山門は茅葺きである。

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戊辰薩藩戦死者墓。

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戦死烈士之墓。

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本堂。

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吾唯足知と文字が刻まれた蹲。龍安寺みたい!

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変わったお地蔵様?

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お寺のまわりは瓦をのせた黒板塀で囲まれていた。

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光琳寺。久々の飛び出しぼうやもあり!

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鳥居の向こうには、戊辰の役の官軍の墓がある。

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「討つ人も討たるる人ももろともに同じ御国の為を思えば」という歌碑があったが、官軍の墓も旧幕府軍の墓もある。

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本堂内陣。きらびやかだ。

さて、ちょっと寄り道、宇都宮城址公園に行ってみる。

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その手前で、なんだか石橋駅とデジャブな時計が見えてきた。宇都宮市役所内である。
どうやら一輪車に乗った子供たちが行進して動物たちが踊るからくり時計のようだが、東日本大震災の際に故障して今は動いていないようだ(不確かな情報)。ただ、下を通ると音楽は流れる。

宇都宮城址公園に到着。

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晴明台櫓。

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富士見櫓。

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桃太郎の山車と・・・

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火焔太鼓の山車が展示されていた。

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ものしり館の中では、模型が展示されている。

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宇都宮の城下町は広かったんですね。


(4へ続く)

2022/09/25

日光街道歩き(第10回) 石橋宿~雀宮宿~宇都宮宿~上戸祭2

(1より続き)

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寿鶴薬師堂。

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中には薬師如来を中心に、如意輪観音や地蔵菩薩など。

この先で昼食を。11時半。

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丸亀製麺にて、とろ玉うどんの温かいの。
ぱぱっと食事を済ませられるのがよろしい。
30分ほどで出発する。

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菅原神社。

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集会所の方が目立っているけれど、奥にちゃんと神社があるのだ。
もちろん?菅原道真を祀った神社だ。

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安政6年(1859)の石灯籠。

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一里という信号やら、バス停やら、踏切があるこのあたりに一里塚(江曽島の一里塚。西は桧、東は松)があったそうだが、東北本線が通ることになって壊されてしまっている。

しばらく行くと大きなケヤキがあるとのことだったが・・・

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うーん、どうやら枯れてしまったのかな?葉が全然ついていない。

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根元には石祠と鳥居があった。

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宇都宮市のマンホールは市の木いちょう。正直あまりおもしろくないけれど、餃子通りには餃子のデザインのがあるらしい!

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JR日光線を眼鏡橋で越えた。
このあたり、自動車関連のお店や工場が連なっている。

そして、不動前の信号のところで日光街道は左に入っていく。

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不動堂がある。

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お堂の中の不動明王。

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お堂の横には御大典記念道標があり、「左裁判所前に至る」、「正面東京に至る」、「右奥州街道及び日光街道」と刻まれている。
江戸時代の初め頃、宇都宮城主本多正純が日光街道と奥州街道をつけかえ、そのとき、旧奥州街道と奥州街道の分かれ目にあったのが、不動明王を祀った不動堂であったとのことだ。

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道沿いにはお花がいろいろ植えられていて、蒲生君平花街道と書かれていた。

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東武宇都宮線のガードをくぐると宇都宮宿であるが、明治2年建立の蒲生君平勅旌碑なるものもあった。
蒲生君平は、高山彦九郎、林子平とともに 「寛政の三奇人」 といわれた人で、一番知られているのは前方後円墳の名付け親であるということかも?

宇都宮宿は、宇都宮城の城下町として日光街道でもっとも栄えた。地名の由来に関しては、奥州攻めの源氏が戦勝を祈願した討つの宮とか、二荒山神社の別名宇都宮大名明神からきているといった説があるようだ。
本陣2、脇本陣2、旅籠42。

ここからお寺めぐりをする。

まずは台陽寺。

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供養塔の上にお釈迦様。

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子安地蔵尊。

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宇都宮城主戸田氏の守り地蔵尊だったという。

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山門。

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境内に入ると六地蔵がマスクをしていた。

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本堂。

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内陣。
このあとめぐることになるお寺の多くで内陣を見ることができたのは、どうやらお彼岸だったからではないかと思う。

(3へ続く)

2022/09/24

日光街道歩き(第10回) 石橋宿~雀宮宿~宇都宮宿~上戸祭1

今年1月以来の日光街道歩きである。
中山道は碓氷峠越えをのぞいて、風人社さんのマップが出ているところまで歩いたので、次のマップが出るまでお休み。ならば、日光街道を進めよう!ということである。

5時に家を出て、西国分寺、南浦和、浦和で乗り換え、石橋駅まで。
大宮での車内トラブル?だかで電車が10分以上遅れ、歩きはじめは8時半。

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またまたグリムのからくり時計を見てのスタート。
このからくり時計は午前8時、正午、5時に動くらしい。見てみたかったな~

駅を出て直進、街道に出る。

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稲が収穫間近のようだ。

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すっかり風化した石仏石塔群があると聞いていたのだが・・・
古いのは如意輪観音のみで、十九夜塔と馬頭観音は新しくなっていた。

石橋宿は下野市で、次は宇都宮市に入るのだとばっかり思っていたのだけれど、上三川町に少し入る箇所があるのだった。

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鞘地蔵尊に到着。
小山義政が領地争いで宇都宮基綱を滅ぼした。その際、村人たちが戦死者の鞘を拾い集めて埋めたところに御堂を建てたことから、鞘堂という地名になったのだという。

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お堂の中の地蔵と観音菩薩。

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地蔵堂の中には小さなお地蔵様。

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お堂のまわりにぐるりと干支の扁額が飾られていた。

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よくよく見ると、三猿には「見よう 聞こう 話そう」と書かれている。

 

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その先に星宮神社。前回からこの名の神社をいくつも見てきた。
ここは鞘堂新田村の鎮守である。

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石祠が並んでいる。

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ほどなく再び下野市に入り、北関東自動車道をくぐる。
そして宇都宮市に入る。

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自衛隊の車をいやに見るなあと思ったら、自衛隊宇都宮駐屯地があるのだった。

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正徳5年(1715)開基の正光寺。

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如意輪観音と庚申塔。

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なんかかわいいほとけの子。

雀宮宿に入ってきた。日光街道の整備に伴い、雀宮村ができ宿場となった。
本陣1、脇本陣1、旅籠38。

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本陣は駐車場に跡の石柱が残るのみ。

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向かいにあるのが、ガイドブックによれば脇本陣・・・と思いきや、説明には仮本陣芦谷家とあった。脇本陣とは違うのだろうか。
芦谷家は名主で問屋を兼ねていた。明治天皇の休息場所ともなった。
門が残っている。

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少し進むと馬頭観音(安政5年(1858))があった。

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横には馬力神や生駒神があった。
馬力神は栃木県や宮城県で見られるそうで、多くは愛馬の供養のために建立されたもの。生駒神も同じようなものだろうか。

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長徳3年(997)創建の雀宮村の鎮守、雀宮神社。
東山天皇より金文字で書かれた勅額が下賜され、この額が社頭にあったため将軍家を始め諸大名は、下乗して参拝したと云われているそうだ。

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ついに!東京から100キロの地点にきた。
3分の2は過ぎたかな?

(2へ続く)

2022/09/23

キリン スプリングバレー シルクエール <白>

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昨年発売になったスプリングバレー豊潤の派生品。

注いでみると、かなり薄めの色。ただし、若干の濁りあり。
飲んでみると、ホワイトビールなんだけれども、ヴァイツェンのような柑橘っぽさはほとんどなし。わりと、あっさりな印象だけれど、意外と苦みはあったり。
まあでもやさしいビールですね。

2022/09/22

中山道六十九次歩き(第26回) 横川駅~松井田宿~安中宿~安中駅5

(4より続き)

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見学を終えて、安政遠足碑を見に行く。
安中城本丸跡の前にある。

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日本マラソン発祥の地碑。

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安政遠足覗き石なるものもあった。

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この穴から見える先はゴール地点の碓氷峠(熊野神社)だという。曇っていてわからないけど。

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安中教会。国登録有形文化財。
見学は事前予約制とのこと。

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通りの向こうには旧碓氷郡役所。原市の杉並木の杉を10本伐採して建てたという。時間がだいぶ押してきたので、中に入らず進む。

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大泉寺。井伊直政正室、直好生母の墓があるという。
門前には文化10年(1813)の庚申塔がある。やはり大きな石造物(文字の大きさも含め)が多い。

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一石六地蔵。

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石灯籠。まるで溶岩?

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本堂。

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鐘楼。彫刻が施されている。

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さて、街道に戻って進むと郵便局の敷地内に本陣跡の碑があった。

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安中宿を出ると、右斜め前の斜面に東邦亜鉛の工場が見えてきた。
工場マニアの人が喜びそうだ。

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久芳橋で碓氷川を渡る。

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最初は徒歩渡しだったが、冬は川が冷たく、人足が病気になるほどだったので冬場は土橋が架けられるようになった。

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まもなく安中駅に到着。この日の街道歩きは終了。
4時50分発の電車に乗り、高崎駅で乗り換え、5時43分発のときに乗り、大宮で乗り換え、地元駅には7時15分着。

地元にて反省会を。

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にしんの刺身、野菜スティック、ハタハタの干物、牛タン入りつくね。お酒は瓶ビールと澤乃井。

帰宅は9時頃だった。

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今日のおみやげ(大量!)

約43400歩。
来月にはいよいよ最後の難関、碓氷峠を越えようと思います。

(完)

マップはこちらを使っています

 

2022/09/21

中山道六十九次歩き(第26回) 横川駅~松井田宿~安中宿~安中駅4

(3より続き)

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やがて杉並木が見えてきた。
天保15年(1844)には732本あったが、現存するものは14本。昭和60年以降54本植えられたそうだが、いろいろな高さの杉が混在している。枯れているものもあって大丈夫だろうか・・・

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案内板は切り株つき!

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並木配水池の貯水塔には安政遠足之図が描かれている。
碓氷峠の熊野権現まで7里あまりを走る「安政のとおあし」は藩士の心身鍛錬のために始めたもので日本マラソンの起源と言われる。安政2年に実施された遠足には96名の藩士が参加したそうだ。

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ホテルルートイン前の道祖神など。

新島襄旧宅(親の家で3週間ほどしか滞在していない)は、同行者が行ったことあるということでパス。

いよいよ安中宿に入ってきた(安中上野尻郵便局の敷地内の安中大木戸址の石柱は見逃す)。
永禄2年(1559)越後の安中忠政が安中城を築き、元和元年(1615)井伊直政の子井伊直勝が街並みを整備し安中宿ができた。本陣1、脇本陣2、旅籠17。

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醤油醸造元の有田屋さん。
荷物に余裕があれば、小さなお醤油でも買って帰りたかったところだが、さすがにもう入らず、あきらめる。

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向かいに便覧舎跡の碑。有田屋三代目投手湯浅治郎氏が明治五年に開設した日本で最初の私設図書館だが、明治20年の大火で建物は焼失、現在は碑が残るのみ。

少し進んで、街道からちょっと離れる。

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蓮久寺の仁王門。

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正面の妙光院に向かう手前で、お菓子の家あんなるお店に思わず吸い込まれる。安中ってお菓子やさんがおおいなあ。
ここで買い求めたのは、あん中さま。フィナンシェの中にあんこが入っているお菓子、有田屋さんのお醤油を使用したもの、さくら味、抹茶味を購入。

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で、妙光院だが、ここも山門は仁王門だ。

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仁王様。

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本堂の彫刻がなかなかだ。

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不動明王。

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ここには、新島襄の祖父と弟の墓があった。
ここみたいに、たくさん案内板があるとわかりやすいですね。

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ここで、安中市のカラーマンホールがあったので撮影。
市の木のスギ、市の花の梅が描かれている。

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武家長屋(四軒長屋)が見えてきた。

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チケットは、通りを挟んだ向こうの郡奉行役宅へと書いてあったので、まずはそちらへ。

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長屋門を入る。

さあチケットをと思ったら、今武家長屋が改修中で見学は郡奉行役宅のみ。ただし無料で見られる。うーん残念だが仕方ない。

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建物は曲がり屋になっている。
ということでボランティアガイドの方に説明していただく。やはり説明を聞くといろいろなことがわかっていいですね。
幕末から明治初年にかけて猪狩家が安中藩の郡奉行として住んでいたお屋敷で、子孫の方が安中市に寄贈したもの。
郡奉行とは安中藩の民政をつかさどる役職で、年貢の割り当てから徴収、お触れの通達、領内の治安・裁判などのたくさんの仕事をしていたとのこと。

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上段の間。床の間がある。

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お座敷。

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古い大きなおひな様(享保雛)を見せていただく。

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板ガラスは明治時代のもので手吹き円筒法で造られたものだそう。よく残ってるもんですねぇ。

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お庭。真ん中の垣根はお茶だそうだ。

(5へ続く)

マップはこちらを使っています

2022/09/20

中山道六十九次歩き(第26回) 横川駅~松井田宿~安中宿~安中駅3

(2より続き)

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しばらく進み、御巡幸道に入り、大坂地下道で国道の向こう側に出る。

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こんな感じの旧道を下り、また登っていく。

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国道に合流した向かいに文化5年(1808)の妙義山常夜燈がある。妙義神社への参詣者のための道標だったようだ。

セブンイレブンのところから左に入るのが中山道だが、その前にセブンイレブンで日本酒妙義山を購入。このあたりの酒蔵のお酒ではないのだが、妙義山が見える・・・はずだったということでおみやげに。

郷原の集落を進む。

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安永3年(1774)の道祖神、百番供養塔があった。
百番供養塔というのはあまり見たことがないが、西国33ヶ所、秩父34ヵ所、坂東33ヶ所を巡礼し、その完結を祝って建立したものらしい。

自性寺(新島襄の先祖の菩提寺)に古い宝篋印塔があるとのことで行ってみたのだが・・・

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山門は閉まっていて入れず(脇からもしかして入れたかも?)、山門前の二十三夜塔や双体道祖神などを撮影したのみ。

お隣の日枝神社に行ってみる。

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庚申供養塔、青面金剛塔。

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これは狛カエルなのだろうか?(それにしては1つしかない)。

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神楽殿(奥に見えるのが拝殿)。

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七福神。

さて、そろそろお昼を過ぎたところ。
この先街道沿いにはお店がなさそうなので、いったん国道に出て山田うどんに入る。

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注文したのは野菜の旨みたっぷりうどん。
豚肉、きくらげなども入った野菜炒めがのっているうどん。野菜がたくさんとれるのがいいですね。
食べ終わって出発する頃にはようやく霧雨もやんだので、傘をしまう。

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元々は寄る予定はなかったのだが、街道に戻る曲がり角に磯部煎餅のお店たむらがあったので、おみやげを買う。
前に磯部温泉で舌切雀のお宿に泊まったことを思い出して、舌切雀せんべいを買う。おまけでごませんべいもたくさんいただいてうれしい。

街道に戻って先に進む。

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あんなかスマイルパークを過ぎた先に八本木延命地蔵尊があった。
ご本尊は100年に一度の御開帳とのことで見られない・・・次はいつになるんだろう。
が、境内にはいろいろな石造物があった。

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天保6年(1835)の聖徳太子孝養像。

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寛永2年(1625)の安中最古の庚申石祠。

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馬頭観音、庚申塔など。

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六地蔵。
ん??頭が下に3つ置かれている・・・

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五輪塔たくさん。

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一石六地蔵。

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延命地蔵尊の向かいは立場茶屋跡である。

またまたお菓子やさんが見えてきた。この日は気温も低めだったこともあり、ついついいろいろと買い込んでしまう。
小野屋さんで買ったのはとおあし最中である。

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郵便局の前に「山本有所旧宅跡」という看板があったが、原市の人で、磯部鉱泉の観光案内「磯部鉱泉繁昌記」を書いた人らしい。

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眞行寺。

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時の鐘が残っている(鐘があったのは跡の標柱のあったところ)。
第二次世界大戦に供出されずに済んだ鐘である。

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明治天皇御小休跡碑。
ここは五十貝茶屋本陣跡で、高札場もあったところ。

(4へ続く)

マップはこちらを使っています

 

2022/09/19

中山道六十九次歩き(第26回) 横川駅~松井田宿~安中宿~安中駅2

(1より続き)

外に出ると、案内の方が「お東」の方に案内してくださる。

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途中の庭園がきれいだ。

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冠木門。

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「お東」も「お西」とほぼ同じ造りのようだ。

こちらも中の見学が可能。

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源頼朝の「高白の歌」が書かれた書。

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「お東」の方は下の間の次の間が上段の間だ。

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上段の間。

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外にある蔵(味噌蔵)。

見学が終わると麦茶を用意してくださっていて、ありがたくいただき、出発。

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街道に戻り少し進むと、庚申塔と二十三夜塔があったが、このあたりの石造物も字がくっきりで大きいようだ。

上信越自動車道をくぐり、国道を少し歩いてシュロが植わっているところを入っていく。

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大きな石の上に、石仏?がのっているがツタが絡まってしまってもはやなんだかわからなくなっている・・・石に何か刻まれているような気もするがよく見えない。

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旧道が消滅しているということで、第十中山道踏切を渡る。
この後は中山道は線路から離れていくので、踏切はおしまい。

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新堀一里塚。
ちょっとよく見えないけれど、この後ろが塚なのかな?

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少し進んだ先に天保12年(1841)の道祖神と石塔。

 

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補陀寺に寄る。
表門に掛かる関左法窟の扁額は関東一の道場という意味だそうだ。

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六地蔵(+2)。

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中門の向こうに本堂。立派なお寺だ。
このお寺の北側は松井田城址である。
松井田城主大道寺政繁の墓があるというが寄らず。小田原攻めの際、前田利家等の攻撃の前に落城し、のちに政繁は切腹。加賀前田家が参勤交代で門前を通ると、墓は悔し汗をかいたという。

街道に戻り先を進む。

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安中市松井田商工会。昭和13年建築の旧松井田警察署跡である。
洋風建築に和風屋根をのせた帝冠様式。

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松井田八幡宮。
太子堂や本殿を見てみかったが、若干時間が押していたので行くのはあきらめる。

さて、松井田宿に入ってきた。
この宿は、信州諸藩の年貢米が集積され、江戸廻米の中継地になっていた。本陣2、脇本陣2、旅籠14。

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高札場跡という看板がかかっているお店がアメリカンベーカリー。
上州名物うまかんべえ(トースターでちょっと焼くとパイ皮がパリッとしておいしい)と関所通行手形煎餅をおみやげに購入。

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静かな宿の風景。
残念ながら遺稿は残っていない。

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東屋があったのでちょっと休憩。広場になっていて冠木門があった。

小田原ういろう家の分家があるとのことだったが、わからず・・・(酒屋のところだったらしい)

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で、ここ、崇徳寺にはういろう家の墓があるそうだ。

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徳右衛門脇本陣。

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向かいのかんべやの看板のある家に「妙義山登山口」と書かれた看板もあった。ここから南に向かうのも妙義道だそう。

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残念ながら霧雨はなかなかやまず、妙義山はまったく見えず・・・
このところ、山があまり見えずにがっかりだが、思いがけず涼しくて快適であった(歩きはじめは19度でその後もそれほど上がらず)。

松井田宿を出る。

(3へ続く)

マップはこちらを使っています

 

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