【小杉放菴展】
art-14 【小杉放菴展】 出光美術館
山種美術館をあとにして、恵比寿で昼食を食べた後、有楽町(日比谷)に向かい出光美術館へ。
小杉放菴展を見て参りました。
〈第1章〉蛮民と呼ばれて-日光~田端時代
小杉放菴は日光二荒山(ふたらさん)神社の神官の息子として生まれ、高橋由一の門人、五百城文哉の弟子となっている。
ごくごく初期の頃はオーソドックスな絵なのだが、同時に漫画や挿絵も描いていたということだ(その後も漫画チックな作品はあり)。
〈第2章〉西洋画による洗礼-文展入賞~パリ時代
やがてシャヴァンヌに憧れヨーロッパに渡る。
まさにねー、シャヴァンヌなんですよ。平面的なところといい、フレスコ画的な色合いといい。
特に「水郷」などは、もろシャヴァンヌである。
〈第3章〉洋画家としての頂点-東京大学大講堂大壁画
放菴はシャヴァンヌが描いたソルボンヌ大学講堂の壁画に触発され安田講堂の壁画を手がけている。
これもシャヴァンヌの影響がまさに見てとれる。裸体のミューズたちが日本風になっているとはいえ、ポーズなども似ている。
中、見てみたいなあ。
〈第4章〉大雅との出会い-深まりゆく東洋画憧憬の心
パリで池大雅の絵を見た放菴は、帰りゆくべき道を示され帰国。大雅、浦上玉堂、青木木米などの文人画家に影響を受け、自分も描くようになっていく。
この章ではそうした画家と同じテーマで描かれた放菴の絵が展示されていたが、一番近いのは玉堂かなと思った。
〈第5章〉麻紙の誕生と絵画の革新-〈東洋回帰〉と見られて
次第に日本画へ傾倒していった放菴は、平安時代に姿を消していた麻紙が復元されるとますます日本画への傾向を深める。
とはいえ、西洋画も描いているのだが、この時期は西洋画は東洋画に近づき、東洋画はまだ西洋画の趣を残しているという不思議な絵が多い。
〈第6章〉神話や古典に遊ぶ
昭和に入って放菴の重要なテーマになったのが、神話や古典。
酒飲みで豪放磊落だった李白に親近感を持っていたのかずいぶんと描いているという(今回も展示あり)。
おもしろかったのは「白雲幽石図」。宙に浮かんだような大きな石に仙人が座っている図なのだが、これは自分自身の姿に重ね合わせているのですね。自身も庭の石に座って妙高山を眺めていたそうで、写真の展示があった。
これまたおもしろいというか、ユーモラスな作品が「さんたくろす」。まぎれもなくサンタクロースではあるのだけど、和風なのだ。
そしてもう一つユーモラスな作品が、「天のうづめの命」。出光のタンカー船長室に飾られていた絵だそうだが、うづめの命が楽しげに踊っていて思わず笑みがこぼれる絵。笠置シヅ子がモデルとのこと。
〈第7章〉十牛図の変容
牛も放菴のモチーフとしては重要なもの。
類似するモチーフとして、金太郎も。孫をモデルに描いていたとのことで、通常描かれる金太郎が赤色であるのに対して、人・・・肌色で描かれている。孫を描いているということもあって優しい絵である。
おもしろいのは「田父酔帰」。酔っ払ってうっかり手綱を離してしまってはっとなる老人と、離されたことに気づいていない牛のとぼけた表情がいい。
〈第8章〉画冊愛好-佐三との出会い
出光佐三は、放菴の「景勝の九州」という画集を見て、仙厓に通じるものがあると感じ、実際に会って意気投合したらしい。
この頃の放菴は中国の石濤に傾倒していたとのことで、その影響が色濃く出ている。池大雅の影響を受けていた時期の色調を少し明るくした感じであった。
〈第9章〉安らぎの芸術-花鳥・動物画
意外や意外、最後に行き着いたのは花鳥画。
山種でも見た白鷴がここにも!実際に飼っていたらしいですね。
初期の西洋画からは想像もつかない絵。
「梅花小禽」、いいですね。霊芝(サルノコシカケ)が描かれているのがおもしろい。
小杉放菴の作風の変化が興味深い展覧会でした。
« 【花と鳥の万華鏡展】 | トップページ | 四ッ谷:徒歩徒歩亭 »
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 【特別展はにわ】(2024.11.25)
- 神代植物公園3(2024.11.19)
- 【カナレットとヴェネツィアの輝き展】(2024.11.04)
- 【英一蝶展】(2024.10.14)
- 【田中一村展】(2024.09.23)
コメント