東海道五十三次歩き 沼津~原~吉原1
東海道五十三次歩きスタート。
この日は沼津から。
正直、朝は苦手なのだが遊びに行くときはなんとかなる・・・ので、5時20分起床。6時前に家を出て、駅で行きの切符を買い、東京駅で7時26分発のこだまに乗車。平日だし、それなりに早く並んだし、余裕で座る。富士山が見える右2列の席である。
前日買っておいたパンを2個とフルーツジュースで朝食を・・・と思ったら、母親がバナナをくれたのでパンは1個にすることにしてもう1個は温存(結局持ち帰りましたが)。
さて、三島まで寝ていくかと思ったのだが、乗ってる時間は1時間弱なのであまり眠れなかった。
隣で富士山をパチパチ撮していたので、ワタクシも何枚かとってみる。午後から曇りという予報だったがまだ晴れていてキレイに見える。雪もだいぶ残っていた。
三島には8時20分すぎに到着。
ホームからの富士山が美しい。
写真を何枚かとってから、東海道線に乗りかえ。意外と時間がかかり、もたついているうちに浜松行きをタッチの差で乗り損ね少々待つ。まあ元々その次の沼津行きに乗るつもりだったのでよいのだが、次回はホームで写真撮ってないで浜松行きに乗ろう(笑)
40分過ぎに沼津駅に到着、早速歩き始める。まだ少々寒い。
城岡神社に寄ったあと、中央公園へ。
ここには沼津城跡碑がある。沼津城はかなり大きな城だったようだが、今はちょうど本丸跡のこの公園に碑が残るのみである。
リバーサイドホテル前の三枚橋外堀石垣を撮影後、沼津のシンボルという御成橋を横目でみて、交差点を渡ったところに沼津のにぎわい発祥の地の案内板。昔の写真が3枚ある。
その後曲がると本陣跡がいくつか続くが、ホントに石柱が残るだけだった。
丸子浅間神社を見てからちょっと脇道にそれて乗運寺へ。
潮風を遮るための松を植え続けた増誉上人開山のお寺で、この地を愛した若山牧水のお墓がある。
お庭が立派!松が見事だ。さすがだなあ。
そのまま道を進むと松原が見えてくる。
千本浜公園で、ずっと続く松原が見える。そして、遠くに富士山が。いい眺め。
足に何かをつかんだ鳶を別の鳶が追いかけ、とうとうつかんでいたものを落としてしまった。いやしかし、鳶を写真に撮るのは難しい。
来た道を戻り、再び東海道を歩く。
すぐに出口見附を通過、沼津宿を出る。橋を渡ると貨物線の跡地の蛇松緑道を横目で見、山神社に寄ってしばらくして、また脇道に。
六代松である。といっても枯れてしまったとのことで今は碑しか残っていない。
ちなみに、六代松とは平維盛の子六代の首が埋められた場所とのこと。
この六代松碑に至る道で、すっごいふさふさ猫にあい、足の上に乗っかられた・・・紐付きの猫だった。
東海道へ戻り、金剛寺をちらりと見て八幡神社へ。
ここには「従是東」と書かれた傍示杭がある。領域を明らかにするための杭で、これは本来「従是東沼津領」と書いてあったのが下半分がなくなった・・・ということらしい。
続いて諏訪神社にお参りしようと思ったら参道にえらく人なつこい猫がいて5分ほどたわむれる。
ここにはいくつもの神がまつられているのだが、床神社というのがおもしろい。疱瘡の神様ということだ。
諏訪地区を通り過ぎて、松長一里塚に到達。柱しか残っていない。
このあたりからそろそろお昼をどうしようかと考えはじめた。
元々原くらいでお昼かなあと思っていたのだが、この分ではかなり昼をまわってしまいそうで、最悪食いっぱぐれることも予想され・・・
ちょい早いうちに片浜のあたりで食べようということになった。
その前に寄ったのは・・・
蓮窓寺。お寺自体はまあフツーなのだけど、山門が立派だ。
そして、神明塚古墳へ。前方後円墳ということなのだが、上に神明宮があるのである。確かに横にまわってみると古墳なのであった。なかなかにおもしろい古墳だ。古墳は大好きなのでテンションが上がる!
(沼津~原~吉原2に続く)
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