東海道五十三次歩き(第2回) 吉原~蒲原1
東海道歩き2回目。
今回の予定は吉原から蒲原までだが、どこまで行くかはその日になってみないとわからない・・・
前回と同様5時20分に起床し、6時前だが前回よりほんのちょっと早く出発。結果、前よりも早い電車に乗ることができ、東京駅でちょっと慌ただしかったが、1本早い6時56分のこだまに乗ることができた。富士山が見える側の席も確保でき、早速、パン、バナナ、ヨーグルトドリンクの朝ご飯。とても眠いが、あっという間に三島に到着してしまうので睡眠を確保することはできなかった。
新幹線の中からも富士山がちらりと見えてはいたが、やや雲が多い。
三島の駅のホームからは曇っていてまったく見えず、この日は富士山はダメなのか・・・
東海道線に乗りかえ、沼津行きだったので、沼津でまた乗りかえ、前回のゴール、新吉原駅まで行く。
歩き始めは8時半。前より早い。
そして、駅を出てみると、下の方に雲はかかっているものの、富士山が見えた!前回よりだいぶ雪が少なくなっている。
本来ならばこのまま北上し、新吉原に向かうところだが、田子の浦港を見ようということでまた南側へ。
駅近くの木之元神社(神社自体には上がっていかなかったが)の前にちょっとおもしろいマンホールがある。
描かれているのは、富士山と水が吹き出している六角井戸。
富士山からの神聖な水がわき出る井戸だったが、道路の下になってしまうことからマンホールとして残されている、ということらしく、「なるべく踏まないように」との注意書きもある。
ちょっと寄り道、富士と港の見える公園へと向かう。
六地蔵が祀られた地蔵堂、妙法寺を通り公園へ。
阿字神社入り口とある。
前回、生け贄になったお阿字のことを悲しんで身投げした6人の巫女を祀った六王子神社を訪ねたが、ここはお阿字自身が祀られている・・・のだが、六王子神社の方がはるかに立派だった。
ここには、見附跡もあり、元々ここに吉原宿あったことがわかる(その後、元吉原→中吉原→新吉原へと移転)。
仏舎利塔を通り過ぎた先に田子の浦港が見えるが、今や油槽所が並び、港にはタンカーが並んでいて、すっかり面影はない。昔は砂浜だったらしいのだが。
対岸にはやはり公園があり、そこには山部赤人の「田子の浦ゆ・・・」の碑があるそうだ。
そこで引き返し駅へと向かう。
さて、ここからがこの日の東海道歩きのスタートである。
というところだったが、沼川にかかる川合橋を渡ったところで、うっかり左斜めの道に入らず直進してしまい新幹線の線路をくぐってしまった。
というところで気づき、慌てて修正。
あとから地図を見たら、そう難しい道ではなく、なんでここで直進したのか謎なのだが、そのときはしっかりと地図を見ていなかったのだろう。ここで10分以上のロス。
軌道修正したところであらためて富士由比バイパスと新幹線の線路をくぐり、細い道へと入っていく。もう少し行くと2箇所しかない1箇所の左富士が見えるはずだが、まだ正面からちょっとだけ右に見えている。頂上が少し見えるだけで、なんとか左富士の地点では見えてほしいのだが・・・
左富士神社(鉄下駄や、つい最近できた一里塚の碑がある)にお参りしたあと、ちょっと左の道に入って、中吉原宿遺跡発掘調査の説明板を見にいく。今はこのあたりに宿があったことはまったくわからない。
再び東海道に戻り、左富士名残の松のところから富士山を見ると・・・頭がちょっとだけ見えるだけ。ここに工場がなければねぇ。この付近が広重が絵を描いた場所とのことである。オレンジを食べて少々休憩する。
道はまたカーブしていて次第に富士山はまた右側に移動していく。
馬頭観音をすぎ(この日は馬頭観音をいくつも見た)、少し行くと立派な平家越の碑がある。この付近に陣を張った平家軍が近くの沼から水鳥が飛び立つ音を源氏の夜襲と勘違い、敗走したという地である。
(続く)
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