サッポロ 麦とホップ 夏空のホップセッション
麦とホップの派生品。
つい最近、魅惑のホップセッションが発売されたばかりだったけれど、あ、これ
、缶のデザインも似てますねぇ。
どう違うのか?
注いでみると、やはり薄めの色。
飲んでみると、ホップが香る!
前回のと同じカスケードホップの他に、柑橘のようなシトラホップを使用とのこ
とで、爽やかな香り。
かつ、苦みもガツンとくる。
これの方は、より夏っぽいかな?
どちらも麦とホップの中では、結構上位にきますね。
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麦とホップの派生品。
つい最近、魅惑のホップセッションが発売されたばかりだったけれど、あ、これ
、缶のデザインも似てますねぇ。
どう違うのか?
注いでみると、やはり薄めの色。
飲んでみると、ホップが香る!
前回のと同じカスケードホップの他に、柑橘のようなシトラホップを使用とのこ
とで、爽やかな香り。
かつ、苦みもガツンとくる。
これの方は、より夏っぽいかな?
どちらも麦とホップの中では、結構上位にきますね。
このビール、去年も飲んでいるのだが、西友で新発売と書いてあったので買ってみた。今年は西友限定発売ってことなのかな?
デザインは特に変わっていないような??
注いでみると、やや濃い目の色。
飲んでみると、くーっ。苦みがきますね。IPAですから。
といってもIPAにしては度数は高くないし、色も濃くはないのだけれど、苦みはいい感じ。
好きな味ですね。
スポーツ用品店には別のものを買いに入ったのだが、なんとなく気にいってかってしまったのがこちら。
コールマンのリュック。
普段、買い物など近所に出かける時に使っているリュックのあちこちに穴があいてそろそろ限界。ということでそろそろ買おうと思ってから1年くらい(笑)。
この柄が気にいって、とうとう買うことに。
早速明日から使おう!
フェニックスの帽子。
後ろには着脱式のサンシェイドがついていて、コードでサイズを調節できる。
ワタクシ、頭は小さめなので、これはありがたい。
なおかつ、ストラップがついているので帽子が飛ばないように押さえられる。
これは東海道歩きの時にかぶろう!
いや、夏休みのお出かけにも使おう!
お中元にいただいたビール。
ギフト限定商品の模様。
ラベルからして高級感が漂うけれど、310mlと少なめでさらに高級感(笑)。
注いでみると、やや濃い色。
飲んでみると、アサヒのビールらしからぬ感じですね。ピリピリ感がない。
ドイツの稀少ホップ使用とのことだけど、香りもいいし、コクもある。
度数が高め(6.5%)というのもあるけれど、じっくり飲むべきビールですね。
先日、東海道歩きをした際、帰りの新幹線の中で飲んだビールを家でも飲んでみた。
サッポロビールの静岡工場で作られている製品で、静岡県内の飲食店限定で出されていたのものを買うことができるようになった、ということらしい。
缶のデザインが富士山で、らしいビールですね。
注いでみると、若干薄い色。
飲んでみると、あっさりした味かなと思いきや、最後にじわじわと苦みがくるビールで、なかなかいいですね。
お料理にもあうし、これだけ飲んでもよさそうだ。
今度静岡に行ったらまた買おうかな。
新発売の新ジャンル。
缶のデザインはダイヤモンド富士?
名前は頂ですからね。
注いでみると、ビールに近い泡と色。
飲んでみると、苦みの後にかなりの甘み。やはりビールではないということがわかりますね。
高麦芽量×高発酵×高炭酸だそうなのだけど、高炭酸という部分だけは明確。
ピリピリ感が結構ある。
なので、「最高峰のコク刺激」の刺激はわかるのだけれど、コクとはちょっと違うかな~
アルコール度数が7%と高いけれど、それがコクってことじゃないですしね。
コンビニ限定発売のザ・モルツの派生品。
前は、家で飲むビールはモルツが定番だったのだけど、ザ・モルツになって味が変わってしまい、飲まなくなった。前の方が好きだったんだけどな~
注いでみると、やや薄めの色。
飲んでみると、爽快な・・・というより軽め。
苦みはあるものの、それほど目立たない。
まあ、夏らしい商品と言えましょう。
art-34 【大江戸クルージング展】 太田記念美術館
ジャコメッティのあと、移動し、太田記念美術館で大江戸クルージング展を見て参りました。
江戸は、海に面しているのもそうだけれど、堀や水路が縦横にはり巡らされていて、水の都であったという。
そんな水をテーマにした展覧会。
こういう切り口もあるんですね。
名所江戸百景から何点も。
一番有名なのは「大はしあたけの夕立」だろうか。
「京ばし竹がし」も好きな作品。ホイッスラーの作品もついでに思い出したりするけれど、おぼろな月と水の藍色がきれい。
あんまり記憶になかった「鎧の渡し小網町」も白壁の蔵が連なっていてインパクトありますね。
今回の展覧会、学芸員の方が、現在の風景を写真におさめ、並べて展示しているのもおもしろい。まだ面影を残している場所もあるけれど、ほとんどがよくわからない。
水といえば、花火。
一大娯楽だったのだろうか、花火の絵はたくさんあるのだけど、どれも人がぎゅうぎゅうで(笑)
両国橋の密集度がはんぱない!こんなに人が乗って大丈夫なのか・・・
一番ツボだったのは歌川芳艶の「両国大花火の図」。花火を楽しむ女性たちの図なのだけれど、皆さん酔っ払い?枝豆を房ごと食べてる人もいたり。
国貞の「極暑あそび」もおもしろい。なんだか変な泳ぎをしてる役者たち。こんなんで泳げるの?という・・・
雪の風景だったらば、名所江戸百景の「日本橋雪晴」。これ美しいなあ。
北斎の「雪月花 隅田」もきれいな雪景色。
そして、さらにツボだったのが、品川付近の名所江戸百景。
最近、東海道歩きで通ったところなので。
「芝うらの風景」はゆりかもめがかわいすぎ?
「南品川鮫洲海岸」は浜川砲台のところだ!あの運河の昔の風景ですね。
「はねたのわたし弁天の社」はすみません。船頭さんのすね毛うで毛にどうしても目がいっちゃいます(笑)
江戸以外の水の風景も。
歌麿「江之島岩屋」は江ノ島がデフォルメされすぎのような?
最後のパートでは船の種類が紹介されていて勉強になった。
屋形船、屋根船、煮売船、弁財船、高瀬船など。
中でもはじめて知ったのが、猪牙舟。舳先が尖った舟で、細身なので狭い川や運河でも動きやすかったらしい。やっぱり尖ったところが猪の牙みたいだからこの名前なんでしょうか?
夏にぴったりの展覧会でした。
残念ながら昨日で終了しています。
先日、国立新美術館に行った後の昼食。
ホント、六本木って昼食に困るんですよね~
今回も何らプランもないまま、歩き回り結局このお店に決めた。
国分寺にも阿波尾というお店があって、その名の通り、阿波尾鶏が食べられるお店。
あれ?ここってチェーンだったのかと入ったら、こちらのお店は阿波尾鶏という名前のお店でしたね。
やはり阿波尾鶏のお店にきたからには、鶏を食べなきゃ!
ということで・・・
私が注文したのは阿波尾鶏照焼そぼろ丼定食。
そぼろがおいしい!温玉はなかなかつぶすタイミングが難しいな。
サラダ、小鉢、漬け物、鶏しじみスープつき。スープは鶏だしが結構効いている。
同居人の阿波尾鶏三種唐揚定食。
三種とはもも、むね、肩こにくらしいけれど、見た目どれがどれだかわからず。
一切れもらったけれど、やっぱりわからず(笑)
水炊きしゃぶとか土鍋炊き込みご飯とか食べてみたいですね。
東京都港区六本木7-13-2 アーバンビルB1
art-33 【ジャコメッティ展】 国立新美術館
国立新美術館で開催されているジャコメッティ展に行って参りました。
ジャコメッティの彫刻はよく見るけれど、ジャコメッティだけの展覧会は行くのははじめてである。
1.初期・キュビズム・シュルレアリスム
ジャコメッティといえば、細長い彫刻・・・のイメージだけれど、初期の頃はキュビズムやシュルレアリスムの作品を残している。
キュビズム的な彫刻もおもしろかったけれど、一番おもしろかったのは、「女=スプーン」。アフリカのスプーンからインスピレーションを得たとのことだが、遠くからみたら女性と思ったのが、近づくとスプーン!
「キューブ」はん?これキューブかなという形だったけれど、意外と気に行った。
思わず笑ってしまうのは「鼻」。ピノキオのような鼻の人物でとってもユーモラス。
2.小像
シュルレアリスムから離れたジャコメッティは彫像の制作をし始めるが、台座が大きくなっていくのと反比例して像はどんどん小さくなっていく。
なんとマッチ箱に入るサイズのもあって、逆によくこんな小さいのを作ったなあと。
3.女性立像
戦後、高さのある彫刻を作り始めるが、今度は徐々に細長くなっていく。
これが、ジャコメッティといえば、の彫刻である。
なぜ、細長くなるんでしょうねぇ。
4.群像
これまた楽しい。
3人の男から7人、9人まで!
遠くから見ると、木のようだ。
5.書物のための下絵
ジャコメッティはリトグラフも手がけており、その下絵。
線が多いなあ。
6.モデルを前にした制作
弟ディエゴや妻アネットを題材とした作品も多い。
無数の線で描いた鉛筆画の他、塑像も。台座はしっかりしているけれど、顔はやっぱり細いんだなあ。
7.マーグ家との交流
ジャコメッティの作品をはじめて購入したのが、パリの画廊マーグ画廊。
ということで、マーグ夫妻を描いた絵があった。
8.矢内原伊作
日本の哲学者である、矢内原伊作は何度となくジャコメッティのモデルとなっている。
矢内原さんの写真を見たら、なるほど!これはこの人をモデルにしたいと思った気持ちもわかる!矢内原さん、顔が長くてモデルにぴったりだったのでは??
矢内原さんが持ち帰ったという、ペーパーナプキンや新聞への落書きが楽しい。
9.パリの街とアトリエ
アトリエやその周辺を描いた鉛筆画や油彩、リトグラフなど。
ジャコメッティのリトグラフと鉛筆画の区別がつかない!
ジャコメッティといえば彫刻と思っていたけれど、リトグラフやデッサンもいいですね。新しい発見。
アレジア通り、昔、泊まったなあ。
10.犬と猫
この彫刻たち、好き好き!
猫もちゃんと細い。
犬は中国犬というけど、そうなのか?ちょっとみすぼらしい感じの犬だけれど、かわいいなあ。マグネット購入。
9にあったスケッチはこの犬と猫を描いてるんですね。
11.スタンパ
ジャコメッティの故郷スタンパの家や景色のリトグラフ。
12・静物
セザンヌを尊敬していたというジャコメッティのリスペクト作品。
林檎を描いたりとか。
13.ヴェネツィアの女
女性9人の立像。
圧巻!
よくよく見るといろいろ。
14・チェース・マンハッタン銀行のプロジェクト
ここの部屋のみ撮影OK。
どれも大きな作品だが、一番気にいったのは「歩く男」。ちょっと前のめりに歩く、というか一歩踏み出した像。なんか、せかせかした人に見えますね。
15.ジャコメッティと同時代の詩人たち
16.終わりなきパリ
エッチング、リトグラフ。
「終わりなきパリ」は150点からなるリトグラフ作品集だが、これいいですねぇ。線で表現されるパリの街並み。人物のデッサンとなると、無数の線で表現されるけれど、これはわりとシンプル。全部の作品を見てみたい。
彫刻だけでないジャコメッティの魅力満載。
是非どうぞ。
(3より続き)
本陣の跡になっている公園を見て、問屋場跡、高札場跡を通り過ぎ、枡形跡を過ぎてしばらくいくと松並木が見えてくる。
なんだか松をよく見る気がする。「東海道岡部宿の松並木」という標柱があった。
きのこみたいな形をした常夜灯を過ぎて、旧道に入る。
岩村藩領榜示杭がある。ここからは岩村藩の領である。
横内村であるが、ここには職人がたくさんいて、この村の屋号札は当時の仕事を示したものであるという。大工のようなわかりやすいものもあるが、なんだかよくわからない職業もあるのだった。
慈眼寺にはいくつか地蔵があるようなのでちょっと見ていきたかったところだったが、お坊さんとその子供が出てきたのでパス。
横内橋を渡る。
ここには3箇所に川除地蔵がある。このあたりは水害が多かったという。
岩村藩領榜示杭を再び通り、国道1号線を歩道橋で越えるとまた旧道に入る。
すぐに出現したのが田中藩領榜示石。
再び国道1号線に出るが、すぐにまた旧道へ。
鬼島一里塚跡は、アパートの前にあり、ちょっと進んで八幡橋を渡ったところが御成街道との分岐点。
今回は時間がなかったので行かなかったが、田中城へと続く道だ。
地蔵、秋葉神社跡地と通り過ぎた先に青山八幡宮の鳥居。
ここもちょっと距離があるのでカット。
夕方に近づくにつれ、寄り道が少なくなる。
すぐ先、須賀神社には大きな大楠があった。立派だ。
そしてしずてつストアに寄って飲み物を買う。もう3本目だ。何しろ暑いので、どんどん飲まないとやってられない・・・
ちょっと休憩してまた歩きはじめる。
このあたりは東海道が微妙に途切れてしまっていた。
国道1号線をまたまた越え、成田山(ここになぜ?)新護寺を見る。
その前に番所跡標柱があったらしいが見過ごしてしまった。藤枝宿の東木戸があった場所らしい。
いちいち入ってはいかなかったがその奥に左車神社。
嵯峨天皇の第一皇子が京から鎌倉に向かう途中、車輪が壊れ、この神社に破損した車輪が祀られているという。
藤枝静男生誕の地という碑があった。
書いたのは小川国夫。
二人とも藤枝の出身だったんですね。
藤枝静男という人は知らなかったが、眼科医兼作家で、この名はペンネームだったようだ。
眼医者といえば、小川眼科の前に白子由来碑がある。
信長が光秀に討たれた際、家康は伊賀越えをして白子(鈴鹿)から海路で岡崎城ににげようとし、白子の小川孫三に助けられ、逃れたという。
小川眼科はその子孫とのこと。このあたりの地名も白子である。
蓮生寺に寄ってみる。
市指定天然記念物であるイブキがあると書いてあったが、どこにあるかわからず・・・
この裏手にある蓮華寺池公園はいい感じの公園らしかったがパス。
続いて寄ったのは、大慶寺。
久遠の松という、大きな松がある。ホント、この日は松だらけ!
樹齢700年、高さ25メートルもあるらしい。
今やサッカーの町である藤枝の宿はほとんど何も残っておらず、標柱などもあまりない。
上伝馬問屋場跡は、交番横の江崎パーキングの看板があったのでわかったけれど。広重の藤枝宿の絵が描かれていた。
正定寺にも有名な松がある。
延命の松。田中城主が植えたもの。整った美しい松だ。
このあたりが西木戸があったところらしい。
瀬戸川を勝草橋で渡った先に秋葉神社常夜灯とともに志太一里塚跡碑があり、その先に為善館跡(学校ですね)があり、さらにその先、稲川橋と青木橋を渡ったところに岡野繁蔵の碑がある。
裸一貫から南海のデパート王となった人物だそうだが、今まで知らなかった。
このあたりで東海道歩きは終了、藤枝駅へと向かう。結構距離があったが、最後の力を振り絞って?歩く。
当初は6時半すぎに到着できるかと思っていたが、途中休憩したこともあって、藤枝駅に着いたのは7時ちょっと前であった。
東海道本線で静岡に出て、駅構内でお弁当を買う。
確実に座るため、ひかりを見送り、こだまに乗り込む。
そして、お弁当タイム!
富士山が見えなかったという反動ではないけれど、ついつい買ってしまった富士の味覚というお弁当。
茶飯(桜えびちらし)、豆腐ハンバーグ、蓮根はさみ揚げ、黒はんぺんのてんぷら、じゃこ入り卵焼き、煮物、茄子味噌炒め、ゼリーとなかなか豪華なお弁当だった。ワタクシは静岡限定数量限定の静岡麦酒もいただく。
東京駅に着いたのは9時半前。
家に到着したのは10時半近くだった。
この日の歩数は約54600歩。
今までで一番歩きましたね。
次回東海道歩きは9月下旬の予定です。
(完)
(2より続き)
続いて大正のトンネルと宇津ノ谷峠・明治のトンネルとの分岐があり、左へと行く。旧道らしい道で風情がある。
丸子宿でもそうだったが、ここ宇津ノ谷にも各家に屋号が残っていて、おもしろい。いったい何の商売なんだろうと思う屋号もある。
ちょっと横道に入った慶龍寺には、十団子の句碑がある。
旅人を食べてしまう鬼と対決した地蔵菩薩が、小さな玉に変身した鬼を杖で砕き飲み込み、それ以降鬼の災いがなくなったことから、お団子を数珠のかたちにして十団子を作り魔除けとした、というもの。
それよりも、普通のお地蔵さんの他に、ミニミニなお地蔵さんがたくさんあったことの方がワタクシ的にはツボだった。
秀吉から送られた羽織があるという御羽織屋は休業日だったのでとばし、石段を上がっていく。
上がって振り返ると宇津ノ谷の集落が見える。
右に行くのが東海道だが、近いので明治時代のトンネルを見に左に曲がる。
トンネルに入ると、おおっ、ひんやり。なんと涼しいんでしょう!
昼くらいには曇るという予報だったのが、全然曇らず、予報より気温も上がってかなり暑かったので、ホッと一息である。
はるか遠くに出口も見えていたけれど、これ夜通ったら結構怖いだろうなあ。
このまま行けばショートカットにはなるけれど、きちんと東海道を行くべく、元に戻る。
東海道宇津ノ谷峠越えの看板があるところから山道へと入っていく。
馬頭観音を見て進むと、竹林のいい感じの道だ。
展望台からは宇津ノ谷の集落が見える。
雁山(俳人山口黒露)の墓(旅に出て音信不通となり、旅先で没したものと思われこの墓碑を建てたが生きていた・・・)を過ぎた先に峠の地蔵堂跡。石垣が残っている。地蔵自体は明治時代に慶龍寺に移されたとのこと。
そうか!あのお寺にたくさん地蔵があったのはそういうことなんですね。納得。
狩野探幽の絵にも描かれているとのことで、それ見てみたいなあ(東海道地取図巻)。
写真を撮っていると、何かが向かってくる!
蚊の大群だ。慌てて蚊除けスプレーをまいたものの、あっという間に刺されてしまった。蚊じゃない何かにも刺された・・・
そして宇津ノ谷峠を越える(標高151メートル)。
向かって右が飯間山、左が満観峰と、プレートがかけられていた。
道を下っていく。
髭題目碑なるものがあり、髭?なんじゃそれ?と思ったら、髭のようにはねて書く書体で題目が刻まれているということなんですね。そういえば、今までも見たような・・・日蓮宗の盛んな県東部には多く見られるが、中部では非常に珍しいとのこと。
すっかり下ったところに坂下地蔵堂。
鼻取り地蔵があるとのことのことだが、ん?鼻取り?鼻が取れてる?
と思ったら、どうやらお地蔵様が牛や馬の鼻をとって農作業を手伝ったということらしい。
国道1号線をくぐった先に、岡部側の道の駅宇都ノ谷峠。
峠を越えてきてちょっと疲れたのと暑いので休憩することにする。
またまたクーリッシュ(冷やしパイン)を買い、クーラーが効いている中で食べる(飲む)。
と、坂下地蔵堂で出会った東海道歩き(同じ風人社の地図を持っていた)のご夫婦にまた遭遇する。
ゆっくり休んで復活!再び歩き開始。
岡部宿案内板が見えてくる。
いよいよ岡部の宿だ。
十石坂観音堂に登っていくと、奥にたくさんの石碑が。
観音様なのだろうけれど、削れてあまり判別できない。
枡形跡を通り過ぎ、笠懸松を見にいくことにする。
もっと簡単に登れるかと思いきや、かなり登っていく。
松は立派だけれど、二代目らしい。
西行にまつわる悲しい物語の舞台だ。
やがて大旅籠柏屋(かしばやと読む)に到着。
建物の内部は有料なので、というわけではないがパスして中庭で休む。
ここでもまた東海道歩きのご夫婦に遭遇した。
ここで、このあとの計画を立てる。
元々、岡部で終了にして、バスで静岡に出ようと考えていたのだが、もしかして藤枝まで歩けるかもと思い始めていた。
まあそんなに無理しなくてもいいけれど、バス通りを結構通るので行けるところまで行こうということに・・・
(続く)
(1より続き)
やがて国道1号線に合流したのち、すぐに分岐。東海道は旧道へと入っていく。
地蔵堂の前の公民館のところに万葉歌碑。このあたりはさわたりと呼ばれていたが、丸子1丁目と町名が変わってしまったのを嘆き、建てられた碑だと言う。
続いて見えてきたの名残の松。
今はそれほど残っていないが、昔は安倍川を渡ってすぐの手越から丸子宿入り口まで松並木が続いており、ちょうどこのあたりはおばけやおいはぎが出没するとウワサされるほど寂しい場所であったということだ。今は見通しはいいですけどね。
この松の下にはお茶を持った男の子のパネルがあるがこれはいったい??
そして丸子宿へと入る。
江戸見附を通り過ぎてすぐに水神社。
そこに流れる川は丸子川である。
神社の境内に大きな木があり、割れ目にでっかいきのこがあってびっくり!
馬頭観音もあったが、めずらしく馬の顔(耳も!)がよくわかる。欠けてるものが多いので・・・
問屋場跡、脇本陣跡、本陣跡、七里役所跡(紀州藩御用をつとめる機関)などが続く。
脇本陣跡のところに明治天皇小休所跡の石柱があったと思ったら、ほんのちょっと行った別の脇本陣跡にも小休所跡が・・・こんなにすぐに休み?と思ったら、上り下りで別のところで休まれたってことですね。
すぐ先に、丁字屋。楽しみにしていたとろろ汁だ。
1596年創業というからなんと400年以上!広重の丸子の絵はまさにここだし。
昼を過ぎて混んでたらやだなあと思って、なるべく早く行こうと、多少脇道のスポットを飛ばしてきたかいあって、11時過ぎには到着。誰もいないんじゃと思って部屋に通されたところ、結構いますね~
結構暑くなってきていたので、クーラーが効いている部屋にホッとする。
どうやら広重さんの部屋というところだったらしく、大広間で80人収用可。ずらっと東海道五十三次の絵が飾られている。丸子なんてまだまだ序の口ですねぇ。これからどれだけかかることやら・・・
注文したのはとろろ汁+麦めし、みそ汁、香物、薬味の「丸子」と、さらにむかごの揚げ団子、珍味2種(むかごの和え物、しらすのくぎ煮)、甘味もついた「本陣」。
とろろ汁は自然薯に特製味噌、削り節、卵が加えられており、麦めしにかけてザーザーと音を立てて流し込むように食べるとおいしい・・・ということだったけれど、音は立てずにいただきました(笑)
むかごの揚げ団子もとてもおいしく、みそ汁には大好きなたたみいわしが入っていたりして、大満足で、普段より多くご飯を食べてしまった。
12時前には出発。また歩きはじめる。丸子橋を渡ってすぐのところに高札場。昔の高札を復元している。毒薬やにせ薬の売買の禁止などだが、中にはん?というものもある。
観音堂を通り、地下道で国道1号線を渡ってちょっといった先にあるのが誓願寺。立派なお寺である。
ここには片桐且元夫妻の墓がある。且元は、大阪冬の陣のきっかけとなった国家安康の鐘事件の申し開きのため、この寺に滞在したそうだ。
再び東海道に戻り、先に進むと、丸子紅茶発祥の地という看板があり、紀樹天満宮には、日本紅茶の礎を気付いた多田元吉の碑があった。
隣の長源寺には耳地蔵なるものがあると書いてあったので、中に入ってみたかったのだが、いろいろと作業中なので入りづらく遠慮することにした。
名残の松を過ぎた先で国道1号線を歩道橋で渡ると、丸玄工芸の金ぴかの観音像が見える。目印になる。
東海道は、時々1号線に入ったりしながら進む。
元々、宇津ノ谷の道の駅で休憩しようと思っていたのだが、手前のコンビニで凍ったカルピスを買って首を冷やしたり、塩分チャージタブレットを食べたりしていたら復活したので、休まずに進む。
昭和のトンネルと平成のトンネルを見て東海道は右に入る。
(続く)
梅雨の時期はお天気がギリギリまでわからず、行けるのかどうか最後まで決められず・・・
今回は雨も降るし暑そうだしでいったん中止としたのだけれど、雨マークが消え、曇りベースで思ったより暑くないに違いないと踏んで、前日午後3時に行くことに決定。
自分の中では、ほぼ中止と思っていたのであまり下調べをしておらず、前日夜慌てて勉強するはめに陥った。それでも勉強不足は否めず・・・
前回と同じ電車に乗り(切符は前日購入)、いつもと同じこだま(6時56分)に乗る。
安倍川餅のお店があいていたら食べようと思っていたので、パン1個で軽く朝食を済ませる。
いつもなら、新幹線の中からちょくちょく富士山が見えるのだが、この日は暑い雲に覆われ、一瞬裾野が見えただけだった。
静岡駅には8時24分に到着、8時半に歩きはじめる。
まずは前回のゴールだった江川南の交差点へと出る。
すでに暑い気配がしていてちょっとイヤな予感・・・
呉服町も右折し、伊勢丹のところで左折。
ちょうど伊勢丹の前に札之辻跡があった。
マンホールがカラフルだ。
少し中に入ると銀座跡(銀座は昔駿府にあってその後江戸に移された)や十返舎一九生家跡があるようだったがパス。
いつも、歩き始めは結構脇道にもそれていろいろと行くのだけれど、この日はある使命があったので・・・
しかし、十返舎一九って静岡の生まれだったんですね。やっぱり東海道中膝栗毛読んでみないといけないかなあ。
七間町を通り抜け右折すると急に静かな道となる。
そして津島神社を左折、この通りは新通りである。
新通りからもチラチラ見える本通りが元々の東海道であったところ、家康が府中の街を整備した際、新通りを作った。新通りからは駿府城天守閣と富士山が一直線に見えたらしいのだが、現在ではお城はないし、富士山もビルがあって見えない・・・のかこの日、雲がかかっていて見えなかったのか・・・
わさび漬の有名店田尻屋やたい焼きやさん(さすがにまだ営業時間外)を通りすぎてしばらくいくと安倍川の川会所跡(西見附は標柱がないためいつの間にかとおりすぎていた)。
大井川などとともに架橋が禁じられていた安倍川は川越人夫に川を渡してもらわなければならなかったのだが、この人夫を監督する所が川会所だった。
隣の弥勒緑地には、安倍川架橋の碑、明治天皇小休所跡の碑、そして由比正雪の墓跡もあった。由比で生家とされる正雪紺屋を見て、そしてお墓の跡である。
正直な川越人夫(財布を拾って持ち主に私、どうしても礼金を受け取らなかった)の顕彰碑である、安倍川の義夫の碑を見て、安倍川餅のお店2軒が見えてきた!
創業210年の石部屋はガイドブックによれば10時開店とあったので、まだ9時半前、絶対無理だなと思っていた
のだが、なんともう開いていて先客あり!
ということで、入店。
甘いのならあべ川もち、辛いのならからみもちと説明され、やっぱりここは安倍川餅だよねということで注文。
注文してから作ってくれるので、柔らかい!
元々は安倍川餅はきなこのお餅だったらしいけれど、あんこ5個、きなこ砂糖5個で出てくる。どちらもおいしいですねぇ。
今までおみやげとして売っている安倍川餅しか食べたことなかったけれど、全然違いますね。
開いていてラッキー!
お茶もついて、600円でした。
からみ餅はわさび醤油でいただくらしく、こちらもおいしそうだけれど、さすがにお餅はおなかいっぱいになるので食べられず。残念!
川を渡る前に、首地蔵を見に行く。
首というからまさか首しかないんじゃ?と思っていたが、フツーのお地蔵さん。
なんでも今は弥勒緑地になっている正念寺にあって、処刑場だったのでこの名前だそうである。
その裏には水神社。
大きな川の傍には必ずといっていいほどありますね。
そして安倍川を渡る。大きな川だ。
振り返ると富士山が見えるはずだった・・・が、あいにくと富士山方面は曇っており(晴れているのに)見えなかった。残念!
山門に武田菱がある高林寺。
ゆっくり見たいところだが、写経会なるものが行われていて、じっくり見る雰囲気ではなく、子育地蔵尊の写真だけ撮って退散。
白い馬が置かれた木馬堂も見たかったが、どこにあるかわからず。
怖いいわれのある地蔵尊を見て(殿様不在の時に奥方が妊娠し、召使いが「奥方を守るため寝ている時も腹に手を当てていただけ」と言ったが、生まれてきたのは手だけだった。殿様はそれを捨てて供養のために地蔵を建てた)、君盃酒造(街道沿いによく酒蔵があるのだが、まだまだ歩くとあっては買うわけにいかず、残念)を通り過ぎてしばらくいくと松が見えてくる。そこそこ大きな松だ。
(続く)
先週土曜日、仕事後に美術館のはしごをし、あれこれ買い物をして、さてどこで飲んで帰ろうか?
たまたま最後の買い物場所から近かったのと、そういえば同居人のカードは今月で期限切れだから更新しなきゃということで・・・
一休へ。
カウンターしかあいていないということだったけれど、結果的には静かな場所で、最後の方にもう一人お客さんがきただけで快適。ふーん、こんな席もあったのか。
まずは生ピールで乾杯!そのあともう一杯生ビールを。なにしろ暑くて・・・
お通しはいつものとおり枝豆。おや、でも珍しく一人前ずつのお皿に入っている・・・
モバイル会員だと安くなる、まぐろユッケ。本物のユッケは苦手だけれど、こういうユッケならOK。
砂肝バター醤油揚げ。
マヨネーズがついていたけれど、下味はしっかりついてる。
ししとう豚巻き串。
あたりがあるかな~と思ったら3個めが大当たり!からっ。
あぶりしめ鯖(ハーフ)。
ここのは酢が結構きつめです。問題ないけど。
日本酒に切り替え、ワタクシは麒麟山ピンクボトル、同居人は鶴齢。
ポテトガーリックバター。
これがなかなかのヒット!7月のおすすめ品。
なんといっても安いのがいいですね。
東京都国分寺市本町2-11-5 矢野ビル 2F
art-32 【吉田博展】 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館
昨年から楽しみにしていた吉田博展がとうとう東京にやってきました!
ということで初日に見に行ったのですが、やはり損保ジャパンにしては混んでいましたね。
そして、点数が多いので、いつもは使わないスペースも使い、壁も増やしての展示だった。
第一章 不同舎の時代
吉田博は久留米の生まれで、地元の洋画家吉田嘉三郎の養子となり、その後、京都から東京へと出る。そして、小山正太郎の画塾である不同舎に入門している。
幼い頃から画才に恵まれていたようで、デッサン、水彩、こんなことを言ってはなんだか、実にうまい。
「土瓶や茶碗」などの静物画もいいのだが(ちょっと正しすぎるけれど)、やはり風景画。水彩の細かな表現が美しい。
「花のある風景」、素敵なお庭だこと!
第二章 外遊の時代
東京美術学校の西洋画科の教授に黒田清輝らがなり、門下生たちが次々と国費でフランスに留学する中、吉田博は友人の画家中川八郎とともに片道切符とわずかな生活費を持って渡米。デトロイト美術館館長に認められ、展覧会を行った結果、彼らの絵は売れに売れたという。
そのお金を元手にヨーロッパを回った吉田は、のちに義妹ふじ(のちに結婚)と共に再渡米、兄妹展を成功させる。
「街道の風景」をはじめとした、のどかな田舎の風景がアメリカ人に受けたのだろうか。どこかノスタルジックな絵である。
この頃から、朝の風景、夕方の風景、霧や雪など、季節や時間にこだわって描いていたようだ。
「霧の夕陽」、「夕暮」、「田舎の夕暮」など夕方の景色が気にいった。
夏目漱石の『三四郎』に登場する画が「ヴェニスの運河」。もう一枚「ヴェニスの運河」というタイトルの絵があるが、こちらは後年の木版につながるような油彩。前者の方がオーソドックスな絵である。
第三章 画壇の頂へ
帰国後、画壇の頂に登りつめたものの、黒田清輝との確執や、水彩画のブームが去り、時代遅れと見なされることとなったことで、吉田は山へと向かう。元々登山好きだった吉田は次々と山に入ってはスケッチし、作品を作りあげていく。
最近マイブームの富士山を描いた「富岳」も、雪と雲の中の富士山が描かれていて素敵なのだが、「穂高山」がとてもいい。この山には思い入れがあったのか、次男の名前は穂高というらしい。
自宅の居間に飾られていた「槍ヶ岳と東鎌尾根」の連作もいい。居間にこんな絵があったらなんと涼しげなことか!
同じく自宅に飾られたという「バラ」の連作7点がまた素晴らしいのだ。
水彩でもそうだったが、風景のみならず、花の絵も得意だったのだろう。
第四章 木版画という新世界
吉田博といえば木版画・・・のイメージだったのだが、意外にも版画をはじめたのは50歳近くなってから。
関東大震災後、被災した仲間のための資金集めに渡米したものの、あまり売れず、そのとき人気の版画を見て自分ならもっと素晴らしい作品が作れるはず、と取り組みはじめた。
吉田は徹底的にこだわり、自分でも彫ったり、彫りや摺りに厳しい注文をつけ、決して妥協しなかったという。時には80回以上も摺ることがあったとか。
いや~職人さんたち、やりにくかっただろうなあ(笑)
そのかいあって、素晴らしい作品の数々が生み出されたのだろうけれど。
版画でも山が多いのだが、意外と外国の山々もいいですね。モレーン湖やグランドキャニオンはダイナミック、ブライトホルンやマッターホルン(昼と夜がある)も美しい。
日本アルプス十二大題もキレイなのだが、ここまでくるとだいぶグラフィックな感じだ。ポスターにもなっている「剣山の朝」の山々が朝日に耀いている風景は、立山の朝を思い出した。徐々に夜が明ける様子が美しい。
瀬戸内海集の「帆船」は朝から夜まで6バージョン。どのバージョンもいい。
ダイアナ妃が気にいって購入したのは「光る海」ですね。
その他、気にいったのは動物シリーズや「渓流」。水しぶきがすごい。
第五章 新たな画題を求めて
昭和に入って、吉田はインドを旅し、そのまた数年後には韓国と中国を旅してたくさんの絵を残している。
インドの絵ではエキゾチックなものが並ぶ中、「カンチェンジェンガ」の2枚が気にいった。やはり山を描かせると素晴らしい。
「タジマハル」は神秘的。
日本の桜八題は、日本人に好まれそうな?
「東照宮」は80回、「陽明門」は96回の摺りということで、なんと細かい!
第六章 戦中と戦後
日中戦争画が始まり、吉田は従軍画家として中国へ行っている。
実際に乗ったであろう飛行機の絵が迫力。上から爆撃する様子を描いている。
溶鉱炉に惹かれて何度も描いたという軍需工場の絵は炎の熱が伝わってくるようだ。
最後の木版画となったのが「農家」という作品。穏やかな光景で、ここからまた作風が変わるかもしれなかったことを予感させる。
前後期で60点以上が入れ替えになるとのことで、後期も行かねば!
素晴らしいです。是非どうぞ。
art-31【水墨の風 長谷川等伯と雪舟展】 出光美術館
先週土曜日、仕事の後に行った展覧会1。
出光で開催中の水墨画の展覧会である。
等伯と雪舟が中心となるが、それだけでなく幅広い展示だった。
第一章:雪舟を創りあげたもの―「破墨山水図」への道
雪舟は中国の画家、玉潤の影響を大きく受けているという。
玉潤の「山市晴嵐図」は激しい筆使いの木々、薄墨で遠景の山、小さく人も描かれていてなかなかに大胆、斬新。
並んで展示されていた雪舟の「破墨山水図」と比べてみると、確かに影響を感じる。大胆な筆使いで。
伝雪舟の「四季花鳥図屏風」もいいですね。梅の木が力強く目立っているが、遠景がぼかすように描かれているのもポイント。
谷文晁の「風雨渡江図」は激しく降る雨と風の表現がスゴイ。この展覧会のタイトルにぴったりの絵。
第二章:等伯誕生―水墨表現の展開
だいたい花鳥図は好きな分野なのだけど、能阿弥のもいいなあ。日本最古の水墨による花鳥図らしい。
サギ、燕、鳩、鵞鳥?などの中に混じって叭々鳥も。
叭々鳥を描いた画といえば、能阿弥が傾倒していたという牧谿の「叭々鳥図」がかわいい。日本にはいない鳥なのだが、この当時日本でも描くのがはやったらしい。
叭々鳥に変わって描かれるようになったのが鴉で、長谷川等伯「松に鴉・柳に白鷺図屏風」で描かれるのも鴉。日本にいない叭々鳥を描くのは不自然ということで等伯が描くようになったとのこと。
この画は、右隻が松の木に巣を作る鴉(季節は春・・・たんぽぽが描かれているので)、左隻が雪のつもる柳と白鷺(季節は冬)で、黒と白との対比も素晴らしい。
等伯「四季柳図屏風」はパッと見、金なので派手かと思いきや、柳が風でそよそよと動く様が繊細に描かれた画だった。
第三章:室町水墨の広がり
呂景玄の「栗鼠図」。竹に2匹のリスがぐるぐる巻きになっている・・・のだけれど、遠くから見たら蛇かと・・・毛の感じはリアル。
伝 一之の「観音・梅図」は真ん中に観音、左右に梅。左は下に垂れさがる梅、右は下から上へ勢いよく伸びる梅で対比がおもしろい。
伝 楊補之「梅図」もまあ似た感じだが、どっちがいいかなあ。迷う。
第四章:近世水墨―狩野派、そして文人画へ
岩佐又兵衛「瀟湘八景図巻」が出ていた。 こういう画(風景画)も描いたんですね。優美な感じ。
同じテーマでは、池大雅の「瀟湘八景図」の方が好みだけれど。
浦上玉堂の「奇峯連聳図」は斬新ですねぇ。抽象画の域に入っている。
岸駒・呉春「群仙図屏風」は楽しい。よくよく見ると、呉春の作風の方がおとなしめな感じ。
水墨画の世界にどっぷり浸れる展覧会です。
明後日で終わりですが是非どうぞ。
先週土曜日。
仕事を終えて、さてどこで昼食?
と考えて、3月にオープンしたつけ麺のお店があることを思い出した。
つけ麺好きとしては行かざるを得ないですねぇ。
お店の前で看板をじーっと見ていると、お店の人が出てきて、スープは4種類あるけれど、2種類お値段同じで選べるハーフ&ハーフもありますよと教えてくれた。
いろいろな味が楽しめるのはいいね、ということでハーフ&ハーフにすることに。
麺は並150グラム、中200グラム、大300グラム、1キロまで無料で増量できるらしい。1キロってどんな量なんだ?
当然、ワタクシは並、同居人は中でオーダー。
こちらはワタクシの魚介豚骨スープとビネガースープ。
チャーシュー大きいなあ。なんでも醤油麹チャーシューらしい。
麺はかなり太くてモチモチ。
まずは、定番魚介豚骨から。フツーにおいしいです。
そして、ビネガースープは、結構ビネガー!そして、結構ピリ辛。おもしろいなあ。こういうスープははじめて。すっぱ辛いスープで見た目はイタリアンかと思うとエスニック。
こちらは同居人の、濃厚魚介豚骨スープとエビとイカ墨濃厚スープ。
ちょっと味見させてもらったが、濃厚魚介豚骨は濃厚と銘打つだけあって、確かに濃いかんじ。見た目もちょっとどろとっとしている。
そして、エビとイカ墨濃厚スープは見た目黒くてちょっとびっくりなのだけど・・・
イカ墨だ!エビよりイカ墨の方が主張している。これまた濃厚でおいしい。
4種類食べた中で、これが一番好みかも~
ハーフ&ハーフで食べられるのは楽しいですね。
最後にスープ割り(昆布、椎茸、さば、かつお使用の和風スープ)をいただいて終了。
ごちそうさまでした!
新宿区新宿1‐2‐5ファインズビル新宿1F
(3より続き)
だいぶ疲れてきたこともあって、予定通り、MARK ISで休憩することにする。
ここはちょっとした思い出?の場所。
2014年2月にいちご狩りに行った際、最後の最後に寄ったところ。翌日雪の予報で、同居人が雪靴をこの中のABCマートで買ったのである(笑)。
その頃はまだ全部はお店が入っていなかった気もする・・・
上の方の階のフードコートで一休み。なぜか、クレープやさんにいろいろな種類のタピオカドリンクを売っていたので、ワタクシはピーチオレンジ、母親はマンゴーオレンジのを飲む。いやー冷たくておいしい!だいぶへばっていたのが、一気に蘇った感じ。
外を眺めると山がいくつか見えたので、もしや富士山も?と思ったら方角的に難しかったのだった。
再び歩き始める。
柚木駅の手前で新幹線と東海道線をくぐり、旧道を行く。
ちょっと脇にそれて寄り道。
法蔵寺の隣に軍神社。入るとなぜか豊田交通観音が。
日本武尊が戦勝祈願をしてという伝説のある神社で、砲弾型の忠魂碑があったりするが、なんといっても印象に残るのはクスノキ。神社中、立派なクスノキが植えられているのである。
曲金観音堂から右手に入り、再び線路をくぐる。
国道1号線とちょうどまじわるあたりに府中宿東見附の説明版が。
いよいよ府中宿だ。
この宿は最大規模の宿場で西見附までは3.6キロ。旅籠は43軒もあったという。
城下町でもあり、江戸八百八町に対して、駿府九十六町。町名一つどとに標柱があり、バシバシ撮っていたのだが、ありすぎて途中でどうでも良くなってしまった(笑)。
だんだんと街も賑やかになってきた。
つつじ通りを渡ったところに久能山道標。
久能道は久能海岸の塩や海産物を駿府に運ぶ道であったという。そして、家康が祀られた久能山東照宮にお参りする大名たちが歩いた道でもあったようだ。
この道標の向かいの道を入っていった先に華陽院がある。
家康の祖母源応尼、家康の娘市姫、側室のお久の方などの墓があるとのことで、ちょっと探してみたが見つからず。というか、時間もおしてきていてそう真剣には探さなかったのである。
家康お手植えの松があるというのでそれだけでもと思ったのだが、見つかったのはお手植えのみかん。そのとなりにあった松がそうだったんだろうか?
貫目改所跡(先日、品川宿でも見た。西の方には草津にあるとのこと)を通り、西郷・山岡会見之史跡碑を見る。江戸無血開城が話し合われた地(松崎源兵衛宅)である。
今回の東海道歩きはここでやめることとし、最後に駿府城跡の駿府公園に寄って帰ることにした。
時間は5時半をだいぶ過ぎており、まだ開いているか心配だったが、結構遅くまであいてるんですね。
東御門から入ってみると、いや~広い。くまなく歩くのはもう無理だったので、とりあえず家康公お手植えみかん(ここにも!笑)をめざすことにした。
本丸堀などを見学しつつ、ようやく家康公像に到着。そして、その隣にお手植えみかん!静岡のみかんは家康によって広められたのか・・・
というところで引き返し、静岡駅へと向かう。
6時20分発のこだまに乗る。三島から乗るよりは席の確保が楽だ。
はじめは、3席並びの方に座っていたのだが、2席の窓側に座っている人がしきりとスマホで撮影している・・・
と思ったら、なんと富士山が見えているではありませんか。
慌ててデッキに出て写真を撮る。午前中も見えていたらなあ。残念。
しかしあっという間に富士山はまた雲の中に隠れてしまい、三島で2席の方に移ったものの、もう見えることはなかった。
9時前に最寄り駅に到着。
定番化している庄やにて乾杯。途中から同居人も合流し、炙り穴子、漬け物、のり塩れんこんチップ、明太北あかりチヂミ+生ビール2杯。
ちょうど飲んでいる間に雨が激しく降っていたらしいのだが、少し収まったところで帰宅。
歩数、約43000歩。今回もよく歩きました!
いよいよ次は丸子(のとろろ飯)です。
(完)
(2より続き)
追分の踏切で東海道を越え、緩やかな坂を上がっていくと、久能寺観音道の道標が。
久能寺は元々久能山にあった寺だが、武田氏が城を築くために移転したものの、明治時代に廃寺に。山岡鉄舟が惜しんで再興、鉄舟寺に改称したとのことで、ちょっと行ってみたい気持ちはあったのだが、東海道からはちと遠い。時間的余裕もなく、暑いしでカット。
そしてイオン(以前はここに遊園地があったとのこと)で待望の休憩タイム。
昼食を食べ終わって2時間弱がたっていた。
イオンの中で少々涼み、カルピスクーリッシュを食べて(飲んで)体の中から冷やす。
英気を養ったところで出発。
家康が武田勝頼を攻める前に穴山梅雪と会見した場所という上原延命子安地蔵(明治24年に焼失し、昭和に入って立て替えられている)、十七夜宮のお堂と千手寺はいずれも入り口から写真を撮っただけで通り過ぎ、緩やかに登ったところで振り返ると富士山が・・・見えるはずだったがやはり無理。
この先で国道1号線と合流する。
そして、草薙一里塚の標柱が。43番目の一里塚である。
草薙川を柳橋で渡った先に大鳥居。
確かに大きな鳥居で、通りの向かい側からでないと写真に収まりきれない。
残念ながら、ここから草薙神社まで1.2キロとのことで、時間的に余裕がないので行くのは断念。
すぐに右折して旧道に入る。
この道は植木やさんだらけ。なんでこのあたりに集中してるんでしょう???
しずてつの県立美術館前駅から続く大きな通りを横切る。
いつもこの美術館には車で来ているが、歩きだと結構坂がきついかも?
やぶきた原樹がこのあたりにあるとのこと。やぶきたブレンドのあれだ!
その先は閻魔坂。傾斜が急で馬から落ちてけがをする人が多く(馬に乗ったまま通り過ぎるのは閻魔大王に対し礼を失したたたりとか)、東海道の難所と言われたそうだが、現在通って見ると、それほど急ではなく、緩やかな坂といったところである。
おや?おもしろい像が?
と思ったら、東名寺の葦葉達磨大師像だった。立ち姿の達磨さんである。
吉田川を東橋で渡り、東名高速をくぐる。
草薙総合運動場にぶちあたって、道は右折。その先で、東海道はJRの線路で分断されている。ここに旧東海道祈念碑が建っている。
手前の地下道で線路をくぐるが、この地下道狭い上に天井が低く、車が来るとちょっと怖い(通った時は1台しかこなかったけれど)。
操車場沿いをちょっと歩くと、右に東海道は続いている。
清水のあたりのマンホールはサッカーの模様だったが、葵区に入ると、たちあおいなのであった。
そして再び国道1号線に合流。
合流地点には駿河三大名物の1つという(あと2つは何?)兎餅跡地があった。
今は別のお店が作っているらしいのだけど、きっとワタクシ好みのお菓子なんじゃないかなあ。食べられないのが残念だ。
すぐにまた静かな道へと入る。
やはりこういう道の方がほっとする。
久應院というお寺があったが、山門もお寺自体もピカピカ。
しずてつの長沼駅を通った先にはバンダイの工場が見える。
バンダイといえばガンダム。ガンダムファンとしてはなんかうれしくなる。
(続く)
(1より続き)
もうすぐ11時半。ちょっと早めではあるが、ここを出ると昼食場所を見つけるのは難しそうなので、駅近くで昼食にすることにする。
アーケードの途中にあるおにぎり屋さんのイートインにて。アーケードは七夕祭りの準備中。ここのイートインも翌日からその準備のため利用できなくなるところだった。ぎりぎりセーフ!
おでんコーナーから自分でおでんを入れ物にいれ、青のり、だし粉をかけ(味噌はパス)、おにぎりを選んでいただきまーす!しぞーかおでんとおにぎりの昼食。
おでんは、大根、卵、なると、牛すじ、黒はんぺん、じゃがいも。
おにぎりは、ワタクシがたぬき、しらす、母親が梅じゃこと鳥飯。
おでんももちろんおいしいけれど(じゃがいもがgood)、おにぎりもおいしいし、リーズナブル。たぬきおにぎりが意外なおいしさで今度家でやってみよう!
さて、いよいよ東海道歩き再開。前回のゴールからスタートである。
まず現れたのは、江浄寺。
信長が家康を試して自害させた信康の墓があるお寺であるが、なぜか入り口が閉まっていて入れない。
少し進んだ角あたりが脇本陣跡で、鉤型に右折。ここからが江尻宿の中心だが、今は静かな商店街。
途中左に曲がって橋を渡るのだが、ちょっと寄り道。
直進すると魚町稲荷神社がある。
武田信玄の過信でのちに家康に仕えることになった穴山梅雪が造った神社だら、なんといっても石で造られたサッカーボールが目立つ。
日本少年サッカー発祥の碑だそうで、サッカー神社と言われているらしい。
お隣の小学校が江尻城跡だ。
元の道に戻り、巴川を稚児橋で渡る。四隅にはかっぱの像があり、そのうちの一つはきゅうりを持ってる!かっぱはキュウリがすきですもんね。
川の渡り初めに、河童が渡ってさっていったという伝説があるらしい。
橋を渡って、右側に船高札の説明版が、左側の料亭の前にかっぱの腰かけ石がある。
久能道との分岐を右に行くのが東海道。
すぐ先に法岸寺があり、ここには浄瑠璃「朝顔日記」深雪のモデルと言われた人の墓がある。
向かい側の東明院の山門は立派。
江尻城が廃城になる際、家康から裏門を下賜されたものだが、火事で焼け、1831年に再建されたもの。
そのすぐ先の慈雲寺は芋和尚で有名とのこと。白隠に学んだ長泉和尚が、やせ地で困窮していた三保の農民に甘藷の栽培を広めたことからその呼び名がついたらしい。
ここで江尻宿を出る。
有名な羊羹のお店、追分羊羹のすぐ手前に「是より志三づ道」と書かれた道標があり、清水港へと至る道が分岐している。
一口羊羹でも買って帰りたいところだったが、この日は結構暑くずっと持って歩くのはなんなので諦めた。
1時を過ぎてかなり暑くなってきており、延寿院で少々休憩しつつ、Tシャツ1枚になる。休憩ポイントまであと少し!
清水といえば、ちびまるこちゃんにサッカーにそして清水の次郎長。
ここに、森の石松を殺害した都田吉兵衛を次郎長一家が仇討ちした供養塔があった。あいにくと、次郎長についてはあまりよく知らないのだけど・・・
金谷橋を渡ってすぐのところに姥ヶ池と弁財天が。
昔々、ひどい咳が止まらない子の姥が子供の代わりに池に入水し、これによって病気が治った・・・その後子供の親である長者が社を建て、ひどい咳に苦しむ子供がお祈りするとたちまち治ると言い伝えられているところ、だそうである(ただし、東海道名所図会には別の説が書いてあるとのこと)。
(続く)
東海道歩き、前回は雨のため、日本橋から歩いたのだが、今回もギリギリまでどうするか決まらなかった。台風のせいで。
前日ちょうど台風がきていて、でも思ったより早く台風が去ったので江尻(清水)から歩くこと決定!
いつもの新幹線(7時前のこだま)に乗ることにしたのだが、最寄り駅からの電車は1本早くしてみた。結果的にはこの電車の方がすいているし、東京駅で余裕が出る。今度からはこの電車にしよう。
新幹線の中で朝食を済ませる。空には黒い雲もあったけれど、途中うっすらと富士山も見えた。なんとか晴れてほしい・・・
ちょっと寄り道、三保の松原に行く予定だったので。
1時間弱で三島に到着、東海道線に乗りかえ50分ちょっとで前回のゴール、清水駅に到着。9時ちょうどのバスに乗って三保の松原を目指す。
途中清水エスパルスプラザ(ここはよく行くところ)、フェルケール博物館を通る。
フェルケールといえば、前々回東海道歩きで行った興津の水口ギャラリーはここの別館でした。
25分ほどで三保の松原入り口に到着。
御穂神社が帰りに寄ることにして、神の道を行く。約500メートル、松並木が続く木道である。
数年前に三保の松原にはきているのだけれど、そのときは車だったのでここは通っていない。
三保の松原に関する歌や小説を書いた案内板がたくさんあって楽しめる。
そして海岸へ到着。
羽衣の松、大きいなあ。2代目の松が枯れてしまい、平成22年に3代目となっている。2代目は数メートル幹を残して伐採されているが、これも見ることができる(歯車神社の隣)。この神社、願い事を書いた石を納める風習があるとのことでいくつか置いてあった。
前回きたときの記憶がないのだけれど、エレーヌの碑なるものもある。
能「羽衣」に魅せられて三保の松原を訪れたいと希望していたものん、35歳の若さでなくなったエレーヌ・ジュグラリスを記念した碑で、遺言どおり遺髪が埋納されているらしい。
そしてそして、富士山は見えるのか?
いや、ほぼダメだろうなと思っていたけれど、あーあ、やっぱり見えなかった・・・前回来た時もまったく見えなかったので、今回は是非と思っていたのだが・・・
遊歩道を少し歩いて絶景ポイントにも行ってみたけれど、富士山は雲の中。
また行ってみるしかないですね。次回に期待!
見える時はこんな感じらしいですね。
御穂神社に寄り、バスを少々待って(とはいっても10分おきにくるので便利)駅へと向かう。
途中、ふと海の方を見ると、上の方だけとはいえ、なんと富士山が見えるじゃないですか!
駅について、富士山が見えないかとあちこち移動してみたのだが見えず・・・ほんの10分足らずでまた雲の中に入ってしまったようだった。
行きはバスの時間の関係でゆっくり写真が撮れなかったので、あらためて駅の階段に描かれたさくらももこの絵を撮影。そう、清水といえばちびまるこちゃん!
さくらももこの絵ではないけれど、階段の絵も楽しい。
(続く)
ちょいちょい発売されるラガービールが今年も登場。
長い歴史を持ってますね。1908年に出来たビールなので・・・
注いでみると、わりと薄い色。
飲んでみると、甘み、苦み両方ともバランスよく感じられるビール。
ピリピリ感はまったくなくて、じっくり飲むタイプのビール。
こういうの好きだなあ。
今後も続いていってくれることを願います。
本日の映画
movie-22 「フォーガットン」 The Forgotten 2004年米
DIR:ジョセフ・ルーベン
CAST:ジュリアン・ムーア、ドミニク・ウェスト、ゲイリー・シニーズ、アルフレ・ウッダード、ライナス・ローチ、アンソニー・エドワーズ
STORY:飛行機事故で一人息子を亡くしたテリーはある日、家族写真から息子だけが消えていることに驚愕する。しかも、精神科医から息子ははじめからいなかったと告げられ・・・
☆☆☆この映画はいったい???
出だしは「バルカン超特急」か「フライトプラン」かという感じで始まる。
母親=J・ムーアが飛行機事故で亡くなった息子の思い出ばかりにひたり、精神的にも病みかけていたところに、元から息子は存在しなかったと、夫も精神科医も周囲の人々皆から言われ、混乱する・・・
必死に息子を探す母親だが、次第に追い詰められる。
同じ飛行機で娘を亡くした男性の元を訪れても、娘はいなかったという。
誰が母親を貶めようとしているのか?
息子がどこにいるのか?
というところで、衝撃的な展開・・・
というか、え?なんだそれ?
あまりに驚きの展開で口あんぐりですねぇ。
脱力するよ(笑)
これがありだったらもうなんでもありだなと。
いやーしかし、J・ムーア、よくこんな作品に出たよね。
駄作も含めてオファーがあったらなんでも出るって信条かしら?他にもなんだこれ作品に出てたし(笑)
もしかしてこれは笑う映画だったんだろうか・・・
本日の本
book-17 『サンマの丸かじり』 東海林さだお著 文春文庫
丸かじりシリーズ第36弾。
だいぶ前から読み始めて、チマチマと読み進めてようやく読了。
1つのエッセイが短いし、改行も多いし、読み始めるとあっという間なのだけど・・・
今回も好奇心旺盛なショージ君はいろいろなことにチャレンジ。
焼き芋をお取り寄せしてみたり、パイナップルラーメン(テレビなんかでもよく見るのだけれど、パイナップルはありえん!と思っていたけれど、案外イケルみたいで)にチャレンジしてみたり・・・
何かの食べ物から、どんどん脱線して、でも思いがけないふかーい考察をしてみたり、というエッセイもおもしろい。
あと、自意識過剰系もおもしろいですね。
例えば、この本でいうと最後の回転寿司やさんでラーメンを食べるというもの。
某K寿司の広告を見て、わざわざ寿司やにラーメン(それもラーメンだけ!)を食べにいき、寿司を食べにきてふと気が変わってラーメンを頼んだ・・・と装うことに失敗、変な人に思われてるに違いないと気をもむショージ君(笑)
いや、人は他人のことをそれほど気にしてないと思うけど(笑)
今回は解説が椎名誠で、そうそうとハゲシク頷いてしまいましたね。
西友でエチゴビールのIPAを見つけたので(実際は去年秋に発売されたもの)買ってみた。
缶のデザインがインパクトありますね~
なんで龍なのかな?飛ぶってこと?
注いでみると、かなり濃い色。
飲んでみると、おおっ。さすがIPA、かなり強い苦みがある。
とはいっても、度数はIPAにしては低め(5.5)なので、IPAとしては飲みやすい方なんじゃないでしょうかね。
ビールは苦くてダメって人にはキツいでしょうけれど。
最近、IPAってブーム?
(3から続き)
その先で運河に出てみる。
ちょうど犬の散歩の時間らしく、たくさんの犬が。水辺に出るとちょっと気持ちいい。
ちっちゃな公園の中に浜川砲台の大砲があり(土佐藩が鮫洲に屋敷を持っていたので砲台をここに造った)、仲町稲荷神社の隣の公園には若き日の竜馬像が建てられている。
ここからすぐの所に浜川橋。別名涙橋という。鈴ヶ森刑場へ行く罪人との別れの場所だったところからこの名前に。
天祖諏訪神社、浜川神社をすぎ、第一京浜に合流するすぐ手前にあるのが、鈴ヶ森刑場跡である。
火あぶりの鉄柱、磔の木柱台石がそのまま残されている。
八百屋お七や天一坊が処刑された刑場だ。
しながわ水族館のそばに、利田神社前の公園にあった鯨の頭のオブジェの対になったしっぽのオブジェがあると聞いたので撮影しようと思ったのだが、はじめどこだかわからず、しながわ区民公園をうろうろ。
ここがとっても立派な公園!猫もいたし。思わず写真をパチパチと撮ってしまう。
で、ようやく見つけました。ホントに水族館の前でしたね。
だいぶ時間も遅くなり、どこまで行くか?
平和島駅の近くに、大黒屋という和菓子やさんがあり、のり大福が名物と聞いて食べたいな~でもこの時間じゃあいてないかも~でも一応チャレンジしよう!
ということでもうちょっと歩くことにする。
第一京浜からまた細い道にはいる。
大きな通りじゃないとホントほっとしますね。
このあたり、大森に入ってきて、海苔やさんがたくさん。さすがである。
しかし、大黒屋はあいていなかった・・・
しかもこの日(水曜)は定休日!あーあ。かなりがっかりしたが、ならばいっそ、もうちょっと稼いでおこう・・・
ということでもう一駅だけ歩くことにした。
内川橋で内川を渡るところにするがや通りという案内板が。
この通りはかつての羽田道で、川崎大師や穴守稲荷に行く道として利用されたそうである。
再び道は第一京浜に合流するが、その手前に一里塚の案内板があるはず・・・
だったが見当たらず。もうだいぶ疲れてきていて熱心に探す気力はなく、大森町駅に到着。
品川まで出て、JRに乗りかえ東京駅へ、そして最寄りの駅まで戻ってきた。
この日はまたまた庄やにて食事を。
生ビール2杯、冷やしトマト、炙りあなご、いわしの刺身。
歩いたあとのビールはおいしいなあ!
歩いた歩数約43000歩でした。
次回は晴れるといいのですが・・・
(完)
(2から続き)
続いてちょっと寄り道。
泉岳寺である。ワタクシははじめて。
血染めの梅(うわっ)、血染めの石(うわうわっ)、そして、首洗い井戸。なんだか生臭い感じがしてしまったりする。
ここの見どころはなんといっても、赤穂浪士のお墓。ワタクシはそんなに詳しくはないので、数人しかわからないのだけど、大ファンの人にとっては聖地なんでしょうね。お線香がたくさん手向けられていた。
再び東海道に戻り、高輪海岸の石垣石を撮影(交差点の角にある)、イギリス公使館がかつておかれていたという東禅寺は今回はパス。
やがて品川駅に到着。駅前には品川駅創業記念碑がある。
新橋・品川間の工事が遅れたため、新橋から開業した5ヶ月ほど前に品川・横浜
間で鉄道が走ることとなり、よって品川駅が一番古い駅、ということになるらしい。へー。
すぐ先で八ツ山橋交差点を左にまがってさあ、ようやく品川宿。
に入ったはずが、ちょっと手前で踏み切りを越えてしまい、慌てて戻る。
第一京浜を離れ、旧東海道っぽい道になってほっとする。
鯨塚が見たかったので、ちょっと道をはずれて利田神社へ。
とそこにいた猫。眠り猫みたい!一瞬後ろを向いてまた振り返ると向きが変わっているという(笑)
猫の撮影に忙しくて、うっかり鯨塚の撮影を忘れるところだった・・・
そして、猫の撮影をしてるうちに、蚊に刺されるという・・・
寛政10年に品川に迷い込んだ鯨の供養碑なのだけれど、この神社の前の公園にはくじらの頭のオブジェがあった。
東海道に戻り、お寺を次々通り過ぎ、聖蹟公園へ。ここが本陣跡である。
ここでまたちょっと寄り道。品川神社へ。
が、この頃には暑くてへばりはじめていたので、手前のコンビニでアイス休憩を。そして復活!やはり暑い日はアイスが必要ですね。
品川神社、まずは鳥居がすごい!
石造りで両サイドに龍の彫刻がほどこされている。龍が巻き付いている感じ。
横には大黒天が。東海七福神の一つ。
階段を途中まであがって左に曲がるとそこは富士塚。
ちゃんと1合目から9合目まであって、あっという間に頂上。簡単だな(笑)。
上からの眺めはまあビルばかりだけれど、すぐそこに京急の線路が見える。
稲荷神社もあったりするが、裏手には板垣退助のお墓も。
なぜここに?と思ったが、この場所は元は東海寺の寺院があったところで生前、板垣がここに墓を作ってほしいと希望したという。
再び東海道に戻り、品川宿交流館を一瞬除いてみたもものここは駄菓子や?という雰囲気でパス、その先が品川橋。この橋で北宿と南宿がわかれる。
街道松の広場には整った松が。この宿内には他にも松があるのだが、全部は見つけられなかった。
問屋場、貫目改所跡地を通り過ぎ、青物横丁駅近くにある品川寺には、でっかい地蔵が。江戸六地蔵の1つとのことだが、なんと座高が2.75メートル。いや~とても地蔵には見えません・・・
庚申塔、大きな銀杏の木などを撮影、そして・・・
おや?七福神がいる?
寿老人、弁財天、毘沙門天、恵比寿、布袋、大黒天。
ここまではわかったのだが、福禄寿がいないぞ?金生七福神って書いてあるのが福禄寿ってことでいいのかな?まあいいってことにして先に進むことにした。
お隣のお寺、海雲寺にあった地蔵は平蔵地蔵。平蔵という乞食が財布を拾って届け出、謝礼も断って帰ったところ、仲間の乞食たちが怒って平蔵を小屋から追い出したため、凍死。哀れに思った落とし主が平蔵を弔ったというもの。
(続く)
(1から続き)
東海道は第一京浜を行くのだが、一本向こうの道に入って歩いてみる。ちょっと一本入っただけでだいぶ静かになる。
田町くらいでお昼ご飯にしようかなと考えていたのだが、何せスタートが遅かったので、もうこのあたりでお昼となった(12時になると混むので11時半には食事にしたいと思っていたので)。
芝神明商店会を通りつつ、店を物色。結局は、増上寺に向かう道沿いの寿司店、魚がし日本一でお昼にすることとした。
にぎり8貫で十分かなと思ったのだが、これからまだまだ長く歩くのでがっつり食べておこう、ということで、十目漬けちらし(980円)を注文。
わーい、大好きな茶碗蒸しもついてました~
まぐろ、浅蜊、えび、いくら、たこ、卵、きゅうり、たくわん・・・あとサーモン?+α(ちゃんと確認しなかったのでわからず(笑))。結構ご飯多いかなあと思ったのだが、意外といけました~
やはり12時に近づくにつれてお客さんが多くなってきて、出る頃には外に並んでいたので、やはり早く食べて正解である。
お店を出るとまだ雨が降っている。予報ではもうちょっと早くやむはずだったのだが・・・
増上寺は見えているが、その前に芝大神宮に寄る。キンキラキンの生姜塚がある(ちょっと派手!)。
6月ということで、茅の輪が見える(このあといくつか神社に行ったが、ほとんどあった)。
広重の江戸東京百景にも描かれている増上寺。
東京タワーとともに写真を撮りたいと思い、ちょっと寄り道して寄ってみた。
入ると大きな松が。アメリカ18代大統領グラント将軍が植えた松、グラント松だった。ブッシュ槙もあった(パパプッシュ?)。
東海道に戻り、先に進む。
芝浦運河に通じる古川にかかっている金杉橋を渡る。江戸時代には遠島送りになった罪人を運ぶ船が出た橋だそうだ。
ここから裏道(左側)に入るとたくさんのお寺がある、ということで行ってみたが、ビルの間に挟まれた現代的なお寺が多いように思えた(というか、一部しか見つからなかった)。
田町駅手前に江戸開城西郷南州勝海舟会見の地の碑がある。薩摩藩邸があったところである。
その手前の道を左に入り(一体化した狛犬あり!)、神社へ。ここにも茅の輪あり。昔は御穂神社と鹿嶋神社は別々だったのが一緒になったらしい。落語「芝浜」の舞台となったのもこのあたりとのこと。
田町駅を過ぎてすぐの歩道橋のあたりが札の辻で、歩道橋からは東京タワーが見える!
三田ツインビルの敷地の奥、階段を上がっていくと元和キリシタン遺跡がひっそりとある。家光が50人のキリシタンを処刑したところとのこと。
すぐ近く、右に曲がって階段の先に御田八幡神社がある。
ここにも茅の輪があり、せっかくなのでくぐってみることに。作法が書いてあって、左、右、左とまわる。
この頃には雨もやんでいて、濡れていないベンチでちょっと休憩。
その先に高輪大木戸跡。
江戸時代、朝4時にたって、6時開門に通り過ぎるというのが標準的だったんですかね。ちなみに石垣が残っているのは東側だけだ。
(続く)
はじめは空梅雨かと思われたものの、次第に梅雨らしくなってきた今日この頃。
東海道歩きは、清水から静岡(三保の松原に寄り道して)を予定していたが、あいにくと雨らしい・・・
ということで、今回はスタート地点の日本橋から歩くことにした。
近い場所からのスタートなので、仕事に行くときと同じ時間に家を出て、10時すぎに歩き始める。残念ながら雨は結構降っていた。右手にマップ、左手に傘である。
日本橋の道路の中心に日本国道路元標が埋め込まれていて、写真を撮ってみたものの、車がビュンビュン通るのでうまくは撮れない。
ということで、元標の広場にてレプリカを撮影。
向かいには日本橋魚市場発祥の地の碑がある乙姫の広場が。あ、これ乙姫だったんですね。道なりに進むと滝の広場。昔は処刑人の首をさらしていたところだったらしいが、今はクルージングの船の発着所となっている。
その向かいは花の広場。日本橋由来記の碑がある。
左右にデパートを見つつ、東京駅八重洲口へと向かう道の中央分離帯に、オランダ人航海士ヤン・ヨーステンの碑がある。
ヤン・ヨーステンが耶揚子→八代州→八重洲となったと言われている。
京橋を通過。ただし、今は川はない。
手前には、江戸歌舞伎発祥の碑がある。中村勘三郎率いる猿若座がはじめて興業を行った地なのだそうだ。
横には、京橋大根河岸青物市場蹟の碑なるものもあった。
橋を渡った交番の隣には、京橋の親柱が残されている。
銀座に入ってくるとブランド街。
まあ、ワタクシには用はないのだが(笑)。目の保養になるねって程度。
銀座発祥の地の碑を通り過ぎ、ミキモトの前に真珠王記念碑があるはず・・・だったのだがわからず。
そして新橋。
ここももう川はない。
首都高をくぐったところに、銀座の柳の碑。昔は柳がたくさん植えられていたようだが、今は二世の柳が植わっているのみ。
その先に鉄道歴史展示室、パナソニック(この美術館はよくきますが)。ここはパスして、ゆりかもめの新橋駅、JRのガードをくぐった先に日比谷神社が現れる。意外と目立ちますね。
境内に黒竹の鉢があった。ホントに黒い!
(続く)
オリオンビール創立60周年を記念して作られたビールだそうである。
注いでみると、オリオンにしては濃い色。
飲んでみると、なんか飲み慣れない味が。
苦みより甘みが際立つ感じ。
暑い時に、ぐぐっと飲み干すビールっぽくはない、オリオンでした。
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