東海道五十三次歩き(第7回) 府中~藤枝3
(2より続き)
続いて大正のトンネルと宇津ノ谷峠・明治のトンネルとの分岐があり、左へと行く。旧道らしい道で風情がある。
丸子宿でもそうだったが、ここ宇津ノ谷にも各家に屋号が残っていて、おもしろい。いったい何の商売なんだろうと思う屋号もある。
ちょっと横道に入った慶龍寺には、十団子の句碑がある。
旅人を食べてしまう鬼と対決した地蔵菩薩が、小さな玉に変身した鬼を杖で砕き飲み込み、それ以降鬼の災いがなくなったことから、お団子を数珠のかたちにして十団子を作り魔除けとした、というもの。
それよりも、普通のお地蔵さんの他に、ミニミニなお地蔵さんがたくさんあったことの方がワタクシ的にはツボだった。
秀吉から送られた羽織があるという御羽織屋は休業日だったのでとばし、石段を上がっていく。
上がって振り返ると宇津ノ谷の集落が見える。
右に行くのが東海道だが、近いので明治時代のトンネルを見に左に曲がる。
トンネルに入ると、おおっ、ひんやり。なんと涼しいんでしょう!
昼くらいには曇るという予報だったのが、全然曇らず、予報より気温も上がってかなり暑かったので、ホッと一息である。
はるか遠くに出口も見えていたけれど、これ夜通ったら結構怖いだろうなあ。
このまま行けばショートカットにはなるけれど、きちんと東海道を行くべく、元に戻る。
東海道宇津ノ谷峠越えの看板があるところから山道へと入っていく。
馬頭観音を見て進むと、竹林のいい感じの道だ。
展望台からは宇津ノ谷の集落が見える。
雁山(俳人山口黒露)の墓(旅に出て音信不通となり、旅先で没したものと思われこの墓碑を建てたが生きていた・・・)を過ぎた先に峠の地蔵堂跡。石垣が残っている。地蔵自体は明治時代に慶龍寺に移されたとのこと。
そうか!あのお寺にたくさん地蔵があったのはそういうことなんですね。納得。
狩野探幽の絵にも描かれているとのことで、それ見てみたいなあ(東海道地取図巻)。
写真を撮っていると、何かが向かってくる!
蚊の大群だ。慌てて蚊除けスプレーをまいたものの、あっという間に刺されてしまった。蚊じゃない何かにも刺された・・・
そして宇津ノ谷峠を越える(標高151メートル)。
向かって右が飯間山、左が満観峰と、プレートがかけられていた。
道を下っていく。
髭題目碑なるものがあり、髭?なんじゃそれ?と思ったら、髭のようにはねて書く書体で題目が刻まれているということなんですね。そういえば、今までも見たような・・・日蓮宗の盛んな県東部には多く見られるが、中部では非常に珍しいとのこと。
すっかり下ったところに坂下地蔵堂。
鼻取り地蔵があるとのことのことだが、ん?鼻取り?鼻が取れてる?
と思ったら、どうやらお地蔵様が牛や馬の鼻をとって農作業を手伝ったということらしい。
国道1号線をくぐった先に、岡部側の道の駅宇都ノ谷峠。
峠を越えてきてちょっと疲れたのと暑いので休憩することにする。
またまたクーリッシュ(冷やしパイン)を買い、クーラーが効いている中で食べる(飲む)。
と、坂下地蔵堂で出会った東海道歩き(同じ風人社の地図を持っていた)のご夫婦にまた遭遇する。
ゆっくり休んで復活!再び歩き開始。
岡部宿案内板が見えてくる。
いよいよ岡部の宿だ。
十石坂観音堂に登っていくと、奥にたくさんの石碑が。
観音様なのだろうけれど、削れてあまり判別できない。
枡形跡を通り過ぎ、笠懸松を見にいくことにする。
もっと簡単に登れるかと思いきや、かなり登っていく。
松は立派だけれど、二代目らしい。
西行にまつわる悲しい物語の舞台だ。
やがて大旅籠柏屋(かしばやと読む)に到着。
建物の内部は有料なので、というわけではないがパスして中庭で休む。
ここでもまた東海道歩きのご夫婦に遭遇した。
ここで、このあとの計画を立てる。
元々、岡部で終了にして、バスで静岡に出ようと考えていたのだが、もしかして藤枝まで歩けるかもと思い始めていた。
まあそんなに無理しなくてもいいけれど、バス通りを結構通るので行けるところまで行こうということに・・・
(続く)
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