2より続き
渡り終える頃には雨もやみ(なんで橋を渡ってる時に雨!)、再び東海道へと戻る。
その角にあったのが中村菓子舗。
島田は和菓子やさんがたくさんあるらしく、名物の小饅頭をあちらこちらで売っている。
古くからある酒まんじゅうとのことで、一袋購入。早速1個味見。
それほど甘くなくてなかなかよろしい。
お店の斜め前に島田一里塚。
少し道を入って、お囲い土手。
しばしば大井川の大洪水に見舞われた島田。徳川頼宣が駿府城主だった時代に、堺土手(お囲い土手、お囲い堤ともいう)を築いたが、その後大堤が設けられ、次第にこうした土手は消滅、今はこのあたりしか残っていないという。
そのすぐ傍に、立派な庚申堂がある須田神社、隣が林入寺。
郷土民話の老古木・薬梅なるものがあり、小さな梅の木だったのだが・・・
島田宿に流行病が出た際、このお寺の和尚さんの夢枕にご本尊が現れ、梅の花と葉をせんじて飲ませよと言った・・・和尚が病人たちにせんじたものを飲ませるとたちまち治った・・・という民話だという。
昔、島田宿には刀鍛冶が多かったということで刀のレリーフがあった。
そこを過ぎると本陣跡が続く。御陣屋(代官所)跡の先にあった御陣屋稲荷神社は通称悪口稲荷。だからなのか、悪口コンテストの入賞者?の作が書いてあった。
静岡銀行の前に塚本如舟屋敷跡の説明版と句碑。芭蕉が川留めでこの屋敷に泊まった際に詠んだ句が記されている。
島田駅前には、栄西禅師の像。お茶を全国に広めた臨済宗の開祖だが、なんでか金の茶葉を持っている!
水曜日定休じゃないはずのたい焼きやさんがお休みだったのはショックだったが、水曜日不定休と聞いていたみのやは開いていた!
ここでプリンどら焼きを購入。冷凍なので20分から1時間たってから食べる・・・ということで持って歩く。
そしてまたまた酒蔵が現れた。
おんな泣かせを作っている大村屋酒造。ゴール近かったら買ったんだけどなあ・・・
右に折れてあるのが大井神社。島田宿を洪水から守る神として建立されたとのことで、とても立派かつ広い。天満宮、春日神社他多くの境内社がある。
なんといっても目をひくのが、大奴・鹿島踊りのブロンズ像。
日本三大奇祭(別の祭りが入る場合もあり)の一つと言われる帯祭りの主役となる大名行列の大奴と鹿島踊りの三番叟である。
なんでも、島田では他所から嫁を迎えると晴れ着姿で町中を披露する習慣があったが、慣れない嫁に気の毒と、帯を代わりに披露したのが始まりという。大太刀帯をぶら下げて歩く・・・確かに変わったお祭りだ。
マンホールの蓋にもあった。
そしてもう一つ。こちらは大井川の絵だ。
この神社の前に桝形跡(宿西入口)があり、すぐ先に大善寺。
時の鐘(島田宿に時を告げた・・・川越しの開始終了の合図にもなった)として1784年に設置された梵鐘だが、戦争時に供出され、今ある鐘は昭和48年に再建されたものとのこと。
東海製紙の工場のあたりでやや細い道に入っていくと、いよいよ川越遺跡。
川会所(川越しの料金所)や、人足の待合所(番宿)等が続く遺跡だ。
六番、三番、十番と続く。
中には川越人足の人形があったりするが、なんか妙にリアルで怖い(笑)
十番宿の前に座り少々休憩。
プリンどら焼き!
これはおいしい!中心は少ししゃりっとして冷たく、ちょうどいい解凍具合だった。
荷縄屋、仲間の宿(年をとった人足たちが集った宿)などを見て、関川庵(八百屋お七の恋人吉三郎の墓)の標柱があったので右折してみたが・・・
あらら?どこだ?おばあさんに教えられて見つけたお墓は・・・
とても小さなお墓だった。
庭の手入れ?をされていた方が「吉三地蔵物語」を持ってきて下さったのでありがたくいただいて失礼する。
4へ続く
最近のコメント