東海道五十三次歩き(第9回) 藤枝~金谷1
東海道、8月に大森~神奈川宿を歩いたが、静岡は久々。
いつもと同じ時間に起床、6時56分のこだまに乗る。
静岡で乗りかえるので、ホントはこのあとのひかりに乗った方が早く着くのだけれど、9時開店の藤枝駅近くのお店に行くために調整したわけである。
朝食を済ませ、小田原のあたりで、おお!富士山が見える。曇りだったのでダメだと思っていたのだが。
こちらは富士市のあたりで撮った写真。
静岡で東海道線に乗りかえ(3両編成)藤枝到着は8時50分。
55分に歩きはじめる。
戦国時代から現在の藤枝の茶屋で売られてきた瀬戸の染飯を食べてみたくて、再現して作っている貴久屋に寄ってみたのだが・・・
残念ながらお休み。
歩いた日は水曜日だったのだが、水曜日はいろいろなお店がお休みなのである。
駅から1キロあまりの青木交差点から旧道へと入る。
古東海道の入り口あたりの庚申塔を撮影し、今回歩いたのは近世以降の東海道。
このあたりは松並木がある。田んぼも結構あって、そろそろ収穫の時期かなというところ。
前回の歩きでも出てきたが、田中藩と掛川藩、横須賀藩領が入り組んでいるため、何回か従是田中量の榜示石跡があった。
鏡池堂という地蔵堂には六地蔵があるそうだが、なんと!33年に一度しか開かないという。次はいつなんでしょうか・・・
代わりに、六地蔵が彫られた石を撮影。石仏も数体あったが、形もわからないくらいになってしまっていた。
古東海道蹟碑(このあたりは昔瀬戸山があったが区画整理で切り崩されたとのこと)、東海道追分の碑を通り過ぎ、到着したのは無縁寺跡・延命地蔵。昔は大井川の河川敷が近かったとのことで、大井川から旅人の溺死体が漂着したという。
向かいの道を入っていたところに千貫堤・染飯伝承館がある。
誰もいなかったけれど、見学させてもらう(しばらくたってボランティアの方がやってきた)。ふーん、染飯、薄い小判型なんですね(三角もあったらしい)。今再現されて売っているのはもうちょっとふっくらしているようだけど、昔は携帯食だったので、くちなし(いろいろな薬効がある。足腰も強くなるらしい)で染めたおこわを伸ばして干し乾かしたものだったらしい。
うーん、ホントに食べられなくて残念だったなあ。
そして、千貫堤というは、大井川の氾濫から守るために築かれた堤防なのだけど、今はこの伝承館の裏にわずかに残るばかりである。
再び東海道に戻ったところにあるのが染飯茶屋跡。
そして、明治初年の学校、育生舎跡を通り過ぎてすぐに瀬戸踏切。ここは1959年当時、世界最高速度が記録され、新幹線誕生を担った場所であるとのことだ。
2へ続く
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