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2017年10月

2017/10/31

東海道五十三次歩き(第12回) 見付~浜松3

2より続き

国道1号線を越えると松並木が現れるが、残念ながらそれほど残っておらず、片側に少々あるのみ。前回の松並木の方が立派でしたねぇ。

1_3
八柱神社にはもちつきの松なるものがあった。なんでもちつきの松って言うんでしょう?
この神社には金原明善顕彰碑もあった。

題目碑を左に折れた先に妙恩寺。

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金原明善の菩提寺で、明善のお墓は立派。

3_3
家康お手植えのつげの木もあった。家康が三方原の戦いに敗れ、このお寺に身を隠したという話もあるという。

六所神社にはお宮の松があると書いてあったので言ってみたのだが・・・
昭和54年の台風被害により伐採されたそう。残念。

浜松アリーナを通りすぎた先に小さな川(宮井戸川)があり、そこにかかっているこれまた小さな橋が娵ヶ橋。
姑にいじめられた嫁が家出、追いかけてきた夫の前で剃髪した場所とか、夫婦げんかで家出した母子が身投げした場所とか・・・

すぐ先に、しそ巻で有名な六軒京本舗があった。パッと見、この日は営業しているのかどうかわからなかったが・・・
きっと浜松駅でも売っているに違いないとお店に入るのはやめる(入っておけばよかったのだが)。
しそ巻はおつまみにもご飯の供にもよい。

4_3
そのうち、鳥居が見えてきた。
案外地味な鳥居だが、これは蒲神明宮の鳥居。浜松で一番古い神社らしい。
東海道からは700メートル北にあるため、行くのは断念。

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龍梅寺には寄ってみる。
なぜかここにも二宮金次郎の像があったりしたが、有名なのは焼餅地蔵。

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お地蔵様が焼き餅を焼いた?
かと思ったら、焼いた餅を供えたということなんですね。

お寺を出てすぐのところに浜松酒造の蔵があった。
ちょっとのぞいてみると、小さな瓶も売っている模様。
ということで、おみやげに出世城の純米酒300ml×2本を購入。少々リュックが重くなったが、お酒のためならなんとやら(笑)。

馬込一里塚跡は駒札があるのみで(昔は両側に9メートルの土塁があった)、馬込橋を渡る直前に外木戸東門跡。いよいよ浜松宿に入る。
浜松宿は遠江・駿河を通じて最大の宿場で、箱根とともに本陣が6軒もあった。

宿に入ると浜松の中心街という感じで賑やかになってきた。

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夢告地蔵という地蔵が突如出現。
安政の頃大流行したコレラで亡くなった人たちを供養するため作られたという。

その先に三立製菓のビルがあったらしいのだが・・・
気付かず通り過ぎてしまった。
ワタクシ、源氏パイ、大好きなんですよねぇ。うなぎパイも好きだけれど。
浜松駅に源氏パイも売ってるんだろうか?

遠州鉄道の高架をくぐった先は上り坂となる。
交差点に浜松城大手門跡があり、東海道は左へと折れるのだが、せっかくなので浜松城に寄っていくことにする。

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区役所を曲がると大きく見えるお城。

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上がっていくと、本丸跡、一の丸跡があり、若き日の家康公の像もあった。

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石垣は当時のもので、野面積み。天守門の石垣は巨石が用いられている。

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天守門はいやにきれいだなあと思ったら平成26年に復元されたものとのこと。
天守閣は昭和33年、鉄筋コンクリート造りで再建されたもの。
そもそも天守閣が存在していたか・・・
広重の浜松宿の絵には描かれてるのだが。
家康後、豊臣の家臣であった堀尾吉春が築いたという記録はあるらしいが、その後なくなったということだろうか。
歴代城主が幕府の重臣へと出世したことから出世城と言われるお城である。

天守閣の入場料は200円。
中は資料館となっている。地下には井戸もあった。
3階は展望台になっており、北には三方原の古戦場(といってもどのあたりかわからず)、南には遠州灘、そして

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西には浜名湖が。天気がよくないのでどうかなと思っていたが湖が見えた!浜名湖の方はもうすっかり雨がやんでいるようだ。

4に続く

2017/10/30

東海道五十三次歩き(第12回) 見付~浜松2

1より続き

天竜川の土手が見えてきた。右に折れる直前に長森立場の看板がある。
間村の休憩所である。ここはまた長森こうやくというあかぎれや切り傷に効く薬が作られていたとのことだが、今はもうないそうだ。

1_2
道を右に折れ少しいったところを左に入ったところに天竜橋跡碑があった。
天竜川は元々渡船で渡っていたのだが、明治9年木橋が架けられた。その跡である。昭和に入って鉄橋ができたためこの橋は廃止され取り除かれている。

2_2
いよいよ天竜川を渡る。
以前は天竜川橋しかなく、しかしこの橋は歩道がなくて徒歩で渡るのは大変だったというが、新天竜川橋は広い歩道があり安全(正確には天竜橋の次に昭和40年完成したのが新天竜橋で今は下り専用の道路、平成20年にできたのが歩道のある新新天竜橋で上り専用)。
ちょうど雨が強くなり、川からの風も強く、ズボンも靴もビショビショ、最悪な気分の中、川を渡る。
ようやく渡りきると、浜松市に入った。

渡ってすぐのところにポケットパーク。中野町の案内版がある。
中野町は東海道の中間点にあって、それでなかのまちと名付けられたという。
それじゃあ袋井はどうなの?
いや、袋井はまん中の宿ってことですかね。
距離的になかのまちがまん中かどうかは・・・ちょっとわかりません。

そこから南へ進み、東海道はまた右に折れるのだが、その角に六所神社があった。

3_2
明治天皇玉座碑があり、また舟橋・木橋跡もあった。
ちょうど向こう側にも橋の跡碑がありましたね。
明治元年、天皇御東幸の際、船を並べ板を強いた仮設の舟橋が2日間だけ架けられ、その後最初の橋が出来たものの舟橋は洪水により度々流されたので、明治9年木橋が作られたとのことだ。写真を見ると柵があるわけでもなく、ちょっと危なっかしい気もする。
12

角を曲がると餃子のかめが見えた。浜松餃子にも惹かれるものがあったが、この日はうなぎを食べると決めていた。
すぐ先にある中川屋である。

11時15分過ぎだったが、すでに人がそれなりに入っている。
どれにしようか迷ったが、せっかくなのでこのお店の名物、うなぎとろろ茶漬けを注文。結構ボリューミーに見える。

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まず1杯目は、そのまま茶碗によそって食べる。
2杯目は、薬味をのせだし汁をかけて鰻茶漬けで。
3杯目はさらにとろろをかけて。
とろろというのが意外だが、ふわふわのとろろをかけるとさっぱりとするんですね。
脂ののったうなぎはおいしいけれど、最後はさっぱりというのもいいなと。
おなかいっぱいになったけれど、杏仁デザートもしっかりいただく。
いやはや、しばらくは動けないかもと思うほどだった。おいしい鰻で大満足。

重いお腹をさすりつつ出発。
雨も小降りになっていた。お店にいる間にズボンは乾いたようだが、靴下はまだ濡れたまま。

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鰻しか目に入っていなかったので気付いていなかったが、うなぎ屋さんのすぐ前に伊豆石の蔵があった。
江戸城の石垣にも使われたという伊豆石は耐火性にすぐれているらしい。

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この近くで浜松のマンホール発見。
なんの柄だろうと思ったら、浜松まつりの凧揚げ合戦の凧とのこと。
浜松市はもっといろいろなデザインのマンホールがあるらしいのだが、この日は他に見つけられず・・・残念。次回に期待したい。

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軽便鉄道軌道跡があった。
明治42年から昭和12年まで浜松から中野町を走っていたミニSL(のちにガソリンカーとなる)で、このあたりが終点。写真を見るとのどかな風景ですね。

そのすぐ先の松林寺は立派だった。庭も美しい。

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境内の薬師堂は、家光が浜松城主に命じて建立させたもので、寺自体は二度焼けているが、薬師堂は焼失をまぬがれたという。

9
そして見えたきたのは金原明善の記念館と生家。このあたりでちょくちょく聞く名前だが、天竜川の治水事業に全財産を投じたという偉人である。その他にも植林事業、出獄人の保護なども行ったらしい。
記念館は残念ながら木~日が開館日ということで、この日(水曜)は見られなかった。

広い県道へ合流する手前に姫街道との分岐点があり、安間一里塚跡もあった。
姫街道は東海道を歩き終えたら是非歩いてみたい。その際、池田の渡し跡も見よう。

10
安間川を渡り、国道1号線をくぐる手前の道を入ったところに、浜松領の榜示杭。ここから浜松藩領へと入る。

3へ続く

2017/10/29

東海道五十三次歩き(第12回) 見付~浜松1

前週に引き続いての東海道歩き。
この日行くかどうか、前の日ぎりぎりまで迷っていた。
元々雨がちの予報が出ていて、前日夕方の予報では昼近くまでは雨が少し降りそうだということで、それほど降らないならいいかと決行することに。
しかし、翌朝起きてみると、思ったより強い雨になりそうだし、3時くらいまで
やみそうもない・・・
まあしかし、もっと早くやむかも、と楽天的に考え、いつもの電車に乗ってお出かけ。

掛川から乗りかえるので、今回もこだまに乗る。

1
東海道線を待っていたところに、向こうのホームに入ってきたのは天竜浜名湖鉄道の車両。
前週、せっかく通ったのに見逃してしまったのを残念に思っていたが、よかった見られて。
しかも、期間限定で走っている直虎のラッピング列車である。

さて、磐田に降り立つと、雨は結構降っていた。途中静岡あたりではやんでいたのだが・・・

2
東海道は北口だが、まず南口に出る。駅前にある前島密像を見るため。
1円切手でおなじみの前島密の像がなぜここにあるのか?
それは、明治2年、中泉奉行(磐田駅も当初は中泉駅と言った)として前島密がこの地にやってきたから。
像の隣には、最初のポスト(書状集箱)を模して作られた郵便ポストが置かれている。あ、これ実際に使われてるものなんですね。

3
北口に移動、駅前にあるのが善導寺の大クス。
かつてこの場所にあった善導寺境内にあった樹齢700年のクスノキだが、善導寺自体は駅前の開発で移動している。

4
おや?クスノキの前にあるのは磐田市のイメージキャラクターのしっぺいですね。
しっぺいがあちこちにあって、なんだろう、このゆるキャラはって思っていたのだが、悉平太郎(怪物を退治した犬)だったんですね。

この広場は去年できたばかりとのことでキレイだった。

東海道歩きスタート。
さらに雨は強くなり寒い。

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まず最初に寄り道は、お弘法さま、そして伏見稲荷神社。小さいが真っ赤でとても目立つ。

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通りに戻ると、ジュビロくんが描かれたマンホールの蓋があった。

大乗院坂を下って県道に合流するすぐ手前に祠が。くろん坊(黒坊大権現)、咳や熱病の神様だ。昔、インド人の旅僧が強盗に襲われて亡くなり、この土地の人々が手厚く葬ったという。

ここからはしばらく県道を行く。

6
途中で、一里塚が。宮之一色一里塚で、63里目だ。この塚は昭和46年に復元されたもの。

7
その先に宮之一色秋葉山常夜燈。
1828年に建てられたもので、立派な竜の彫り物がある。
竜もアップで何枚か写真を撮ったのだけど、かなり雨が降っていて水滴がついてボケてしまった。残念。
この頃には靴の中も水がしみてきて、撥水性のあるズボンも徐々に濡れつつあった。
マップもビショビショで悲惨な状態になり、ビニールに包んだが、広げて見られないので大変だ。

8
長い参道が雨でぐちゃぐちゃだったが、若宮八幡宮に行ってみる。
なぜか土俵があったのだが、奉納相撲が有名だそうだ。

2に続く

2017/10/28

リラックマ ハンドタオル2枚セット

秋のリラックマフェア。
さすがにもうお皿やボウルはうちの食器棚に入らないな~どうしようかな~
と思っていたら、今回はハンドタオルのセット。
それなら是非欲しい!
ということでシールを集めました。

今回はあったという間に集まったのだけど、職場の皆さんの協力があってのこと。ワタクシが集めたシールはちょっとだけという(笑)

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タオルは2枚。茶色と黄色と。
34センチ×34センチで思ったより大きかった。

使いたいけど、なかなか使えそうもないなあ(笑)。

2017/10/27

サントリー ザ・モルツ ウィンタードラフト

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コンビニ限定のモルツ派生品。
モルツも最近はいろいろ出すんですね。

注いでみると、薄めの色。
飲んでみると、わりとあっさり目かな。
モルツがリニューアルして失望し、その後飲んでないのでわからないのだけれど、フツーのモルツとどう違うのやら。

2017/10/26

キリン グランドキリン IPA

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グランドキリン2本目はIPA。

注いでみると、やや濃い目の黄金色。
飲んでみると、ホップの香りがまずくる。
そして、ぐーっと苦みが。
これはまさにIPAですね。
JPLより好きかも?

ただ、瓶のとの違いはやはりわからずじまい。

2017/10/25

東海道五十三次歩き(第11回) 掛川~見付4

3より続き

すぐ先に裸祭りで有名な矢奈比売神社(見付天神社)の参道がある。

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上がっていくと待望の猫発見!この日、ようやく遭遇した猫たちは、にらみあって動かない。こちらには愛想はよ
かったけれど。

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赤い鳥居のところに精悍な犬の銅像がある。
しっぺい太郎だ。
昔々白羽の矢が刺さった家の娘を生け贄としてささげる風習があり、その怪物を退治したのがしっぺい太郎(信州からつれてきた犬)だということだ。
街中にいくにつれ、なんかゆるキャラがいる、犬かな?と思っていたのだが、この犬だったんですね。しっぺいというキャラと、後から知った。銅像とはだいぶ違うけど(笑)。

先を急ぐのでお参りはせず、通りへと戻る。
しっぺい太郎やあわ餅(この日、粟餅のお店井口製菓は休業日)、裸祭りなどのタイルが歩道に埋め込まれている。
予備校まで昔の建物風でおもしろい。

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静岡銀行前の問屋場跡を過ぎ、到着したのは見付学校。ここが4時半で終わってしまうので急いでいたのだ。

見付学校は明治8年に開校した、現存する日本で一番古い小学校。
木造の洋風建築で下の石垣は遠州横須賀城のもので、3階+2層=5階建てで、美しい建物だ。
受付でどこからきたかを書いて入場(無料)。スリッパに履き替える。

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中は昔の教室が再現されていたり、教科書の変遷、遊び道具、民俗資料、郷土資料などが置かれる資料館になっている。教室の人形が妙にリアル(笑)。

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伝酒井之太鼓もあった。三方原の戦いの際、家臣の酒井忠次が太鼓を打ち、武田軍は家康の策と思い攻撃を断念したというもの。
4階、5階からは外の景色が見える。上がる階段が急でスリッパが脱げてしまったが・・・靴下で歩いた方が安全じゃないのかなあ。

お隣にあるのが淡海国玉神社。

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祀られているのは大国主命。というわけで、狛犬ならぬ狛うさぎがいるのだった。右のうさぎは鞠、左のうさぎは子ウサギを持っている。

見付学校のためにちょっととばしてしまったところに戻る。
大見寺である。日本ではじめて空を飛んだ岡山出身の表具師、鳥人幸吉の墓があるとのことだったが、結局どこかわからなかった。岡山を所払いとなり、最後に見付に住んだという。

脇本陣の切妻屋根ののった門を撮影、マックスバリュでお茶を買い、おみやげに又一庵できんつば(普通のと芋と)を購入。1個は歩きながら食べようと思ったのだが、その後雨が降ってきたので断念・・・残念。
すぐ先左を入ると、日本左衛門の墓と伝わる墓石があるという見性寺があるようだったが、これまた断念。いつものことながら最後の方はカットが多くなってしまう。

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交差点を渡ると姫街道の道標。
そのまま細い道を直進すると姫街道だが、いずれこれはまた歩くことになるだろう。

左に折れたところに西木戸跡。見付宿を出る。

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その先を右に入ったところが西光寺。
山門は、家康が別荘として築かせた中泉御殿の門を移築したもの。
お寺は恋愛成就のパワースポット?らしいが、大楠が見事だった。この日はずいぶんと大きな木を見てきた。

次第に小雨が本降りに近くなってきて傘を取り出す。
ゴールまでもうちょっとというところでよかったと思う。

だいぶ日の入りも近づき暗くなってきたが、最後に府八幡宮に寄る。
ホントはもうちょっと明るい時間に見たかったところだけれど。

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楼門は1635年に建立され、数年前に大規模な修復工事を行ったもので、大変立派。
中門は1800年代に入って再建されたもの、本殿は1617年に建立されたものだそうである。

そして磐田駅へと向かう。

12_3
駅近くにジュビロのマスコット、ジュビロくん(静岡の県鳥サンコウチョウがモチーフになってるらしい)があったが、しっぺいもあったようだった。暗かったので次回のスタート時に撮影しよう。

磐田から掛川まで戻り、駅弁を買う。
前回の新幹線にはちょっと間に合わず6時半過ぎのに乗った。わりと空いている。

13
早速駅弁(&ビール)タイム!
今回は浜の釜めしである。うなぎがちょっぴりのっているのがうれしい。
ワタクシ的には結構なご飯の量だったが、よく歩いたので完食。歩いたあとのビールがおいしい。

東京駅で乗りかえ、帰宅は9時半だった。
帰宅まで46000歩ちょっと。今回もまずまず歩きました。
次は浜松へ!

(完)


2017/10/24

東海道五十三次歩き(第11回) 掛川~見付3

2より続き

思いがけない出会いに感激しつつ、先を急ぐ。

1_3
まずは東本陣公園。東本陣跡の冠木門がある。

2_3
向かいにはきれいに整備された袋井宿場公園。

3_3
問屋場跡、高札場が再現された本町宿場、明治天皇聖蹟碑、国貞の東海道五十三次(川崎宿で見た)の案内版を通り、今度は袋井西小学校。
こちらにも「東海道どまん中西小学校」の看板がかかっていた。

4_3
ちょっと急ぎ気味に歩いてきたのは、澤野医院記念館を見学するため。
だったのだが、なんと土日しか開いていないのだった。1727年にすでに内科医としてやっていたところで、洋館は大正時代、病棟は昭和一ケタの頃に作られたという。
残念だったが、少し余裕ができたことでホッとする(笑)。外観の写真を撮って先に進む。

寺沢家長屋門、津島牛頭天王社のお札が松並木で見つかり、ご祭神をお迎えしたという津島神社、広重の狂歌入り東海道五十三次の絵の案内版を見た先でうっかりそのまま県道を歩いてしまい・・・
慌てて戻り旧道に入る。

5_3
そこに立派な木原一里塚が。古文書の記録に忠実に再現されたものだという。

6_3
許禰神社の入口には、古戦場木原畷の碑及び家康腰掛石がある。
家康が大敗を喫した三方原の戦いの前哨戦となったのが木原畷の戦いである。
徳川の様子を探りにきて村人に殺された、武田勝頼の家臣笹田源吾の供養塔が裏の長命寺にあるようだったが、パス。
この人に由来する木原大念仏についての説明が書かれたゴミ集積所があった。

県道に合流、西木橋を渡ったところで磐田市に入る。

7_3
高さ19メートルの大楠があると聞いて須賀神社に行ってみる。
確かに大きい!そして、洞がおもしろい感じである。
しかし、ちょっと裏に回り込んでみたら・・・
上の方の洞にたくさんの蜂が出入りしてるじゃないですか。
刺されたら大変なので早々に退散する。

大田川を三ヶ野橋で渡り旧道に入ると、上り坂に松並木が見える。

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このそばに日本一とんぼがいる沼があるとのことで、磐田のマンホールはとんぼだった。

この先の山越えには7つの時代の道が通っている。
江戸以前の鎌倉の道、江戸時代の旧東海道、明治27年開通の明治の道、大正6年開通の大正の道、昭和30年開通の昭和の道、平成2年開通の平成の道と質屋通いの隠れ道(間道)があるという。この最後の道はよくわからなかった。隠れ道ですからね(笑)。

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マップによれば江戸の道を行くようになっていたが、どまん中茶屋の方が是非鎌倉古道を行きなさいと言っていたので、左に折れて鎌倉の道を行ってみる。

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この日は、こんな道を通る予定ではなかったのだけど(笑)。でも、おすすめに従って行ってみてよかったな。趣があって。

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登ったところにあるのが古戦場の大日堂。この高台からは袋井の方まで一望できたとのこと。確かにそうだった。
ここでしばし休憩。みかんとクリーム玄米ブランスイートポテトを食べる。
ゆっくりしようと思ったが、蚊の攻撃を受け退散・・・まだいるのか!
手の甲を刺されてしまった。

江戸の古道を下り、明治の道を上がっていく。明治の道は全然風情なし(笑)。
薬師堂の道標を右に折れた先に立場跡(峠の茶屋)があった。このあたりが峠だったと思われ、徐々に道は下っていく。ゆるやかに下った先は急激に下がる。
松並木がまた出てくるが、これは大正時代に整備されたものとのことだ。

「従是西 見付宿」の榜示杭があり、国道一号線に合流する。

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歩道橋を渡ると、小高くなったところに遠州鈴ヶ森の看板が見える。
相当急な階段を上がったところがそうだったのだが・・・
なんというか、ちょっと拍子抜け。品川の鈴ヶ森刑場跡のようなのを想像していたので・・・
強盗の日本左衛門の首がさらされたところだそうだが、供養塔があるのみ。

再び旧道へと入る。
秋葉燈籠、旧三本松を通り過ぎる。
見付宿は、東は三本松、西は一本松に挟まれた宿だったという。
ここから、坂を下っていく。

下った先に、木戸跡。
向かいに上がっていく愛宕神社内に一里塚があったようだが、少々先を急ぐのでパス。ここに上がると宿全体が見渡せたようなのでちょっと残念だ。

4へ続く

2017/10/23

東海道五十三次歩き(第11回) 掛川~見付2

1より続き

渡ってすぐのところに名栗花茣蓙公園があったが、小さな公園に人がぎゅうぎゅうだったので寄らずに通り過ぎる。ここは名栗の立場があったところで、絵柄を編んだ花茣蓙が名物だっという。

1_2
すぐ先に、ん?籠??
と思ったら、籠の形をしたゴミ集積所で、横に袋井名物の丸凧、正面に花茣蓙が描かれていた。

2_2
このあたり、右側には大きな工場が続くが、松並木がずっとあっていい雰囲気だ。ただ、歩道(右側にあり)は車道より一段下がっていて、道の向こう側に渡ろうとすると大変。

3_2
ずっと歩道を行けばよいのだけど、左側に時々浮世絵が飾られているので、どうしても渡らざるを得ない。これらの絵の案内版は企業の寄贈によって作られたもののようだった。この先、いくつも見ることになる。

4_2
突如現れた赤い鳥居は、冨士浅間宮の鳥居。
奥の本殿は国の重要文化財とのことで見学したいのはやまやまだったが、かなり遠いのでパスすることにした。

5_2
その先を左手に折れたところに妙法寺。
日蓮上人の両親の墓がある。中は見られなかったが、日蓮上人と両親の木造が安置されているという思親殿もあり、なかなかに立派なお寺である。
残念だったのは、遠州七不思議の一つである片葉葦(東国へ旅立った日蓮上人の父を偲んで茎の東側だけ葉をつけるという)がどこにあるのか見つからなかったことだ。

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「東海道五十三次どまん中東小学校」の看板のある袋井東小学校の敷地にあったのが、久津部一里塚跡。58里目である。この塚は再現されたもの。

油山道標(何カ所かあったがどの山?)、常夜灯、法多山道標(これもどの山?)、隷書東海道の浮世絵案内版と続く。袋井市は東海道に力を入れているとみえて、とても親切だ。

11時半を過ぎたところで昼食とすることにする。お昼時の混雑を避けるためなるべく早めのご飯がいい。
入ったのは、サガミという愛知の麺のファミレス。

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結構暑くなってきたはいたけれど、なべ焼きうどんと桜えびわっぱ飯のセットを注文。
いや~今年はホントによく桜えびを食べたけれど、そろそろおしまいかな?

英気を養ったところで出発。

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すぐ隣にあったのが七ツ森神社。
日坂宿に出没していた怪鳥を退治するため、桓武天皇に派遣された7人の節が返り討ちにあい命を落とし、憐れんだ村人たちが葬ったお墓だという。
本殿の裏からは久野城が見えるらしかったのだが、うっかり見過ごしてしまった。

8_2
ところで新しい市町村に入ったらマンホールの蓋を撮ることにしているのだが(昔からの趣味)、こちらは、まん中に袋井市のシンボルマーク、まわりに市の木であるマキがあしらってあるものだった。

本題に戻り・・・

9
新屋の交差点を左折してまた右折した先にあった秋葉常夜灯はとても立派だった。
瓦屋根にしゃちほこまでついた木造の常夜灯。今までみた常夜灯の中で一番立派かも?
袋井市内には木造、石あわせて十四基の常夜灯があるという。

市役所の先を右折するといよいよ袋井宿。東木戸だ。
この宿は570メートルほどしかなく、東海道でもっとも短い宿場町だったという。

10
ここにどまん中茶屋があり、寄っていくことにした。
ボランティアの方が交替で詰めているとのことで、お茶の接待もあり休憩ができる。このお茶がおいしい!
地図やパンフをいただき、一通り宿の説明を受け、もう一杯お茶はいかがと言っていただいたのだが、まだ先は長いので出発することにした。
外で写真を撮っていただいていたところ、1台の車が止まった。
なんと!青島クリーニング店の車。
街道ウォーカーのレジェンド?袋井宿の見張り番こと青島さんご本人が降りてきた!なんという偶然!
ということで、一緒に記念撮影をしてもらい、青島さんが通過証明書を発行してあげるからお店にきなさいと言って下さったので、茶屋のお二人に挨拶してクリーニング店に向かう。

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すでに87街道を歩かれ、東海道はもう6回も踏破されたとか!
お店には、各地街道のパンフや、歩く会のワッペンがたくさん。
お元気な姿に脱帽である(写真掲載の許可はいただいています)。
東海道袋井宿通過証明書と袋井宿通過証をいただき、お店を後にする。
青島さん、ありがとうございました!!
12

3へ続く

2017/10/22

東海道五十三次歩き(第11回) 掛川~見付1

3週間ぶりの東海道歩き。
今回は、前回のゴール掛川から見付(磐田)を目指します。

いつものとおり5時20分起床。
前回は静岡で乗りかえだったのでひかりに乗ったが、今回は掛川なのでひかりは止まらないためこだま。

1
前日までずっと雨だったが、奇跡的のこの日は天気が回復(翌日からまた雨)!
ということで、多少雲はかかっていたが、新幹線の中から富士山が見えた(大井川からも)。まだ雪はなし。

掛川駅に降り立って歩き始めは8時45分。

2
前回暗くなって撮影できなかった駅前の二宮金次郎の像を撮り、東海道へ戻ってスタート・・・
というか、前回少し通り過ぎて十九首塚までは見たので、そのあたりまではスタスタと行く。

袋井あたりまで寄ったり離れたりする逆川を渡り、倉真川(くらみがわ)にかかる大池橋を渡って右方向の道が秋葉街道である。昔は、秋葉信仰が流行し、多くの参拝者で賑わったとのこと。

広重の掛川宿の絵はこの橋から秋葉山を望むもの。
これが秋葉山かな~と思って撮った写真は全然方向違い(笑)。秋葉山は浜松市天竜区にあり、西方向だった。35キロほどあるらしい。どの山かわからなかったなあ。

3
この場所には遙拝所があり、道標や小さな祠があった。

4
先に進み、芭蕉天神と書かれた小さな石柱のところを入っていったところに、芭蕉天神と子育延命地蔵尊がある。
この芭蕉とは、松尾芭蕉ではなく植物の芭蕉。
入口のところにあった石仏は1756年のものとのことで、顔はちょっと判別できない。

無人駅の天竜浜名湖鉄道の西掛川駅を通り過ぎ(1両編成の電車が通ったようだか、ワタクシは見逃してしまった・・・残念)、小さな公園で柿を食べてプチ休憩。

再び歩き出した先に大池一里塚跡。蓮祐寺の角に標柱が残るのみ。
塚にあった松は明治時代の宅地化で伐採されたという。
この先に、松がちょっとだけ現れたが、ほんの数本。

あられ・おせんべいの平松商店を過ぎ(家におせんべいはたくさんあるので買わず)、瓦葺で煙突のある家が見えてきた。曽我鶴を出している曽我鶴酒造。お酒もおみやげにしたいのだけど重いので・・・

国道1号線をくぐる手前に小さな神社が。
高松神社だが、象の彫刻がおもしろい。
42

掛川バイパスをくぐり、続いて東名高速もくぐる。

5
「従是北岡津區」と書かれた石があった。大正4,5年に作られたものとのことで、この先、こうした石(道標)がたくさん現れた。だんだん写真を撮るのがめんどくさくなる(笑)。

ほどなく、善光寺と仲道寺に到着。
仲道寺は、昔はかったらここが中間地点だったからというが、実際のまん中はもうちょっと西の模様(昼過ぎに立ち寄ったどまん中茶屋で聞きました)。
善光寺は胃病厄除如来とのことだったので、胃弱のワタクシはしっかりお参りする。

6
7
掛川名物芋汁が食べられる椎ノ木茶屋(この日は休業日)のあたりから見事な松並木が続く。
松食い虫の被害で枯れてしまい、このあたりに残るのみとのことだ。
松の下にはたくさんのキノコがあった。椎茸の親分みたいだ。

このあたりは原川町。
掛川から1里18町、袋井まで33町の間の宿である。

8
金西寺(東海道を旅する人が餅を備えて、道中、足の痛みに悩まされないよう祈願したお寺・・・前々日新しい靴で靴擦れになってしまったので痛くならないようお祈りしました)に備える薬師餅を売る茶店他46軒もあって栄えたという。

北野天満宮(ここの秋葉常夜灯はイマイチ)を通り過ぎ、原野谷川を渡る。
ここのあたりの道はちょっとわかりづらい。案内板は出てはいるのだけど。
同心橋を渡ると、袋井市である。

2へ続く

2017/10/21

キリン グランドキリン JPL

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グランドキリン、以前は瓶だったが、今回缶で発売された。
コンビニ限定品である。

注いでみると、フツーの黄金色。
飲んでみると、結構ホップの苦みがきますね。
IPAではなくIPLでもなくJPL・・・つまりインディア・ペールラガーなのだけど・・・
まあIPL(インディア・ペールエール)の感じですかね。
度数もそれなりにあるし。
こういうの好きですね。

前に瓶でも発売されていたけれど、正直味の違いはわかりませんでした。

2017/10/20

「ツーリスト」

本日の映画

ツーリスト [Blu-ray]
movie-28 「ツーリスト」  The Tourist  2010年米仏

DIR:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
CAST:アンジェリーナ・ジョリー、ジョニー・デップ、ポール・ベタニー、ティモシー・ダルトン、スティーヴン・バーコフ、ルーファス・シーウェル
STORY:傷心を癒やすべくヴェネチアに向かったフランク。途中、見知らぬ美女エリーズに話しかけられ、行動を共にするフランクだったが・・・

☆☆☆ロマンティックミステリー。
ってことでいいよね?

フランス映画「アントニー・ジマー」のリメイクだそうなのだが、つかみはなかなかよろしい。
巻き込まれ型ミステリーで、ロマンスもからむ予感?
これ、好きなタイプの映画じゃない?ジョニデ&アンジーってのも期待できるし。
いや、わくわくするなあ・・・

と思っていたら、次第に雲行きが怪しくなり・・・
なんじゃ、その結末!
そのオチ!
不自然すぎるでしょ!

いやまあ、ジョニデが出てるんだから、ただじゃ終わらないだろうとは薄々は思っていたけれども、これはないよなと。

もうこの頃からアンジーはやせ細って見ていてつらいし。
キャストでよかったのは、P・ベタニー、T・ダルトン、R・シーウェルといった面々。つまり主役の2人以外。

この監督の前作「善き人のためのソナタ」は傑作だったのに、これはな~

2017/10/19

エリザベス・ウェイン『コードネーム・ヴェリティ』

本日の本

コードネーム・ヴェリティ (創元推理文庫)
book-22 『コードネーム・ヴェリティ』 エリザベス・ウェイン著 創元推理文庫

STORY:ナチスの捕虜となったイギリス特殊作戦部員の女性。彼女は親衛隊大尉に尋問をやめる代わりに、イギリスに関する情報を手記にするよう強制される。彼女が書いた手記は・・・

☆☆☆☆第二次世界大戦下が舞台のミステリー。

物語は第一部と二部にわかれる。
第一部は、スパイとして捕まった女性の手記で、なかなか読み進められなかった。
どうやら、自分がひどい目にあわないことと引き替えに情報を書くことを強要されているようなのだが、その手記はなぜか過去に大きくさかのぼり、親友との出会いから友情をはぐくみ、共に任務のために危険に飛び込んでいくという物語が綴られる。
いったい、この物語がどう転んでいくのか・・・
なんかじれったく、よくわからないまま読み進めていったのだが、どうもページがはかどらない。
雲行きが怪しいところで第一部が終わり、第二部へ。

すると・・・
第二部はもう一人の女性(第一部で登場する女性の親友)の視点からの物語gとなり、次々と第一部の謎が解けていくのである。
となると、読書もサクサクと進む。
そうか、そういうことだったのかと。
しかし、結末はちょっと想像しなかった展開で、切なくて、悲しくて・・・
そして、2人の女性の友情に感動・・・なのであった。

戦争がなかったら、境遇のまったく異なる二人はきっと出会わなかっただろうし、二人の友情が培われることもなかっただろうが、戦争のせいでつらく悲しく残酷な物語も語られることはなかった。もちろん、この本はフィクションだけれど、きっとこんな物語は現実にもたくさんあったに違いない。

ラスト、これは涙ものですね。
一筋の光が見えてジ・エンドであった。

2017/10/18

サントリー 金麦 琥珀のくつろぎ

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麦とホップ赤を飲んだ日に続けて飲んだのがこれ。
今年も出た金麦・琥珀のくつろぎ。
この日は赤い缶を連続で飲んだことになりますね(笑)

注いでみると、アンバー=琥珀色。
飲んでみると、麦とホップ赤に連続して飲んだせいもあるかもしれないけれど、比べるとすっきりした味わいに感じる。
焦げ味もマイルド、苦みもマイルド。甘さもそうあるわけではなくて、全体的にすっきり系。

悪くはないけれど、麦とホップの勝ち!

2017/10/17

サッポロ 麦とホップ 赤 FEST STYLE

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今年も出ました!麦とホップの赤。
ワタクシ、新ジャンルだと麦とホップ派ではないのだけど(金麦派)、赤はまずまずよく出来てると思うんですね。
今年はどうかしら?

注いでみると、アンバー。
飲んでみると、ぐっと焦げ味がきますね。甘みもあるけれど、焦げ味の方が勝っている。苦みよりも。

やっぱり赤はいいんじゃないでしょうか。

サッポロ 黒ラベル黒

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黒ラベルの黒ビールが出た。
缶が真っ黒!不思議な感じ。

注いでみると、漆黒。ま、黒ビールですから。
飲んでみると、まずはぐっと焦げっぽい香り。
味も甘みもあるけれど、渋みもあり、焦げ味も。
ただ、黒ビールにありがちな酸味はあまり感じられないですね。
わりと飲みやすいけれど、結構しっかりした黒ビール。

2017/10/15

アサヒ クリアアサヒ吟醸

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クリアアサヒの派生品。
すっかり忘れていたけれど、去年もコレ出てたんですね。全然覚えてない・・・
と思って去年の記事を見たら、もういいやって感じって(笑)
そっか、忘れ去りたかったんだな。

注いでみると、色はやや薄い。
飲んでみると、明らかにビールからは遠いですね。
度数が高いなって感じで、甘みはありながら、後味すっきり。さすが!クリア。

やっぱり・・・
来年も忘れて飲むのかしら(笑)

2017/10/14

キリン 一番搾り 青森に乾杯

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47都道府県の一番搾り、第11弾は山形県。
裏のイラストは紅花。缶全体の紅花カラーなんですね。

注いでみると、今まで一番くらい濃い目の色。
飲んでみると、ホップの香りがすーっとくる。
が、想像したより苦みはそれほどでなくて、ちょっと甘みを感じる。
あ、でもバランスはいいですね。

2017/10/13

キリン 一番搾り 青森に乾杯

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47都道府県の一番搾り、第10弾は青森県。
このイラストはなーに?
海に県が浮かんでる?基調の色は青。青森だから?海の色をイメージしたということらしいけど。

注いでみると、結構薄い色。
後味すっきりの一杯とあったけれど・・・
意外とそうでもないですね。度数が高いのもあるけれど、ちょっと濃い感じだし、最後に甘さも感じる。苦みよりむしろ甘みの方が強いような。
ということでホップもそれほど感じず。

悪くはないです。

2017/10/12

キリン 一番搾り 仙台づくり

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47都道府県の一番搾り、第9弾は宮城県。
裏のイラストは伊達政宗。

注いでみると、北海道よりは心持ち色は濃い。
飲んでみると、こちらも米が使用されているからかすっきりとはしているけれど、ホップの香りはふわっとくるし、苦みが若干感じられる。

北海道のと少し似ているけれど、こちらの方が好みかな。

2017/10/11

キリン 一番搾り 北海道づくり

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47都道府県の一番搾り、第8弾は北海道。
裏のイラストは何だろうと思ったら、夏の北海道、だそうな。ずいぶんざっくりとしてるな(笑)

注いでみると、色は薄い。
飲んでみると、すっきりとした味。
書かれているように、澄み切った味わいですね。決して薄いというわけでなく、ゴクゴクおいしく飲めるビール。
原材料として、麦芽、ホップの他に米。ということですっきりした味わいになっているのかもしれませんね。

2017/10/10

武蔵小金井:赤札屋 武蔵小金井店

土曜日、美術館のはしごをしたあと、武蔵小金井でお買い物。
すでに6時半すぎ。ちょうど赤札屋の前を通ったので、空いてたらここで飲んで帰るかとなった。
ここ、いつも混んでいて何回か入れなかったんですね。
今回は・・・ちょうど1席あいてました~

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速攻、お通しがやってくる。冷や奴。
そして生ビールを頼む。
牛すじ煮と長なすの博多漬けはすぐに到着。
って、だいたいすぐ出てくるのがスゴイよね。
牛すじはわりと大ぶりだけどとても柔らか。ちょっと七味をかけるとよろしい。
なすの博多漬けってなんだ?フツーのお漬け物だけれど・・・
その後生ビールを追加し、日本酒(澤乃井)も頼む。

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レバニラ炒め。
久々かも・・・

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いかげそ揚げ。
今年は30年ぶりのいかの不漁ということで、なかなか食べられません。

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鶏にんにく焼き。
翌日休みだからいいかなと。あ、でもにんにくは全然臭くはありませんでした(主観)。ほくほくでおいしい。

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大根サラダ(ハーフ)。
ここのサラダはフツーサイズを頼むと大変!
ということでハーフ。これでも結構あるけどね。

お酒控え目で終了。
また来よう!

東京都小金井市本町6-14-28 アクウェルモール 2F


2017/10/09

【生誕120年東郷青児展】

art-42 【生誕120年東郷青児展】 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館

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朝倉彫塑館に行ったのち、損保ジャパンで東郷青児展を見て参りました。

実は、ワタクシ、東郷青児はあまり得意ではなく・・・
しかし、この展覧会は初期~晩年まで見られるし、先日の日曜美術館でもやっていて、ちょっとだけ興味を持ったので行ってみることに。

第1章 内的生の燃焼 1915~1928年  Flame of the Inner Life
この第1章が一番興味深かったですね。
東郷青児が作風を確立する前に修業時代。
ヨーロッパに渡って、キュビズム、未来派などの影響を大きく受けての作品。
これが意外といいんですね。
作風は全然定まっていないのだけど、ワタクシ、こういう作品の方が好き。
キュビズム風あり、もうちょっと後のピカソ風あり、カンディンスキー風あり・・・
それでもこの時代からちょっぴり東郷青児風な作品も見受けられた。

第2章 恋とモダニズム 1928~1930年代前半  Love and Modernism
時代が進むとモダニズム・・・というかシュールな絵に。
この美術館のロゴマークにもなっている「超現実派の散歩」。この題名もよくわからないけれど、まさにシュルレアリズム。古賀春江などと親和性があるような・・・
どうでもいいことだけれど、この作品も片方の手だけ手袋をし、片方だけ靴を履いているのだが、他の作品でも片方だけソックスだかストッキングをはいていて・・・これってどういう意味なんだろう?
そして、この展覧会で一番気にいったのが、「月に吠える」。単純化されたシュールな犬と月。これ、マグネットがあったら買ったんだけどなあ。

第3章 泰西名画と美人画 1930年代後半~1944年 Western Style Masterpieces and Portraits of Beauties
ほぼ東郷青児の完成形である絵が並ぶ。
その中で興味深かったのは、藤田嗣治との競作。
京都の丸物百貨店というデパートの壁画だったのだが、それぞれ非常によく特徴が出ているのである。
フジタのを見ればああやっぱりフジタと思うし、東郷青児はその特徴が現れつつあるし。
ちなみに「海山の幸」という作品では、フジタの手も入っているらしいのだが、やはり海のものをフジタが描いたんでしょうね。壁画もフジタは「海の幸」、東郷は「山の幸」だったので。

第4章 復興の華 1945~1950年代  Flower of the Recovery
東郷青児ワールド全開!
白い髪、ベタッとした塗り、様式化された女性。
これがちょっと苦手なんですね。マリー・ローランサンがあまり得意でないのと同じ意味で。
でも、雑誌や本の装丁なんかにはあうのかなとは思いましたね。
デザイン的なのであうと思う。
この章で一番よいと思ったのは、晩年の作品「若い日の思い出」。柔らかな雰囲気がよいです。

東郷青児の作風の変遷がよくわかる展覧会。
是非どうぞ。

2017/10/08

【猫百態―朝倉彫塑館の猫たち―展】

art-41 【猫百態―朝倉彫塑館の猫たち―展】 朝倉彫塑館

前々から行ってみたいと思っていた朝倉彫塑館に、やっと行くことができました!
猫の展覧会をやってると聞いたからにはいかざるをえません・・・

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日暮里駅から約5分。
玄関はコンクリート造のアトリエ棟の方にあり、靴はぬいでビニールに入れて持って歩く。

入ってすぐに猫がお出迎え。
「餌はむ猫」。食べてるのは魚?煮干し?
ぐるっとアトリエを見渡すと猫、猫、猫・・・
なのだが、ん?この大きいのは大隈重信像?
早稲田にあるのと同じように見えるけど・・・
どうやら、3つ作ったらしく、こちらにあるのは2番目に作ったものらしい。
早稲田で見ると立て看だらけで(今はどうなのか?)そうそう近づいて見られなかったものだけど、近くで見てみると実に大きく堂々としている。

アトリエは天井が高く、三方から光も入って開放感があるが、なんでも地下には電動昇降台の装置があるらしい。これで高さを変えて、かがんだり無理な姿勢をしなくても作ることができたということのようだ。

眠る猫、獲物の捕らえる猫、子猫たち、のびをする猫、歩く猫、じっと何かを狙う猫、首の後ろをつままれた猫・・・
いろいろな姿の猫が、アトリエだけでなく、住居棟の方にも展示されている。
アトリエで一体、散歩中とあってどこにいるのかなあと思ったら、二階の和室でくーくーと眠ってました!

どの猫たちもよく特徴をとらえていて、リアル。
多いときで15,6匹の猫を飼っており、よくよく観察した結果、まるでホントに生きているかのような猫たちができたのだろう。
いや~かわいい!彫刻好きの方だけでなく、猫好きな方も必見!

1964年、東京でのオリンピック開催が決まった時、オリンピックにあわせて猫百態展を企画したものの、その年の4月に急逝、この願いは叶わなかったという。猫100匹、見てみたかったですねぇ。

アトリエの最後に、代表作の1つ、「墓守」があり、その後住居棟へと入る。
まずは書斎。
画家であり舞台美術家である娘、朝倉摂(昔、ヤマトタケルを見たな~)のスケッチ(これまた猫がかわいい)、書簡なども展示されていた(前期のみ)。
蔵書がすごい数だが、恩師の先生の蔵書を借金までして買い戻したものだとか。

中庭も素敵。どこから見ても絵になります。
建物内部と中庭は撮影NGなのが残念ですねぇ。昔はOKだったらしいのだけど。

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天王寺玄関からは外に出ることができる。これまた趣がありますね。

居間、茶室、寝室、ピアノの間を中庭を囲むようにぐるりと見学したあとは2階へ。素心の間からの中庭の眺めも美しい。

3階に上がったところにあるのが要人をもてなすために使用したという朝陽の間。部屋の中は赤い瑪瑙壁、外の壁は貝を混ぜたという白い壁でコントラストが素晴らしい。

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そこから屋上に上がることができる。是非とも晴れた日にいくべきですね。
朝倉文夫は、菜園として使用していたそうだが、今は庭園となっている。
大きなオリーブの木があり、「砲丸」(これは玄関からもちらっと見えている)と「ウォーナー博士像」という作品もある。
この当時、屋上に菜園があるというのは画期的だったんでしょうね。

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下って、アトリエ棟の2階にある蘭の間へ。
かつて蘭の栽培室(蘭の栽培が趣味だったという)として使用されたという。建物の中ではここだけ撮影OKだった。
ここに、AKN(朝倉の猫!)総選挙投票場所があって3つまで投票できるということでワタクシも投票。
迷ったのだけど、「吊された猫」、「のび」、あと題名は忘れてしまったが寝ている猫にした。次点、「餌ばむ猫」。

これで終了。

彫刻も素晴らしいけれど、邸宅も素敵です。
是非一度!

2017/10/07

新宿3丁目:大阪王将 新宿店

本日、仕事でした。
連休つぶし・・・
仕事を終えての昼食です。

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新宿3丁目まで歩いて大阪王将へ。
餃子の王将は入ったことあるけれど、大阪王将ははじめて。

もちろん餃子だけではなくていろいろメニューはあって、迷ったのだが・・・

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ワタクシはしょうゆラーメンと・・・

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元祖焼餃子のセット。

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同居人は、炒飯と元祖焼餃子のセット。

どれもフツーにおいしいですね(褒め言葉)。
スタンダードな味って感じ。
奇をてらったり、ゴテゴテじゃなくてよろしいです。
餃子は、キャベツかな。にんにくも入っていていいお味。

ワタクシ、餃子の王将よりこっちの方が好きかも・・・

東京都新宿区新宿2-11-7 第33宮廷ビル 1F

2017/10/06

「Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!」

本日の映画

Mr. ビーン カンヌで大迷惑?! [Blu-ray]
movie-27 「Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!」  Mr.Bean's Holiday  2007年英

DIR:スティーヴ・ベンデラック
CAST:ローワン・アトキンソン、エマ・ドゥ・コーヌ、ウィレム・デフォー
STORY:教会のくじで南フランス滞在一週間とビデオカメラをあてたビーンは早速カンヌへと向かう。ロシアの映画監督とその息子と知り合うが、ビーンのせいで親子ははぐれてしまい・・・

☆☆☆ミスター・ビーンの映画化第2弾。

昔、Mr.ビーンのテレビシリーズは好きでよく見ていたものだが、映画第2弾はちょっとイマイチ・・・
なので、第2弾もどうかな~と思っていた。

やっぱり、長尺になるとビーン、ちょっと辛いというか・・・
短い時間で終わると、わはははと笑っておしまいにできるのだけど、長いとちょっとくどい感じになっちゃうんですね。
前作よりはちょっと抑えめかな?とは思ったけれど、やっぱりテレビくらいがいいなあ。
何せ、キャラ立ちすぎてるし、お芝居大仰だし、アク強すぎるし・・・

って全然褒めてないけれど、ワタクシ、テレビシリーズは好きなんです(笑)

今回、ビーンより笑ったのは、W・デフォー演じる映画監督と、カンヌ映画祭をおちょくったシーン。
前衛芸術みたいでよくわからない、超退屈な映画を撮る監督に対し拍手は盛大にするけれど、みんなグーグー寝てしまう・・・
カンヌって何分スタンディングオベーションがあったとか言うけれど、ホントに感動したりよかったと思ってるかどうかは疑わしいですからねぇ。

さすがにもうビーンはなし?
と思ったら、わりと最近アニメはやってるんですね。

2017/10/05

榛名山 ぐんまちゃんカップ

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群馬みやげにいただいたワンカップ。
ぐんまちゃん、かわいい~
これ見たら絶対買っちゃいますね。

中身はというと・・・
高崎の牧野酒造の榛名山本醸造なんである。
クセがなくて飲みやすいお酒。

これ、カップは絶対捨てられません・・・

2017/10/04

東海道五十三次歩き(第10回) 金谷~掛川4

3より続き

ここまで結構ハイペースで歩いてきた。
というのも、掛川城を見学したかったから。城主はかなり変遷があるが、なんといっても山内一豊のイメージですね。

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10年ほど前に再建された大手門(確かに新しい!)をくぐった先に三光稲荷。

3_3
四足門をくぐりいよいよ掛川城へ。このお城の天守閣も150年ぶりに平成6年再建されたもの。
上からの眺めは大変よいが、残念だったのは富士山が見えなかったこと。
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続いて掛川城御殿を見学(これらは共通券で見られる)。
この御殿は一回地震により壊れたものの、1861年には再建されている。約20部屋もある大きな御殿だ(天守閣から見ても大きかった)。
なぜか杉良太郎が寄贈したという甲冑もあったりしたが、大名行列の模型の方がおもしろかった。
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お土産やさんに寄ったあと、お城に急ぐため通り過ぎてきてしまった天然寺へと戻る。

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ここには、鎖国中の江戸時代(1790年)、オランダの貿易商ヘンミィの蒲鉾型のお墓がある。将軍家斉に謁見した帰り、長崎に戻る途中でこの地で亡くなった人とのことだ。

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この前で恒例、マンホールの蓋も撮影。掛川城ですね。

この街、金融機関の建物がスゴイ!

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掛川信金。

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そして清水銀行。レリーフは山内一豊夫妻である。

少々へばってきたので、コンビニで買ったたい焼きをほおばりつつ、圓満寺(掛川城の蕗の門が移築されている)を通り、西の番所跡を過ぎる。

成田山東光寺入り口脇に秋葉常夜燈。

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そこからちょっと入ったところに、十九首塚があった。
平将門ら19人の首実検が掛川で行われ埋葬されたとのことだが、この十九首塚はかなり新しい。移築されたものらしい。地名もこのあたりは十九首だったりする。

そろそろ暗くなったのでこの辺で駅へ向かうことにする。

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大正からやっているキネマ食堂では猫に遭遇(3匹目)。
その後も白黒猫に遭遇(この写真はボケボケなのでカット)。

十九首塚史跡公園にいらしたおばあさんが、椋鳥がこのあたりに集合して駅前に向かうのよと言っていたが・・・
ホントに駅前は怖かった、椋鳥だらけで。

駅に到着、浜松三ヶ日牛&遠州しらす弁当と出世法師直虎ちゃん弁当(これは今年いっぱいで販売終了らしい)を購入、6時過ぎの新幹線に乗る。

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静岡駅で席を移り、お弁当を食べる(ワタクシのは直虎ちゃん)。
井伊家の赤をイメージした鶏肉のパプリカ焼き、有頭海老、キャベツ餃子紅生姜天、パプリカ素揚げに、浜松っぽいみかんご飯(うなぎ佃煮がのってる)、しらすご飯、みかんわらび餅など。なかなかバラエティに富んだお弁当だった。もちろん!ビールも飲みましたけどね。
直虎と掛川って何の関係があるかと思ったら、許嫁の直親が掛川十九首で掛川城主の朝比奈泰朝(今川の重臣)に殺害された、ということらしいです・・・

帰宅は9時。早く帰ってきたのは、日の暮れるのが早くなったから。
これからさらに日暮れが早くなるので大変だなあ。
47000歩弱。よく歩きました。

次回は10月後半、掛川から見付宿(磐田)を予定しています。

(完)

2017/10/03

東海道五十三次歩き(第10回) 金谷~掛川3

2より続き

1_2
問屋場跡、脇本陣黒田屋跡の先に藤文。
日坂宿最後の問屋役を務めた伊藤文七邸である(日本最初の郵便局の一つと言われる郵便取扱所も開設)。中庭には白壁の土蔵がある。
休日は見学できるようだ。

2_2
3_2
萬屋(庶民が泊まった旅籠)、川坂屋(上級旅籠で士分格の人泊まった)と続くがいずれも見学可能なのは休日のみ。残念だ。

4_2
向かいの相伝寺(遠江三十三観音霊場の二十一番札所)に秋葉常夜燈(前述)。延命地蔵菩薩、馬頭観世音菩薩、六地蔵などもある。

5_2
古宮橋のたもとに高札場(再現)。古い感じが昔からあったんじゃないかと思わせる。
逆川を渡る。この先、袋井まで東海道はこの川とつかず離れずいくらしい。

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そして3つめの秋葉常夜燈。
よし!全部撮影した(笑)。

6_2
その先に事任本宮。
階段が271段もあり、これまでアップダウンが結構あった身にはちと辛い。

7_2
降りた先に事任八幡宮。
願いが思いのままに叶うありがたい言霊社。枕草子にも書かれている。
大きなクスノキ、大杉もある。

ここからは県道を行く。
途中、道の駅掛川にて休憩。

8_2
お昼が軽かったのでおでんを食べる。
さすが静岡、黒はんぺんもあったけれど、この辺はもう味噌なんですね。
この中にあったセブンイレブンでお茶を買おうと思ったら、日坂のお茶と掛川のお茶があり・・・結局日坂のお茶を購入。濃いお茶でとてもおいしい。

9_2
バイパスをくぐった先に塩井神社。板を渡しただけの橋を渡っていく。
階段を上がるところで、ひええええ、小さい蛇を踏んでしまった・・・

その後旧道に入る。

10_2
俳人伊藤嵐牛(知りませんでした)生誕の碑、太字で書かれた福天権現(願掛けに御利益あり)の碑、伊達方一里塚(本来はもっと西あったとのこと)、大頭龍神社(菊川の大物主命を祀る)、歌人石川依平(この方も知りませんでした)出生の碑と続く。

国道1号線に合流するがすぐにまた旧道へ。
先の尖った竹の囲いの諏訪神社、六地蔵を通り、再び国道に合流。しばらくは国道を行く。

11_2
本村橋でまた逆川に接近、その後再び旧道へ。
その入り口に馬頭観音があった。ここの馬頭はちゃんと見えましたね。

12
川崎湊(牧ノ原)へ続く川崎街道の起点となったところに、大頭龍大権現・福天権現の道標があり、馬喰橋(馬の顔をデザインをしたおもしろい欄干があったらしいのだが見損なう)の先に常夜燈と葛川一里塚。
その向かいにあるのが振袖餅で有名なもちやがあったがあいにくとお休み。
これ食べたかったのになあ。残念無念・・・

13
そしてこの先はいよいよ東海道七曲。敵を容易に侵入させないための構造だ。
数えるとホントに七つあった!途中標識がなくてちょっとわかりづらいが・・・
途中、秋葉常夜燈や塩の道の分岐点もある。
終点には木戸と番所があったとのこと。

4へ続く

2017/10/02

東海道五十三次歩き(第10回) 金谷~掛川2

1より続き

四郡橋(4つの郡にまたがっているから、東海道がこの川を渡って直角に折れる横折れがなまったなどの説あり)を渡ると、青木坂がはじまる。
平均斜度18度、最大48.7度で長い長い坂だ。
あたり一面茶畑で、上にとりつけられた扇風機がうらやましい・・・
でもこの扇風機、暑さのためじゃなくて、防霜のためのものだとか。なるほど!

急坂をぐいぐい登っていたら暑くなって、半袖一枚に。
20分あまり登ってようやく頂上あたりかというところで、接待茶屋跡があり、すぐその先に久延寺が。
1
山内一豊が家康をもてなした茶亭跡や、そのお礼で家康が植えたという五葉松があったりするが、なんといっても夜泣石伝説で有名だ。広重の絵にも描かれている。
2
妊婦が賊に殺され、その魂がそばにあった丸石に乗り移り夜ごと泣いた。子供は助かってこのお寺の和尚に飴で育てられ、大人になって母の仇をうつ(超ダイジェスト版・・・笑)というお話。
その夜泣き石が境内に置かれているが、国道1号線トンネル脇にも石があり、そちらの方が本物ではないかという説が有力のようだ。
この日は猫を4匹見たが、1匹目がこの子。気持ちよさそう・・・
3

4
今は休日しかやっていないようだが、子育飴(和尚がこの飴で育てたという)を売っている扇屋があった。

お寺の前あたりから、日坂宿手前まで、歌碑、句碑が次々と出てくる。
阿久尼句碑、西行歌碑、蓮生大師句碑、紀友則句碑、藤原家隆句碑、壬生忠岑句碑、芭蕉句碑・・・
これだけ、小夜の中山が詠まれているとは!
全部写真には撮ったのだけど、全部は載せられないので・・・
こちらは、阿久尼句碑。
5

6
小夜の中山公園を過ぎると右手が開けており、栗が岳が見える。
おおっ、これか!「茶」という文字が見えますね。

7
その先に小夜鹿一里塚。
猫もおまけに(笑)。

うっかり、鎧塚は通りすぎてしまったが・・・

8
駿遠変電所の鉄塔群、馬頭観音、芭蕉が句を下で詠んだという涼み松にちなんだ広場があり、そして夜泣石跡。
明治元年、東京の博覧会に出品されるまではここに夜泣石があっということだ。広重の絵がはめこまれた石もおかれている。

9
少し行くと沓掛稲荷神社があり、家を数軒過ぎると、下りの急坂となる。詠み人知らずの歌碑を過ぎると二の曲がり。急カーブが続く。
日坂バイパスを越えるといよいよ日坂の宿である。
各家には昔(天保11年当時)の屋号を書いた木札が下がっている。古いのもあればとても新しいのもあるが。

10
日坂宿はしばしば火災にあったため、秋葉信仰が盛んだったということで、秋葉講を結成、分社や常夜燈を各所に作ったという。
日坂宿にも本陣入口、相伝寺境内、古宮公会堂脇にあったとのことだが、この本陣入口のものは老朽化し、平成10年に復元されたものだそうだ。

11
本陣(屋号は泉屋)は非常に広かったようだが(昔の間取り図があった)、今は建物はなく広場となっている。
ここでちょっと休憩。
おにぎり、きゅうり、りんご、柿を食べる。
後ろをコミュニティバスが通っていったが、終点からは栗ヶ岳に行けるようだった。

3へ続く

2017/10/01

東海道五十三次歩き(第10回) 金谷~掛川1

前の週に引き続いて東海道歩き。
今回は小夜の中山峠を越えるので雨なら中止しようと思っていたが、なんとかこの日までは持ちそうなので決行。

いつもと同じ5時20分に起床し、出発。
東京駅に着いたところで、電車が人身事故でとまったというアナウンス。あと1本後のだったら危なかったな~
今回はいつものこだまではなく、1本後のひかりに乗る。
静岡から乗りかえるのでひかりの方が早く到着するのである。

朝食のパンを食べたあと寝ていく。どうやら、富士山は見えたらしい。

静岡駅で東海道線に乗りかえ前回のゴール金谷駅まで。
歩きはじめたのは9時少し前だった。

ほどなく金谷大橋跡(金谷宿の西入口)を通る。
不動橋をわたって右手に入る道は、小夜の中山の急坂を避けるために明治13年に作られた有料道路中山新道。この道は東海道線ができて利用者が激減し、有料道ではなくなったという。

1
道祖神をすぎ、国道を越えるといよいよ旧東海道石畳入口だ。
1862年石畳が敷かれたものの、宿の廃止ではがされ、コンクリート舗装になってしまった。それを、平成3年町民によっって430メートルが復元されたもの。ところどころ苔が生えていて、確かに雨が降ったらすべりそうだ。

2
鶏頭塚、庚申堂を過ぎると赤いのぼりが見えてくる。
すべらず地蔵尊である。ここの石は滑らないので受験や商売など願いが叶うとか・・・中のお地蔵さんはかわいらしい。
3

このあと石畳は終わり、車道へと合流する。
芭蕉の句碑(「馬に寝て残夢月通し茶の畑」野ざらし紀行)を過ぎると、早速茶畑が見えてくる。
4

5
すぐ先右手に入ったところに諏訪原城跡。
武田信玄が築いた金谷城を勝頼が臣下に命じ、拡大築城させた山城で、城内に諏訪大明神を祀ったことが名前の由来。堀などが残る。

6
東海道に戻り、馬頭観音を見て県道を渡ると、菊川坂に入る。石畳を下っていく。
ここも、平成13年611メートルの石畳が復元されている。
その石畳が終わり、道路を横切ると江戸時代の石畳が160メートルのみ残る。だいぶ埋もれてしまっている感じだ。
7

その先の集落のあたりは間の宿菊川。
金谷と日坂の間は短いが、急所難所が続くため間の宿が設けられた。
間の宿では宿泊のみならず、本格的な料理を出すことも禁じられていたとのことで、このあたりの名物は菜飯田楽だったらしい。

8
菊川の里会館は残念ながら平日はやっていない。
その前に承久の変で捕らえられた藤原宗行卿の辞世の漢詩、また元弘の変で捕らわれた俊基の歌の碑、そして
菊花紋の石があった。

2に続く

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