東海道五十三次歩き(第11回) 掛川~見付1
3週間ぶりの東海道歩き。
今回は、前回のゴール掛川から見付(磐田)を目指します。
いつものとおり5時20分起床。
前回は静岡で乗りかえだったのでひかりに乗ったが、今回は掛川なのでひかりは止まらないためこだま。
前日までずっと雨だったが、奇跡的のこの日は天気が回復(翌日からまた雨)!
ということで、多少雲はかかっていたが、新幹線の中から富士山が見えた(大井川からも)。まだ雪はなし。
掛川駅に降り立って歩き始めは8時45分。
前回暗くなって撮影できなかった駅前の二宮金次郎の像を撮り、東海道へ戻ってスタート・・・
というか、前回少し通り過ぎて十九首塚までは見たので、そのあたりまではスタスタと行く。
袋井あたりまで寄ったり離れたりする逆川を渡り、倉真川(くらみがわ)にかかる大池橋を渡って右方向の道が秋葉街道である。昔は、秋葉信仰が流行し、多くの参拝者で賑わったとのこと。
広重の掛川宿の絵はこの橋から秋葉山を望むもの。
これが秋葉山かな~と思って撮った写真は全然方向違い(笑)。秋葉山は浜松市天竜区にあり、西方向だった。35キロほどあるらしい。どの山かわからなかったなあ。
この場所には遙拝所があり、道標や小さな祠があった。
先に進み、芭蕉天神と書かれた小さな石柱のところを入っていったところに、芭蕉天神と子育延命地蔵尊がある。
この芭蕉とは、松尾芭蕉ではなく植物の芭蕉。
入口のところにあった石仏は1756年のものとのことで、顔はちょっと判別できない。
無人駅の天竜浜名湖鉄道の西掛川駅を通り過ぎ(1両編成の電車が通ったようだか、ワタクシは見逃してしまった・・・残念)、小さな公園で柿を食べてプチ休憩。
再び歩き出した先に大池一里塚跡。蓮祐寺の角に標柱が残るのみ。
塚にあった松は明治時代の宅地化で伐採されたという。
この先に、松がちょっとだけ現れたが、ほんの数本。
あられ・おせんべいの平松商店を過ぎ(家におせんべいはたくさんあるので買わず)、瓦葺で煙突のある家が見えてきた。曽我鶴を出している曽我鶴酒造。お酒もおみやげにしたいのだけど重いので・・・
国道1号線をくぐる手前に小さな神社が。
高松神社だが、象の彫刻がおもしろい。
掛川バイパスをくぐり、続いて東名高速もくぐる。
「従是北岡津區」と書かれた石があった。大正4,5年に作られたものとのことで、この先、こうした石(道標)がたくさん現れた。だんだん写真を撮るのがめんどくさくなる(笑)。
ほどなく、善光寺と仲道寺に到着。
仲道寺は、昔はかったらここが中間地点だったからというが、実際のまん中はもうちょっと西の模様(昼過ぎに立ち寄ったどまん中茶屋で聞きました)。
善光寺は胃病厄除如来とのことだったので、胃弱のワタクシはしっかりお参りする。
掛川名物芋汁が食べられる椎ノ木茶屋(この日は休業日)のあたりから見事な松並木が続く。
松食い虫の被害で枯れてしまい、このあたりに残るのみとのことだ。
松の下にはたくさんのキノコがあった。椎茸の親分みたいだ。
このあたりは原川町。
掛川から1里18町、袋井まで33町の間の宿である。
金西寺(東海道を旅する人が餅を備えて、道中、足の痛みに悩まされないよう祈願したお寺・・・前々日新しい靴で靴擦れになってしまったので痛くならないようお祈りしました)に備える薬師餅を売る茶店他46軒もあって栄えたという。
北野天満宮(ここの秋葉常夜灯はイマイチ)を通り過ぎ、原野谷川を渡る。
ここのあたりの道はちょっとわかりづらい。案内板は出てはいるのだけど。
同心橋を渡ると、袋井市である。
2へ続く
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