東海道五十三次歩き(第12回) 見付~浜松3
2より続き
国道1号線を越えると松並木が現れるが、残念ながらそれほど残っておらず、片側に少々あるのみ。前回の松並木の方が立派でしたねぇ。
八柱神社にはもちつきの松なるものがあった。なんでもちつきの松って言うんでしょう?
この神社には金原明善顕彰碑もあった。
題目碑を左に折れた先に妙恩寺。
金原明善の菩提寺で、明善のお墓は立派。
家康お手植えのつげの木もあった。家康が三方原の戦いに敗れ、このお寺に身を隠したという話もあるという。
六所神社にはお宮の松があると書いてあったので言ってみたのだが・・・
昭和54年の台風被害により伐採されたそう。残念。
浜松アリーナを通りすぎた先に小さな川(宮井戸川)があり、そこにかかっているこれまた小さな橋が娵ヶ橋。
姑にいじめられた嫁が家出、追いかけてきた夫の前で剃髪した場所とか、夫婦げんかで家出した母子が身投げした場所とか・・・
すぐ先に、しそ巻で有名な六軒京本舗があった。パッと見、この日は営業しているのかどうかわからなかったが・・・
きっと浜松駅でも売っているに違いないとお店に入るのはやめる(入っておけばよかったのだが)。
しそ巻はおつまみにもご飯の供にもよい。
そのうち、鳥居が見えてきた。
案外地味な鳥居だが、これは蒲神明宮の鳥居。浜松で一番古い神社らしい。
東海道からは700メートル北にあるため、行くのは断念。
龍梅寺には寄ってみる。
なぜかここにも二宮金次郎の像があったりしたが、有名なのは焼餅地蔵。
お地蔵様が焼き餅を焼いた?
かと思ったら、焼いた餅を供えたということなんですね。
お寺を出てすぐのところに浜松酒造の蔵があった。
ちょっとのぞいてみると、小さな瓶も売っている模様。
ということで、おみやげに出世城の純米酒300ml×2本を購入。少々リュックが重くなったが、お酒のためならなんとやら(笑)。
馬込一里塚跡は駒札があるのみで(昔は両側に9メートルの土塁があった)、馬込橋を渡る直前に外木戸東門跡。いよいよ浜松宿に入る。
浜松宿は遠江・駿河を通じて最大の宿場で、箱根とともに本陣が6軒もあった。
宿に入ると浜松の中心街という感じで賑やかになってきた。
夢告地蔵という地蔵が突如出現。
安政の頃大流行したコレラで亡くなった人たちを供養するため作られたという。
その先に三立製菓のビルがあったらしいのだが・・・
気付かず通り過ぎてしまった。
ワタクシ、源氏パイ、大好きなんですよねぇ。うなぎパイも好きだけれど。
浜松駅に源氏パイも売ってるんだろうか?
遠州鉄道の高架をくぐった先は上り坂となる。
交差点に浜松城大手門跡があり、東海道は左へと折れるのだが、せっかくなので浜松城に寄っていくことにする。
区役所を曲がると大きく見えるお城。
上がっていくと、本丸跡、一の丸跡があり、若き日の家康公の像もあった。
石垣は当時のもので、野面積み。天守門の石垣は巨石が用いられている。
天守門はいやにきれいだなあと思ったら平成26年に復元されたものとのこと。
天守閣は昭和33年、鉄筋コンクリート造りで再建されたもの。
そもそも天守閣が存在していたか・・・
広重の浜松宿の絵には描かれてるのだが。
家康後、豊臣の家臣であった堀尾吉春が築いたという記録はあるらしいが、その後なくなったということだろうか。
歴代城主が幕府の重臣へと出世したことから出世城と言われるお城である。
天守閣の入場料は200円。
中は資料館となっている。地下には井戸もあった。
3階は展望台になっており、北には三方原の古戦場(といってもどのあたりかわからず)、南には遠州灘、そして
西には浜名湖が。天気がよくないのでどうかなと思っていたが湖が見えた!浜名湖の方はもうすっかり雨がやんでいるようだ。
4に続く
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