東海道五十三次歩き(第10回) 金谷~掛川2
1より続き
四郡橋(4つの郡にまたがっているから、東海道がこの川を渡って直角に折れる横折れがなまったなどの説あり)を渡ると、青木坂がはじまる。
平均斜度18度、最大48.7度で長い長い坂だ。
あたり一面茶畑で、上にとりつけられた扇風機がうらやましい・・・
でもこの扇風機、暑さのためじゃなくて、防霜のためのものだとか。なるほど!
急坂をぐいぐい登っていたら暑くなって、半袖一枚に。
20分あまり登ってようやく頂上あたりかというところで、接待茶屋跡があり、すぐその先に久延寺が。
山内一豊が家康をもてなした茶亭跡や、そのお礼で家康が植えたという五葉松があったりするが、なんといっても夜泣石伝説で有名だ。広重の絵にも描かれている。
妊婦が賊に殺され、その魂がそばにあった丸石に乗り移り夜ごと泣いた。子供は助かってこのお寺の和尚に飴で育てられ、大人になって母の仇をうつ(超ダイジェスト版・・・笑)というお話。
その夜泣き石が境内に置かれているが、国道1号線トンネル脇にも石があり、そちらの方が本物ではないかという説が有力のようだ。
この日は猫を4匹見たが、1匹目がこの子。気持ちよさそう・・・
今は休日しかやっていないようだが、子育飴(和尚がこの飴で育てたという)を売っている扇屋があった。
お寺の前あたりから、日坂宿手前まで、歌碑、句碑が次々と出てくる。
阿久尼句碑、西行歌碑、蓮生大師句碑、紀友則句碑、藤原家隆句碑、壬生忠岑句碑、芭蕉句碑・・・
これだけ、小夜の中山が詠まれているとは!
全部写真には撮ったのだけど、全部は載せられないので・・・
こちらは、阿久尼句碑。
小夜の中山公園を過ぎると右手が開けており、栗が岳が見える。
おおっ、これか!「茶」という文字が見えますね。
その先に小夜鹿一里塚。
猫もおまけに(笑)。
うっかり、鎧塚は通りすぎてしまったが・・・
駿遠変電所の鉄塔群、馬頭観音、芭蕉が句を下で詠んだという涼み松にちなんだ広場があり、そして夜泣石跡。
明治元年、東京の博覧会に出品されるまではここに夜泣石があっということだ。広重の絵がはめこまれた石もおかれている。
少し行くと沓掛稲荷神社があり、家を数軒過ぎると、下りの急坂となる。詠み人知らずの歌碑を過ぎると二の曲がり。急カーブが続く。
日坂バイパスを越えるといよいよ日坂の宿である。
各家には昔(天保11年当時)の屋号を書いた木札が下がっている。古いのもあればとても新しいのもあるが。
日坂宿はしばしば火災にあったため、秋葉信仰が盛んだったということで、秋葉講を結成、分社や常夜燈を各所に作ったという。
日坂宿にも本陣入口、相伝寺境内、古宮公会堂脇にあったとのことだが、この本陣入口のものは老朽化し、平成10年に復元されたものだそうだ。
本陣(屋号は泉屋)は非常に広かったようだが(昔の間取り図があった)、今は建物はなく広場となっている。
ここでちょっと休憩。
おにぎり、きゅうり、りんご、柿を食べる。
後ろをコミュニティバスが通っていったが、終点からは栗ヶ岳に行けるようだった。
3へ続く
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