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2017/10/01

東海道五十三次歩き(第10回) 金谷~掛川1

前の週に引き続いて東海道歩き。
今回は小夜の中山峠を越えるので雨なら中止しようと思っていたが、なんとかこの日までは持ちそうなので決行。

いつもと同じ5時20分に起床し、出発。
東京駅に着いたところで、電車が人身事故でとまったというアナウンス。あと1本後のだったら危なかったな~
今回はいつものこだまではなく、1本後のひかりに乗る。
静岡から乗りかえるのでひかりの方が早く到着するのである。

朝食のパンを食べたあと寝ていく。どうやら、富士山は見えたらしい。

静岡駅で東海道線に乗りかえ前回のゴール金谷駅まで。
歩きはじめたのは9時少し前だった。

ほどなく金谷大橋跡(金谷宿の西入口)を通る。
不動橋をわたって右手に入る道は、小夜の中山の急坂を避けるために明治13年に作られた有料道路中山新道。この道は東海道線ができて利用者が激減し、有料道ではなくなったという。

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道祖神をすぎ、国道を越えるといよいよ旧東海道石畳入口だ。
1862年石畳が敷かれたものの、宿の廃止ではがされ、コンクリート舗装になってしまった。それを、平成3年町民によっって430メートルが復元されたもの。ところどころ苔が生えていて、確かに雨が降ったらすべりそうだ。

2
鶏頭塚、庚申堂を過ぎると赤いのぼりが見えてくる。
すべらず地蔵尊である。ここの石は滑らないので受験や商売など願いが叶うとか・・・中のお地蔵さんはかわいらしい。
3

このあと石畳は終わり、車道へと合流する。
芭蕉の句碑(「馬に寝て残夢月通し茶の畑」野ざらし紀行)を過ぎると、早速茶畑が見えてくる。
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すぐ先右手に入ったところに諏訪原城跡。
武田信玄が築いた金谷城を勝頼が臣下に命じ、拡大築城させた山城で、城内に諏訪大明神を祀ったことが名前の由来。堀などが残る。

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東海道に戻り、馬頭観音を見て県道を渡ると、菊川坂に入る。石畳を下っていく。
ここも、平成13年611メートルの石畳が復元されている。
その石畳が終わり、道路を横切ると江戸時代の石畳が160メートルのみ残る。だいぶ埋もれてしまっている感じだ。
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その先の集落のあたりは間の宿菊川。
金谷と日坂の間は短いが、急所難所が続くため間の宿が設けられた。
間の宿では宿泊のみならず、本格的な料理を出すことも禁じられていたとのことで、このあたりの名物は菜飯田楽だったらしい。

8
菊川の里会館は残念ながら平日はやっていない。
その前に承久の変で捕らえられた藤原宗行卿の辞世の漢詩、また元弘の変で捕らわれた俊基の歌の碑、そして
菊花紋の石があった。

2に続く

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