東海道五十三次歩き(第13回) 神奈川~戸塚3
2より続き
いよいよ保土ヶ谷宿の中心へ。
そのまま道なりに進めばよかったのが、うっかり保土ケ谷駅の方へと入り込んでしまい、東海道に戻った時には、うっかり助郷会所跡と問屋場跡を通り過ぎてしまい・・・
出たところは高札場跡だったが、戻るのめんどくさいし、まいっかとなった。
写真を撮っていると前のお店の方が声をかけて下さり、保土ケ谷宿のマップをいただく。
保土ヶ谷宿お休み処(この日はお休みのようだった)の前に4基の道標がある。
円海之道、かなさわ・かまくら道、杉田道、富岡山芋大明神社の道の道標である。
JRの踏切を渡ると国道1号線にぶつかる。
正面の家が保土ヶ谷宿本陣だったところだ。現在も子孫の方がすんでいて、塀の中に通用門が残っている。
この先800メートル近くは今井川に沿う形で国道を進む。
脇本陣跡、旅籠屋(本金子屋)跡、茶屋本陣跡と続き、8番目の一里塚跡と上方見附跡がある。松並木も続く。これらは再現されたもの。
その先に外川神社があり、ここは羽黒山の外川仙人大権現の分霊を祀るところだそうだ。
今出川にはコガモの群れがいた。
その先で再び国道へ合流し、また離れる。正直国道を離れるとほっとしますね。
樹源寺というお寺があった。
上がっていくと、紅葉が美しいこと!ちょうど見頃である。
お庭はよく手入れされていて、すばらしかった。思わずたくさん写真を撮ってしまう。
さらに進むと旧元町橋跡。
今井川にかかっていた橋だが、鉄道工事で流れが変えられたという(少し先に現在の橋があった)。
手前にちょっと入ったところに帝釈天があり、手水鉢に三猿が!
ちょっと見えにくくはなっているが、左から見ざる言わざる聞かざるである。
おいなりさんを通り過ぎ、いよいよ権太坂へとさしかかる。
江戸から西へと向かう旅人がはじめて経験するきつい上り坂で、それなりに長い。
この坂の名前の由来は諸説あるらしいけれど、旅人が道ばたのおじいさんにこの坂の名前を聞いたところ、自分の名前を聞かれたと勘違いし、権太を答えたからという説がおもしろくていいですね。
上がりきったところで、おお!
富士山と大山が見えた。うっすらとではあるけれど。やっぱり富士山が見えるとうれしいものですね。
下ってきて栗山というお菓子やさんへ入る(水曜だけど定休じゃなかった!)。
購入したのはおじぞうさん最中。小倉と白あんを買って後日食べたが、餅入りで好きなタイプ。おじぞうさんもかわいい。
その後ちょっと寄り道して投込塚の碑を見学。
権太坂では行き倒れる旅人や馬がいて、投げ込まれた死体が1961年の宅地造成で発掘され、改葬の上、ここに供養碑が建てられたという。京都から江戸へ向かう旅人や馬が行き倒れたのだろうか。
東海道に戻って境木立場跡。
その先に境木地蔵尊があった(これが最中になったわけですね)。
鎌倉、腰越に打ち上げられた地蔵が、牛車で江戸に運ばれる途中ここで動かなくなり、近隣の人が祀った。それ以来、参詣人が増えて賑わったという。
ここはまたちょうど武蔵国と相模国の国境でもあり、境内にあったケヤキの木が目印となって境木という地名になったということだ。
4へ続く
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