東海道五十三次歩き(第13回) 神奈川~戸塚1
約一ヶ月ぶりの東海道歩き。
新居まで歩く予定だったのだが・・・
諸々事情があり、近場を歩くことになった。
8月に大森から東神奈川まで歩いたので、その続きである。
ゆっくり出発、東神奈川の駅から歩き始めたのは10時20分。
まだ少々寒い。
はじめに立ち寄ったのは金蔵院。平安末期に創られたという古いお寺。
家康御手折の梅がある。
すぐ裏手に熊野神社があるが、道沿いには松並木が続いていて街道らしい雰囲気だ。
これって再現したものなんでしょうか?
熊野神社は元々金蔵院の境内にあったのが、神仏分離で分かれたものという。
ここでびっくりだったのは、狛犬が大きいこと!こんなに大きいのは初めて見たかも?
ご神木の銀杏は樹齢400年とかで大きかったが、上の方はまるで雷に打たれたみたいに割れていた。季節柄、ぎんなんが落ちて臭い(笑)。
神奈川地区センターの前には高札場が再現されている。
センターの中にはワタクシの大好きなジオラマがあった。神奈川宿を再現したものだが、街道の横はすぐ海。
広重の絵でもすぐそこは海ですもんね。今は全然海は見えないけれど。
センターの前でツアーの東海道歩きの人たちが(すごい大人数)説明を聞いているのを尻目にこちらはどんどん進む。
センターの斜め前のお寺は成佛寺。
アメリカ人宣教師の宿舎となったところで、ヘボン(ローマ字で有名な)もここに滞在していたという。
滝の川にぶつかったところで右に折れ、京急をくぐったところにあるのが慶運寺。フランス領事館だったところだ。
浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったという観音像があるお寺ということで、亀さんが随所にいる。浦島伝説って各地にあるんだなあ。別名浦島寺と呼ばれるお寺であった。
本来の東海道へと戻る。国道15号線である。角に本陣跡があった。
滝の川を渡って、再び右へ。川にはオオバンやキンクロハジロが。
浄龍寺はイギリス領事館があったところ、そして宗興寺はヘボンが診療所を開いたところで、記念碑があった。
このあたり、西に向かって上り坂になっているが、権現山と言われていたところ。
毎時にかけて削り取られ、埋め立てに使われたそう。
国道に戻り、すぐに宮前商店街へと入っていく。静かな商店街である。
州崎大神は高台にある。源頼朝が安房国一宮安房神社の霊を移して祀ったことに始まるという。江戸名所図会を見てわかるように、すぐ下は海で船着き場があったのである。
普門寺へ向かう道でこの日最初で最後の猫に出会う。
なかなかにふてぶてしいお顔(笑)。近づいてもまったく動じなかった。
さて普門寺はイギリス士官の宿舎にあてられたところ、すぐそばの甚行寺はフランス公使館にあてられたところ。
甚行寺は新しいお寺だった。関東大震災で倒壊焼失、昭和20年の横浜大空襲で再び全焼、この建物は昭和46年のものとのこと。銀杏の木は立派だった。これは残ったものなのだろう。
青木橋で京急、JRを越える。
すぐそばに横浜駅のあたりが見えた。だんだん気温が上がってきて、セーターを脱ぐ。
渡ってすぐ、高台に見えるのが本覚寺。
ハリスがアメリカ領事館にと決めたお寺だが、領事館時代に山門が白いペンキで塗られてしまったという。確かに少し白い部分が残っているような?
なかなかに立派なお寺。
境内には塗装業者合同慰霊碑がある。白いペンキで塗ったというのが日本初のペンキ塗装なんですって。
生麦事件で負傷したイギリス人が逃げ込み、ヘボンの手当を受けた場所でもある。
2へ続く
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