東海道五十三次歩き(第15回) 浜松~新居3
(2より続き)
昔は今切れ渡し(中世まで浜名湖陸続きだったが、明応7年の大地震と津波で今切口が生じて陸が切れて外海とつながってしまった)を渡船で渡ったが、現在では弁天橋を渡って新居へと向かう。
遠くに赤い鳥居も見える赤い橋、弁天橋。
この橋を渡り始めたとたん、急に冷えてきて慌ててネックウォーマーと帽子、手袋をつける。やはり湖の風は冷たい。
渡り終えて少し行くと弁天神社がある。
昔々、天の橋立のような風景が広がっていて天女が降りてきたが、天女は三保の松原へと立ち去ってしまった(なぜ???)。その後島となってしまった弁天。渡船の安全を祈るためこの神社が作られたという。
境内には正岡子規などの文学の碑がある。
弁天島はリゾート地らしく、そういったホテルがたくさんある。
那須田又七が海水浴場を開き、一碧楼という旅館をはじめたのがはじまりと言う。
海辺に行ってみると大きな赤い鳥居が見えた。
弁天島シンボルタワーといって、観光協会が1973年に作ったものとのこと。
中浜名橋を渡って、長かった浜松市は終わり。湖西市に入った。
入ってすぐに津波避難塔がある。このあたりは昔から津波の被害があったところだ。
新居町駅前に到着。
向かいに手筒花火の像があった。
浜名橋には広重の新居関係の浮世絵が見られる。
そして、新居関所(正式には今切関所という)に到着。2回目の訪問である。
その先の紀伊国屋も見学する予定だったので、共通券を購入(100円引きになる)。
厳しかった新居の関所。
人形で再現されている。刺股、袖搦、突棒なども展示されていた。
改め女の人形もある。
新居関所は暴風雨と津波で2度も移転しているのである。
関所の見学後、資料館にも入ってみる。旅道具の展示が興味深かった。
ちょうど歌川国芳の展覧会もやっていて見られたのもうれしい。
堀には船着き場が再現されており、石樋や荷物石の展示もある。
関所の西側には大御門があり、高札場も再現されている。
お隣にあと引き製菓というお菓子やさんがある。
ここの名物というのであと引き煎餅を購入して、向かいの紀伊国屋へ。
20数軒並んでいた旅籠の一つで、紀州藩御用達の宿だったところ。この宿最大の旅籠である。
中に入ると目に飛び込んできたのはおひな様。
ちょうどこの季節、おひな様がたくさん展示されていた。
はじめてみたのが御殿飾りと言われるもの。一番上に御殿があるもので、上方ではやったもののよう。だから見たことなかったんだな~
とても豪華なおひな様だ。
奥には水琴窟があったが、庭もなかなかの風情である。
手筒花火の展示もあった。新居関所の資料館にもあったのが、撮影禁止だったのでこちらで撮影。
(4へ続く)
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