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2018/02/25

東海道五十三次歩き(第15回) 浜松~新居1

前週に引き続いて東海道歩き。
天気予報をずっと気にしていて、どうやら静岡方面の方が暖かそうということでこちらを歩くことにしたのだが大正解!この日東京は雹や雨が降って寒く、また神奈川も同じく気温が低かったようなので。

冬は着るものが多いため10分早く起床、同じ時間に家を出る。
7時3分発のひかりに乗り、パンの朝食。あとはうつらうつらとしているうちに8時半すぎ浜松に到着した。
スタートは、前回のゴール地点である高塚。浜松から一駅なのだが、電車は52分発。
結構時間があるので、お手洗いに行ったり売店を見たりして時間をつぶす。
高塚到着は56分で、スタートは9時。

実は前回、真っ暗な中を歩いて見えなかったため、飛ばしてしまったポイントがあったので少し戻って見ることにする。

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それが、麦飯長者跡。
街道を行き交う人々を接待し、空腹時には麦飯を食べさせた小野田五郎兵衛という長者が、いつしか麦飯長者と言われるようになったという。

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これまた前回暗くてスルーしてしまったのが熊野神社。
こんなに目立つ鳥居なのに見えなかったとは・・・
高台にある神社で、安政倒壊地震の時にはここに避難して難を逃れたという。

松が数本残る道を進み、やがて東海道は大通りから少し細い道へと入っていく。
さらに少し進むと篠原立場跡。古い感じの立派な家の前に説明板があった。ここにも寄ったか!明治天皇(笑)。

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萬松院の入り口に秋葉山常夜灯鞘堂があった。
境内には前回見た二つ御堂から移された馬頭観音があったのか・・・見損なってしまった。残念。

その後、神明宮、保泉寺と続く。
保泉寺は、秋葉山秋葉寺の分院とのこと。毎年1月18日には修験者たちが集まって火伏せの行が行われるらしい。

そして、篠原一里塚跡(67里)、高札場跡。このあたりの説明板は新しいものだ。
高札場のあたりの地名は札木といい、いかにもな地名である。

4
この後、次々と現れるのが・・・
常夜灯である。鞘堂に入っているもの、入っていないもの含め、この日いったいいくつみたことだろう。
やはり、彫刻が古かったり、ガラスなんかが埋め込まれてないタイプがいいですね。
たくさん撮りすぎて、とても全部はアップできません(笑)。

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稲荷神社の鳥居は、赤い両部鳥居・・・本体の鳥居の柱を支える形で稚児鳥居があるもの、であった。
こんな鳥居ははじめて!と思ったけれど、厳島神社もこのタイプだったか!

このあと、連続して2つの常夜灯を撮影、続いて馬郡観音堂跡を見る。

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そしてまた常夜灯(笑)のあと、東本徳寺。境内に加藤清正を祀った清正公堂がある。これは新らしすぎるよねと思ったのが、昭和63年に再建された公堂だったようだ。
入り口には清正公三百年祭記念碑もあったが、なぜ加藤清正と関係あるの???

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100メートルほど先にあるのが西本徳寺。
この入り口には、「海中出現釈迦牟尼仏安置」と書かれた石碑がある。釈迦牟尼仏が漁師の網にかかって引き上がられ、それを村人がお堂に祀ったという。

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東本徳寺あたりからチラチラ灯籠が見えていた神社が春日神社。
鳥居をくぐると見えてきたのが・・・

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狛犬ならぬ狛鹿?なんと、右がりりしい雄鹿、左がかわいらしい雌鹿。春日神社の鹿と関係がある模様。

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いよいよ、舞阪の松並木が見えてきた!
700メートルの間に約300本あるとのこと。手入れが大変でしょうね。毎年5月にマツクイムシの駆除をするらしい。

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右側には干支で時刻を示している石像、左側には東海道五十三次の銅板が続いている。
さすがに両サイド歩くのは無理なので、左側の方を歩くことにした。
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新玉ねぎの畑もある。このあたりは白玉ねぎ(新たまねぎ)の一大産地であり、日本一早く出荷するとのことだ。

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まだここは浜松市だが、松並木にちなんだマンホールの蓋があった。

(2に続く)

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