【熊谷守一展】
art-6 【熊谷守一展】 東京国立近代美術館
近代美術館で開催されている熊谷守一-生きるよろこび展に行って参りました。
1:闇の守一:1900-10年代
ワタクシが知っている熊谷守一の絵は後年の作品。
若い頃の作品は見たことがなかったのだが・・・
東京美術学校で黒田清輝や藤島武二の指導を受け、同級生の青木繁とは仲がよかったという。
後年の作風が想像できない画風で、闇の中でのものの見え方を研究していたということもあってか、非常に暗い絵が多い。「蝋燭」など、ジョルジュ・ド・ラトゥールのよう。
ショッキングなのはやはり「轢死」。たまたま目撃していまった女性の飛び込み自殺を題材にしているのだが、いやはや怖い。絵が劣化して、よくよく見ないと何が描かれているのかわからないのが幸いというか、くっきり見えたら直視に耐えないかもしれない。
2:守一を探す守一:1920-50年代
「轢死」を描いて20年以上たってやはり横たわる女性の遺体を描いたが「夜」。よほど衝撃的な経験だったのだろう。
死というテーマは守一が取り組んだ一つのテーマでもあり、次男である陽が亡くなった姿を描いた「陽の死んだ日」、21歳でなくなった長女萬を描いた絵もある。
「陽の死んだ日」は殴り書きにも見える絵で、深い悲しみが見えるが、萬のお葬式から帰る家族の姿を描いた「ヤキバノカエリ」は色調は明るく(ドランの絵の影響が指摘される)、一瞬楽しげに見えるが、お骨を抱えて歩く姿はどこか不自然で、じわじわともの悲しさが伝わってくる。
守一はこの頃裸婦を多く描いているが、フォービズム風というか厚塗りだったり、だいぶ抽象化されて何が描かれているかわからなかったり・・・
そして、あの特徴的な赤の輪郭線が描かれはじめるのだが、その頃の風景画も赤の輪郭線がやはり描かれている。
守一は裸婦を見ていると風景に見えてきて、風景を見ていると裸婦に見えてくると言っていたそうだが、確かにシンクロする!山が裸婦に見えてくるから不思議だ。
3:守一になった守一:1950-70年代
いよいよ、ワタクシの知っている熊谷守一へ。
くっきりとした輪郭線、単純化された対象と、明るい色彩。
限りなく抽象画に近く、デザイン的でもある。
ナビ派やフォービズムの画家の絵に近しいものもあったり。
動きも感じられて、なんか楽しくなる絵である。
70歳を過ぎて体を悪くしてからは、自宅の敷地から一歩も出ずに生活。庭の生物や植物をじっと観察したり、飼い猫や野良猫を描いたり。
蟻、蝶、蜂、鶏などもいいが、やはり猫の絵!
ずらーっと猫の絵が並んでいる部屋があったが、いや~どれもいいなあ。平面的な猫なんだけれど、どれも生き生き。
動物ではないけれど、「雨滴」、「伸餅」、「たまご」などのデザイン的な絵も好きだなあ。
200点以上の展示で若い頃の作品から晩年の作品まで順を追って見ることができる展覧会。充実しています。是非どうぞ。
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