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2018/02/20

東海道五十三次歩き(第14回) 戸塚~茅ヶ崎3

(2より続き)

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さらに奥に入っていくと、長生院があり、小栗判官と照手姫の墓がある。
実在の人物(浄瑠璃や歌舞伎になっている)ではないけれど、モデルはいるんですね。
このお寺の説明によれば、小栗城主判官満重は足利持氏に攻められて落城、子の判官助重が家臣10名と逃げ延びる途中、毒殺されかけ(家臣は殺されてしまう)たが、照手姫によって難を逃れ、その後再興、照手姫を妻に迎えた・・・ということらしい。
家臣、父の墓、照手姫の墓、名馬鬼鹿毛の墓!なんてのもあった。
歌舞伎や浄瑠璃ではこれとは違うストーリーな気がするが、いつか見てみなければ・・・

東門の脇の敵御方供養塔(上杉禅秀が鎌倉公方の足利持氏に対して起こした戦乱で戦死した人や軍馬などを敵味方区別なく弔った)を見て、遊行寺を後にする。ホントはもっとゆっくり見学したいところだったが、先は長いので・・・

門を出たところに藤沢広小路の説明板。
三大広小路のうちの1つで、あとは上野、名古屋だそうだ。
この広小路の一角にたつふじさわ宿交流館により、地図などをもらう。平成28年にできたそうで、建物の前には高札場が復元されている。
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遊行寺橋を渡り、右折。左折すると江ノ島へ続く道となる。

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この道路には電柱がなく、従ってトランスボックスが並んでいるのだが、それがラッピングされている。我々が歩いたところは明治から昭和にかけてのこのあたりの風景写真のラッピングだったが、他の場所では浮世絵や江戸時代の絵地図などもあったようだ。いい試みですね。

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このあたりにあったマンホールの柄はふじの花だった。どうやら藤沢市のマンホールは汚水用のふたが市の木の黒松、雨水用のふたが市の花ふじのうようだ。

蒔田本陣跡を通りすぎたあとは、いくつかお寺が続く。
妙善寺、常光寺、荘厳寺、永勝寺。

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永勝寺には旅籠小松屋の墓域に、40弱の飯盛女の墓が並ぶ。

源義経首洗井戸跡(平泉で討たれた義経の首は腰越で首実検後海に捨てられ、それが境川を遡って漂着したのを里人が井戸で洗って清めた、という)を過ぎ、小田急線の線路を伊勢山橋で渡ると、藤沢宿の京見附である。

その先、ほんのちょっとだけ東海道は細い道に入るがすぐにまた県道へ合流、引地橋を渡る。川にはオオバンがたくさんいた。

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すぐ先におしゃれ地蔵。地蔵と言われているが双体道祖神である。
女性の願い事なら何でもかなえてくれるとのことで、満願した際にはおしろいを塗ってお礼をすることからおしゃれ地蔵と名付けられたらしい。
ちゃんと、おしろいと口紅が塗られていました!

向かいにある養命寺で少々休憩。

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またまた庚申塔があったが、首のない弘法大師?や石仏が並んでいたのはなんだろう??

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メルシャンの工場を通り過ぎる。試飲とかあったらなあ(笑)。
正門の前に七面地蔵があったが、どこが七面なんだろう?身代わり地蔵尊とのことなんだが・・・

このあたりの地名は城南町。この城とは大庭城のことで、中世の山城(大庭影親の城)である。それにちなんだお菓子、大庭城最中を丸寿という和菓子やさんで購入。
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いやはや、この日、最中は3種目だ(笑)。リュックの中で最中の皮がつぶれないかヒヤヒヤ(少しつぶれた・・・)。

Photo
名もない稲荷社の石段を登ると、ちっちゃなお狐さんが!狐さんじたいはそう古いものではなさそうだったが、台座は結構古そうである。

(4に続く)

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