東海道五十三次歩き(第16回) 茅ヶ崎~国府津4
(3より続き)

かながわの橋100選にも選ばれているらしい本郷橋(おもしろいデザイン!)を渡った先に宝前院。

豚観音とあったので、豚の形をしているのかと思いきや・・・
観世音豚碑と書かれた石碑があるのだった。

ここの馬頭観音は立派だ。

その先に、「江戸から十七里」のタイルがあった。もう少し先に一里塚跡があったが、実際はこのタイルのあたりが十七里だったらしい。

この先で旧道は国道に合流するのだが、道祖神などの石造物がたくさん集められている。
この日は、石造物をたくさん見たなあ・・・
交差点には座禅問答の石が6つあった(バスがいたので写真が撮れなかった)。

六所神社は遠そうだったのでパス、国府津新宿福祉館の前のちっちゃな稲荷と道祖神を撮影。
いよいよ二宮町に入った。

二宮のマンホールは町の木である椿。

「塩海の名残り」の標柱があった。
二宮は古くから塩造りが盛んでこれに由来する名らしい。

二宮駅前にはガラスのうさぎ像があった。
東京大空襲で母と妹2人を、疎開先の二宮で父を機銃掃射で亡くした高木敏子さんのノンフィクションが「ガラスのうさぎ」。子供の頃読んだのだが、忘れてしまった・・・また今度読んでみなければ!
まだ4時すぎ。もう一駅歩くことにし、セブンイレブンでりんごジュースを飲んで休憩。
向かいに湘南クッキーの自販機をまたまた見る。
二宮といえば、菜の花。
ということで駅前にも咲いていた。
松並木の中を進み、いったん旧道へと入る。

天保の頃からの醤油製造所の先に、等覚院がある。
別名藤巻寺ともいうらしく、実際立派な藤棚があった。藤の季節、きれいでしょうね。つつじでも有名らしい。

また、水子地蔵など、たくさんの地蔵や石造物があった。

そして国道合流地点にもたくさんの石造物。
いやはやどれだけ見たことか・・・

その後、一里塚の跡碑(18里)、松屋本陣跡と続く。
大磯宿と小田原宿は4里もあったため、中間地点だった押切坂に間の宿梅沢の立場があったとのことである。
ここまで上り坂であったが、一気に道は下る。
押切橋で中村川を渡ると小田原市に入る(その後一瞬また二宮町となり、またすぐ小田原市に)。

小田原のマンホールは一瞬マラソンに見えた(笑)が、酒匂川の徒渡し、小田原城、箱根に富士山と盛りだくさん。
この日いくつめかの双体道祖神(このあたりは多いんですね)を見、坂を上がりきったところに浅間神社。

ここにもまたまた道祖神や庚申塔などたくさんの石造物が集められていた。

史跡車坂の標柱、そして着色された不動明王がのった大山道標があった。後ろには秋葉灯籠も。羽根尾通りの大山道の入り口である。
大山道標といえば不動明王なんでしょうか。藤沢の四ッ谷のもそうでしたね。

ここで、メダカが描かれたマンホール発見!
なぜ?と思ったら、童謡「メダカの学校」は、小田原市の荻窪用水で見たメダカを元にできたからとか。


最後にだめ押し的に(笑)坂下道祖神を見て、夕暮れの海を見つつ国府津駅に到着。
5時45分頃だった。
どう帰るか悩んだが、結局また相模線経由で戻り、国分寺着は8時過ぎ。
いつものように?庄やで乾杯!
帰宅は9時半すぎだった。約48000歩。
前半大股で飛ばしすぎ、少々膝が痛くなったけれど、今回国府津まで歩くことができてよかった、よかった。次回はゆっくり(でもないけれど)小田原が観光できます!
(完)
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