東海道五十三次歩き(第18回) 小田原2
(1より続き)

酒匂橋を渡った対岸に、二宮尊徳顕彰の碑。
八幡神社の先で旧道は国道を越える。

少々わかりにくかったが、新田義貞の首塚がある。
京都でさらされていた義貞の首を、家臣が上野国に持って帰る途中で病に倒れ、ここに葬ったという。

左右にたくさんの五輪塔が並んでいた。
酒匂川を渡ってもたくさんの寺社があるが、やはり全部は回れないので少しだけ。
まずは山王神社。

星影が移る井戸があることから星月夜ノ社とも呼ばれているとのことだったが、今は井戸はふさがれている。

お隣、宗福寺にはまたまた石造物が集められていた。
耳をふさぐ猿がのった庚申塔などがあった。

山王大権現の中にも猿が!

石灯籠の先に江戸見附跡の案内板。
一里塚(20番目)跡もここらしい。
少し海の方に向かって寄り道(途中、車できている魚やさんがいた)。

北条稲荷である。北条氏康が亡くなったのが狐のたたりと考え、氏政が建てたという。
それで狐がたくさんいるのだけれど・・・



なんとまあ顔が怖いこと!

ここにはまた、蛙石なるものがあり・・・
確かに蛙に形が似ている!
小田原に何か異変があると鳴き声を発していたとか。


東海道に戻り、新宿交差点で道は左折、鍋町石柱のところを右折する。
街中ではこのような石柱が町ごとにあって、撮影するのも大変だ(笑)。町のいわれも書かれている。

ここからかまぼこ通りがはじまる。

いせかね、山代、丸うなど有名かまぼこ店が並び、いつも小田原の蒲鉾というと鈴廣か籠清を買うことが多く、たまには別のを・・・と思ったが、この日は気温が高く、まだ昼前なのにここから持って歩くことは無理。残念だが断念。
さて、12時をすぎてそろそろ昼食タイム。

青物町交差点を北へ(甲州道、六本松通り大山道の起点でもある)ちょっとだけ行ったところにある清風楼がこの日の昼食場所である。
文久2年創業という割烹料理のお店。
ランチメニューのうち、お目当ては小田原どん。
小田原の新鮮な食材を一つ以上を用い、伝統工芸品である小田原漆器に盛りつけるというルールがあるだけなので、参加店30店舗以上のお店でいろいろな小田原どんを出しているようだが、このお店のはアジつみれどん。

小田原唯一の味噌蔵特製の梅味噌を練り込んだあじのつみれとかまぼこを卵でとじた丼で、自家製梅干しがアクセント。地元の農園の有機野菜のおひたしと小鉢(この日はお刺身)、赤だしの味噌汁とお漬け物がついている。
立派な漆器にちゃんと入ってましたね。小田原は漆器が名物とは全然知らなかったなあ。
あじのつみれがおいしい!梅がまたいいんですね。
お野菜もしゃきしゃき新鮮。
全体的にやさしい丼で、ご飯がワタクシとしては少々多かったものの完食。
また小田原にくることがあったら、別のお店の小田原どんにチャレンジしてみましょうか・・・
1時前に出発。
脇本陣跡、清水金左ヱ門本陣跡を見る。
本陣跡に、明治天皇聖蹟もあった。

昼食休憩したばっかりではあったけれど、お休み処にもなっている小田原宿なりわい交流館にも寄る。
昭和7年に建てられた網問屋だった建物を利用した観光案内所兼休憩所である。出桁造りで二階正面は出格子窓になっている。
小田原の名物に関するチラシをもらおうと見ていたら、スタッフの方がお茶をすすめて下さったので、暖かいお茶をいただいてちょっとだけ休憩。
また歩き出す。

斜め向かいに風月堂という和菓子屋さんがあり、そこでへっちょいというお菓子(きなこ餅)を購入。籠をイメージしてるのかな、このパッケージ。へっちょいとは籠を担ぐときのかけ声だそうなので。

小伊勢屋、小西薬局など古い建物を見た先に、お城出現!

これがういろうである。
丸薬ういろう(母親が購入)とともにお菓子のういろうもある。
ういろうというと名古屋のイメージで、実際よく名古屋のを買っていたのだけど、ごくごく近くにもういろうがあったんですねぇ。
(3へ続く)
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