東海道五十三次歩き(第18回) 小田原4
(3より続き)

板橋地蔵尊(宗福院)のご本尊は延命子育地蔵大菩薩で3メートルもあるそう。年に2回しかご開帳されていないので当然見ることはできないが、大黒天も大きい。一本の木から切り出されているらしい。
旧道は登山鉄道をくぐった先で国道へと再び合流。

早川河畔に小田原用水取水口があった。
北条氏時代に施設され、江戸時代になっても小田原城下領民の飲料水に供されていたという。
小田原厚木道路をくぐったところでまた旧道に入るのだが、その前に鈴廣かまぼこに寄ってお買い物&休憩。
すでにういろうやへっちょいが入っていたところに、蒲鉾と箱根ビールが入り、リュックはパンパンだ。これからまだ登りがあるというのについつい買ってしまった・・・

こちらが買った季節限定の蒲鉾。
やっぱりおいしいですねぇ。ビールにもあいました。
この日は結構暑かったのに、あまり水分をとらなかったためやや脱水気味になっていたが、ここで飲んだリンゴジュースでようやく回復。
やはりこまめに水分をとらねばと反省した次第。
道を元に戻り、日蓮聖人聖跡の案内板、馬頭観音を見て旧道へと入る。
風祭の一里塚案内板の前にあったのは・・・

小田原の道祖神。
これもまた道祖神なんですねぇ。今まで見てきた道祖神とは全然違う。
伊豆型というらしい。伊豆半島には多いのでしょうか。

この道祖神の横を用水路に沿って道を上がっていくとあるのが萬松院である。
自害した徳川信康(家康の嫡男)を供養するため、小田原城主大久保忠世によって建立されたお寺。

本堂よりも、茅葺きの庫裏(1800年)の方が目立っていた。

そして、入生田駅の手前に長興山紹太寺がある。
時間的にどうか心配だったが、日も長くなってまだ日が沈むには間があるということで(この時点で4時半)、がんばって奥の方まで行ってみることにした。

本堂を見て、橋を渡り、石段を登っていく。

なんと、360段!荷物が重い←自分のせい(笑)


いったん階段が終わると石畳、のちまた石段、さらに石段・・・

石の橋を渡って、さあもう終わりかと思いきや、だめ押し的にまだ50段ほど階段が!


ふー、やっと到着したのが稲葉氏(1632年から1685年まで三代にわたり小田原城主だった)一族のお墓。
春日局、子の稲葉正勝と夫人(いずれも供養塔で本墓ではないとのこと)。孫の政則と夫人の墓(本墓と言われる)などが並ぶ。正則の墓のみ位牌型でその他は五輪塔。

どれが春日の局?と思ったらこれですね。
みかんが備えられていた。
もう一カ所、このお寺で有名なのが枝垂れ桜である。
稲葉氏が紹太寺を建立した頃に植えられたとのことで、樹齢330年以上の木らしい。

25日に満開になったとのことだったが、行った日(29日)もまだまだいい見頃だった。


一番有名な枝垂れ桜の他にも何本か(種類の違うのものあり)あって、なかなかだった。
東海道に戻り、入生田駅の先の踏切を渡る。

レールが3本ある。
箱根湯本まで乗り入れている小田急線と箱根登山鉄道の軌道が違うため、である。

駒ノ爪橋跡(頼朝が富士の巻き狩りからの帰り、橋で馬が暴れ爪あとが残ってしまったという逸話)、日本初の有料道路の案内板(明治8年板橋から湯本まで全長4.1キロの日本初の有料道路が開通)、そして、カラフルな達磨が描かれた交通安全之碑を見る。
一瞬国道に合流するが、再び旧道に入る。ほっとする。

もう十分階段は上ったということで(笑)、天王神社(牛頭天王が祀られている)はパス、緩やかに坂を上がった先で再び国道に合流、湯本の街が見えてきた。
三枚橋交差点で東海道は左折するが、この日の東海道はこれにて終了。そのまま直進して箱根湯本駅へと向かう。
駅には40分すぎに到着、登山鉄道で小田原まで、小田原では上野東京ラインがちょうどきて座れたので、東京駅まで、そして中央線に乗り継ぎ、国分寺到着は8時半。
夕食はいつもの庄やにて。
生ビール×2で乾杯。お料理はお通しの海老の刺身、なすの一本漬、焼き鳥盛り合わせ、じゃがいも明太チヂミ。
10時過ぎに帰宅。
今回は約42400歩だった。
次回、天気がよければ箱根(2回にわける予定)となります。
(完)
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