東海道五十三次歩き(第21回) 二川~国府2
(1より続き)


河原地蔵尊のすぐそばの寿泉寺は、山門も立派(下は石造り)だが、薬師瑠璃光如来を祀る三重塔もとても立派だ。
ようやく豊橋市の市街地に入ってきた。国道ともしばらくお別れ。

東八町交差点の北側に大きな秋葉山常夜灯がある。
地震で倒壊、空襲にもやられて放置されていたものを2001年、再移築したものという。

向かい側のもちや(餅菓子がおいしそうだったが、パック売りしかないように見えたのであきらめる)の前に東惣門のモニュメントがある。吉田宿の東側の入口だ。
昔は番所があって午前6時から午後10時までしか通れなかったとのことだ。
ここから道は鉤型に曲がっていく。
曲尺手である。

曲尺手門跡の標柱もあった。

問屋場跡の手前で豊橋の別のマンホールを発見!(前回の歩きで何種類かは見ているが。)
公会堂(国の登録有形文化財・・・通りすぎただけ)、市電、市の花のツツジがデザインされている。
札木という市電の駅がある交差点で信号待ちをしていると、何台か市電が通りすぎていったが、広告がデザインされていて、すべて柄が違う。いったいいくつパターンがあるんだろう?



とりあえず、この日見たのは、横浜タイヤ、ヤマサちくわ、日の丸薬局、あとは・・・青っぽいのと白っぽいのを見たような?
ヤマサちくわ本店が見えたが、さすがにこの時間から買うわけにいかず・・

鰻のお店丸よの前にあった吉田宿本陣跡碑を撮影(豊橋は戦火で街の大半が焼けてしまったため、ほとんど遺構は残されていない)、きく宗へ。200以上前から営業している菜めし田楽一筋のお店だ。
この日は是非ともお昼をこのお店で食べたいと思っていたのだが・・・
水曜が定休日ではあるが、月に一回連休があるとのことで、休みだったらどうしようと思っていた。

でもよかった!あいていた!
できあがりまで3,40分はかかりますとのことだったが、もちろん待ちます!名物は食べなくては。

もちろん注文したのは菜めし田楽定食である。
こんがり焼いた自家製豆腐に味噌を塗った田楽と、大根の葉を混ぜこんだ菜めし、お吸い物。
置いてあったおいしい食べ方の一例に従って食べてみる。
いったん豆腐を手前に戻してから押し、菜めしの上に置いていただく。
辛子ものっていて、時々鼻にツーンをくるが、この濃いお味噌がいいですね。お豆腐もおいしい。ヘルシー!
平日限定ということでデザート(きびだんご風)もついていた。
十分休息して再び歩き始める。

井上靖の「しろばんば」に出てくるお菓子やさん若松園で、黄色いゼリー(小説に出てくる)を買いたいところだったが、何個セットしかないようだったので断念。

手筒花火発祥の地という吉田神社(明治時代は百花園という花畑と料亭があったという)に寄り、横断歩道の上から吉田大橋を撮影、豊橋公園へ。
吉田城の跡地である。
元々今橋城と呼ばれていたが、戦国時代に次々と城主が変わり、今川義元の時代に改称した吉田城。
その後は家康の支配するところとなり、家臣である酒井忠次へ、秀吉が天下をとると池田輝政が城主に・・・その後も次々と変わっているのですね。
明治に入り廃城となったこのお城は地震や火事等で、広重の絵に描かれているような建物は残っていない。

堀や石垣などはあったりするが(石垣は新しい物なのかな?)。

昭和29年に再建されたという鉄櫓が見えてきた。
手前の木は樹齢300年以上というイスノキである。
中は資料館になっており、無料。
吉田城の歴史、城下町の紹介(豊橋は今も鍛冶町、曲尺手町、札木町、呉服町、上伝馬町、湊町、船町などの地名が残る)、浮世絵などが展示されている。

一番上からの眺めはなかなかよく、向こうに豊橋が見えた。

金柑丸跡に弥健神社があり、大きな神武天皇像が立っている。
そのほか、軍隊が使っていたということもあり、戦争関連の遺跡がいろいろとある。
(3へ続く)
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