東海道五十三次歩き(第21回) 二川~国府1
前回の東海道歩きで、日本橋から二川までがつながった。
ということで、3月後半に二川まで歩いた時の続きである。
だんだん家からは遠くなるので、さらに早い新幹線に乗ることとし、豊橋まで行って一駅、二川駅まで戻る。
歩きはじめは8時50分。
駅前の岩屋(岩屋観音)江八丁の道標をまず撮影。
まわりなし通り貫十六丁とあり、岩尾道を行けば戻らず東海道へ合流するという意味らしい。
田原街道への道標を過ぎ、岩屋観音に登るため、火打坂を行かず、岩屋山古道を行く。
小渕志ちの銅像がある。
玉繭という屑繭からの製糸法に成功、製糸工場を創業した女性。
その後二川、豊橋は玉糸の町として有名になったという。三河地方の製糸業に貢献したと言われる女性だ。
岩山に立つ観音様が見えてきた。
弘法大師堂、観音堂を見て、上がっていく。
あちこちに石仏が置かれている。
結構な岩場を登ることになる。
鎖につかまりながら登ったが、雨が降ったらすべるだろうなあ。
ふーやっと着いた。
結構大きな観音立像だ。そういえば、新幹線からも見えたっけ。
眺めも大変よろしい。
この日は晴天。空がとてもキレイだ。
岩屋観音自体は、行基が岩穴に千手観音像を刻んで安置したことに始まり、観音立像は、吉田宿の大工が橋の架け替えに難儀し、観音堂で祈ったところ無事完成することができたお礼に建立したものという。
ただ、第二次世界大戦中、金属として供出されてしまい、今ある像は昭和25年に再建されたものとのことだ。
眺めを堪能したあと、反対側を下る。
やはり下りの方が大変!(翌日筋肉痛に・・・)
ここから展望台を抜けて本来の東海道へと戻ることにする。
展望台までなんと250段ちょっとの階段。歩きやすい階段なので全然苦ではないけれど、今回もまたあったか、階段(笑)。
展望台に上ってみると・・・
これまた景色がいいですねぇ。
豊橋市街から、三河湾、うっすら知多半島なども見える(なぜか撮影は忘れる・・・)。
ちょっとぬかった道を下り、東海道に復帰。
丈の短い松がポツンポツンと植えられている。
ここ、飯村の松並木は昭和30年代まで街道の両側に100本以上もある立派な松並木だったそうだが、道路拡幅やマツクイムシの被害によりどんどん減り、江戸時代からあった大きな黒松も2007年に伐採されてしまう(この切り株は二川宿本陣資料館にあった)。
小さな松たちはその後植樹されたものなのですね。
旧東海道のクロマツ跡碑。
昭和33年頃の街道の写真があったが確かに立派な松並木である。
殿田橋の先で東海道は国道1号線に合流するが、ちょうど合流すところに飯村一里塚跡があった。
現在の東海道は、ところどころ国道を歩かざるをえないのだが、国道に入るとちょっと気分がしぼみますね。風情はないし、車がビュンビュン行くので空気はよくないし、見所は少ないし・・・
ま、それも含めて街道歩きを楽しまないと!
建物がプレハブで残念な七富士稲荷大明神。
中には湯飲みがたくさんあったけれど、なんだろう?
通りから少し入って白山神社へ。
せんきの神様が祀られている。
仙気(漢方医学で腹、腰などが痛む病気)で苦しんでいた豊川市小牧の武士が、その辺にあった石で痛む腰をなでたところ良くなったのでその石を祀ったとのこと。
ワタクシの腰痛も治るとよいのだけど・・・
河原地蔵尊にも寄ってみる。
6つお地蔵様が並んでいたけれど、一番左は、おや?三面ある。馬頭観音なんですね。
(2へ続く)
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