東海道五十三次歩き(第24回) 新安城~知立宿~鳴海宿3
(2より続き)
逢妻川を逢妻橋で渡る。
在原業平を恋い慕い、追いかけてきた杜若姫がようやく八橋の逢妻川で追いついたが、業平は振り向いてくれず、悲しみのあまり池に身を投げたという。
川を渡って刈谷市に入った。
しばらくは国道1号線を行くことになる。
ということで一里塚は現存しておらず、説明板が残るのみ。このあたりの地名は一里山なので名残はあるのだが。
やがて街道は旧道へ入り、再び国道にぶつかる手前でお昼タイム。
くら寿司である。
甘えび、あなご、いくら、こはだ、肉厚とろしめさば、天然かじき(漬け)かれい、生しらす、鉄火巻。
そしてあさり入り赤だし。
全国均一メニューかと思いきや、なんと赤だし!東京だとこれがフツーの味噌汁になるようですね。
おなかがいっぱいになったところで出発。
すぐに見つけたのが、刈谷市のマンホール。お隣知立と同じくかきつばたなんですね。
国道を渡り、再び旧道へ。
すぐのところに十王堂と書いてあったのだが、どうみてもフツーの民家。
外のお堂にあったのは、おおっ、馬頭観音。
真ん中の地蔵菩薩を挟んで、左側は一瞬、さば大師かと思ったが弘法大師だった。持っているのはさばじゃなくて筆(笑)。
洞隣寺に寄る。
中津藩士の墓(左2つ)とめったくやしいの墓を写真におさめる。
中津藩士2人が喧嘩して斬り合い、ここに葬られたがどうしても反対に傾いてしまう。村人が改めて手厚く葬ったところようやく傾かなくなったという。
この寺の気立てはよいが器量はよくない下女が医王寺の住職に恋をしたが見向きもされず、憤死。このお寺に葬られたが墓石から火の玉が出て、めったくやしいと言いながら医王寺に飛んでいった・・・と伝えられるそうだ。
少し先に、いもかわうどんの木柱と小さな常夜灯。
いもかわ(ひもかわ)うどんはきしめんのルーツだそうだ。
ちょっと食べてみたいですね。
そしてさらに進んで右折、国道手前に馬頭観音が!
「右 ころも 左 東さかい」と書かれており、元は挙母街道と東境道の分岐点にあった道標という。
いい感じの街並みを進み、乗蓮寺へ。
お寺の前にお地蔵さまがあり、中には大きなシイの木がある。
樹齢850年。中の空洞には昔たぬきが住んでいたそうだ。
その先を左折し、富士松駅前へ行き、お富士松を撮影。
桶狭間の戦いのあと、退却する今川軍が、織田の回し者と勘違いして旅人を殺してしまった。村人がその旅人を手厚く葬り一本の松を植えたという。
残念ながら、伊勢湾台風で枯れてしまい新たに植えられたのが現在の松とのことだ。
国道1号線を渡り、境橋を渡る。
三河と尾張を分けるところで、橋を渡ると豊明市だ。
三河側は土橋、尾張側は木橋だったが、たびたび洪水で流され、継ぎ橋はやがて一続きの土橋になって、明治に入り欄干つきになったという。
渡った先に光廣歌碑がある。
豊明市のマンホールを早々と発見。桶狭間古戦場のデザインである。
伊勢湾岸自動車道をくぐった先で国道1号線に合流、800メートルくらい行ってまた旧道にはいる。
とすぐに見えてくるのが阿野一里塚である。南側には市雪の歌碑がある。
ここもまた両側が残る。
緩やかな坂を登っていく。登り切る手前の三田家の庭に明治天皇の碑があった。
が、お宅内なので撮影はやめておいた。
ぐいぐい進み、前後駅(前後という地名は桶狭間の戦いのあと、今川軍が狼狽のあまり前後して逃げまどったからという説がある)を過ぎた先で右折、1号線を越えて戦人塚に行ってみる。
だいぶ登ることになる。
ここは桶狭間の戦いで戦死した2500人あまりを供養したところという。
このあたりの地名は仙人塚というらしい。
この日は気温はそれほどでもなかったはずなのだが、湿度が高くムシムシ。
クールダウンせねばとファミマに寄り、新しいお茶とアイスを買って休憩。
ワタクシは大好きなジャイアントコーン!
アイスを食べて元気が出たところで出発。
中京競馬場(馬と蹄鉄のモニュメントあり)駅でガードをくぐり、桶狭間古戦場跡へ。
桶狭間古戦場があった場所には2つの説があり、ここ豊明市の他に、名古屋市緑区にもある(こちらは街道から遠いため、行くのを断念)。そのうち解明されるのかな?
桶狭間の戦いで義元が戦死した場所を示すという七石表がある。
こちらは一号碑。7つ撮影したつもりだったが、6つしかなかった・・・
2号碑がどこにあったんだろう。
今川治部大輔義元の墓なるものもあった。霊が祀られているという。
向かいの高徳院境内には、義元仏式の墓碑が。
供養塔である。
かわいらしいお地蔵さんたちもいたが・・・
お化け地蔵もあった。
亡霊がよく出たたため、このお地蔵さんを造ったところ、亡霊が現れなくなったという。
ついに名古屋市に入った。
旧道からいったん国道一号線に合流、またすぐに旧道へとはいる。
名古屋のマンホール(消火栓)は名古屋城としゃちほこだ。
(4へ続く)
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