東海道五十三次歩き(第25回) 鳴海宿~桑名宿1
先週とうってかわって当日はいいお天気。暑くなる予報で、晴れたのはうれしいけれど、もう少し涼しければなと思いつつ・・・
今回のスタート地点は前回のゴール鳴海から。
なるべく早く歩きはじめた方がいいだろうと、6時40分過ぎののぞみに乗ることにして、念のため指定をとっておいた(が、ちょっと早く行けば自由席でも大丈夫そうなことがわかったので次回はとらないで行こう)。
いつものように新幹線の中で朝食をとり、うつらうつらしながら名古屋に到着したのは8時20分過ぎ。名鉄に乗り換えて、特急、急行と乗り継いで、鳴海へ。歩きはじめは9時ちょっと過ぎ。
前回は菊屋茂富という和菓子やさん(1857年創業とか!)のところで曲がって駅に行ったのでそこからのスタートだ。
前回は気づいていなかったが、曲尺手になっており、斜め向かいの緑生涯学習センターが東の問屋場跡とのことだ(鳴海宿はほとんど遺構が残っていない)。
本陣跡は次の交差点のところだったらしいが、案内板は見逃してしまったようだ。とても広い敷地だったという。
次の交差点を右折すると、三菱UFJ銀行の前に高札場が再現されていた(本来の高札場は交差点の角)。実物は名古屋市博物館にあるとのこと。
その先の天神社は鳴海城趾である。
今川方の猛将岡部元信が、義元が討たれたあとも最後まで立てこもって奮戦したという。
斜め向かいにあるお寺は圓道寺。
山門の上の扁額には見ざる言わざる聞かざるが。
そして本堂の屋根の上には三猿がのっている。
ご本尊は青面金剛明王(庚申さま)なので、その使わしめの三猿がいるということらしい。
絵馬も三猿だ。
弘法堂の中には聖観世音菩薩と弘法大師などが。
お隣の誓願寺には芭蕉最古の供養塔があった。
このお寺は芭蕉の弟子、下里知足の菩提寺。芭蕉が亡くなった翌月に如意寺に建てられた供養塔がここに移されたという。
その如意寺はすぐ近くにある。
蛤地蔵尊というらしい(看板あり)。
昔このあたりでは蛤がよくとれたそうで、正月にはその供養として漁師が蛤を山のように投げ、放生する風習があったとのこと。
少し先のところを右折すると東福院がある。
山門は廃城になった鳴海城の廃材で寛永年間(1624~1644)に再建された当時のもの。
脇の観音堂には三十三観世音菩薩がおかれており、中央が子宝観音である。
丹下常夜灯を過ぎる。ここが鳴海宿の西端。鳴海は常夜灯ではじまり常夜灯で終わるのですね。
秋葉大権現」、右に 「寛政4年11」、左に 「新馬中」、裏には 「願主重因」 と刻まれているとあったが、裏はちょっと読めなかった。
鉾ノ木貝塚を通り過ぎ、稲荷神社の標柱のところを右折するつもりが通り過ぎてしまい・・・
貝塚まだ戻り、ようやく細い道発見!標柱が草に隠れて見えなかったのだった。
急な坂を上がっていくとあるのが千鳥塚。
芭蕉存命中に建てられた唯一の翁塚だそうで、この文字は芭蕉の筆とのことだ。
この千句塚公園の奥にあるのが緒畑稲荷神社。
白い狐が住みつき神社を守っているのだそう。
脇には弘法さまと不動明王もあった。
洪水がおこる度に流路を変えたという天白川を渡り、知多郡道道標を過ぎた先にいぼ地蔵。
左手のいぼ状の隆起に触れていぼ取りを祈願するという。
すぐに見えてくるのが笠寺一里塚(88里目)。
名古屋市に現存している唯一の一里塚。
なかなかに大きいが、残っているのは片側だけである。
泉増院には玉照姫が祀られている。
この後に行った笠寺観音(笠覆寺)は当初は小松寺といい、呼続の浜の流木に刻まれた十一観音があったが、堂が荒れ、観音像が雨ざらしになっていた。
鳴海長者の家に仕えていた美しい娘が、観音様を気の毒に思って自分の笠をかぶせた。後日、長者の家に泊まった藤原兼平が娘を見初め、妻とし、それから玉照姫と呼ばれるようになったという。
ということで、泉増院の絵馬には、玉照姫が観音様に笠をかぶせる様子が描かれていた。
笠寺観音の放生池(亀がたくさんいました)にかかる太鼓橋を渡ると立派な山門が。
左右には仁王像。
玉照堂。
芭蕉の千鳥塚と宮本武蔵之碑。
今回行かなかったが、近くの東光院に武蔵が滞在したことがあるという。
(2へ続く)
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