東海道五十三次歩き(第26回) 益生~四日市宿~南日永2
(1より続き)
西光寺の先で東海道は左→右と曲がる。
このあたりはタオル工場が多い。
とともに、田んぼが続いている。鷺が見えた。
桜並木も続く。春はきれいでしょうね。
桜並木を抜けたところで、大きな常夜燈が見えてきた。
多賀神社常夜燈である。1864年のもの。
昭和46年に街道からちょっと入った場所に移されたという。
多賀神社とは滋賀県の多賀町にある長寿と厄除け、縁結びの神社で、昔はこの神社にお参りする人も多かったらしい。
伊勢湾岸自動車道の高架をくぐって朝明川を渡ると、いよいよ四日市市に入ってきた(朝日町の区間は短かった)。
渡った先のポケットパークにはひまわりが。
ふーん、もう満開なんですね。
力石もあった。この後も力石は見ることになる・・・
ここの力石は、茶店の主が残したものとのことだ。
四日市市に入ると、このような看板が随所にあり・・・
民家の塀にもたくさん道標があって、これなら絶対に迷いませんね。
四日市は親切だなあ。
立場跡はうっかり通り過ぎてしまい、蓮證寺に到着してしまった。
いつもなら戻ったかもしれないけれど、この日は暑く戻る気力がない(笑)。
梵鐘と山門が立派だったが、わりと最近再建されたもののようだ。
長明寺。このお寺の山門も桑名城から移築されたものとのこと。
蒔田相模守宗勝が居城した蒔田城址と言われるが、確かに築塀とお堀があるんですね。
そして、鯉が泳いでいる!
このあたりは、麺工場も並んでいるのだが、手延べそうめんの産地とのことである。
鈴鹿おろしが麺を乾燥させるのによいし、ミネラル豊富な朝明川の水もよいらしい。。
三岐鉄道三岐線とJR関西本線をくぐった先に、冨田の一里塚址。
98里目。
八幡神社。
元々あった八幡神社が明治42年鳥出神社(今回は行かなかった)に合祀されて八幡神社址の石碑が建立されたとのこと。その後現在の社殿が再建された。
ここにも力石が。ポケットパークにあったのと同じく100キログラムあるようだ。
すぐ先に行啓記念道路碑がある。
と聞くとまた明治天皇かなどと思ってしまうが(笑)、これは大正天皇のもの。
大正天皇が皇太子時代に現四日市高校に立ち寄られて授業参観されたことを記念した碑だそうだ。
そろそろお昼。
JRの富田駅の北口のイオン(イオンって元々四日市が発祥だったんですね。知らなかった)に向かったのだが、どうやって北口に行くんだ?
と思ったら、駅が無人駅なので、そのまま通れるということだった(人に聞いてわかった)。
はじめは曇っていてまだよかったのだが、昼に近づいた頃には太陽がギラギラと照りつけていて、アチアチ。
イオンに着いた時には顔が真っ赤っかに。
もうちょっと頻繁にシャツクールとひんやりUVガードをかければよかったかも・・・
昼食はイオンモールの中の柿安ミートエクスプレスの四日市名物とんてき丼(ご飯少なめ)。
できあがるまでに水を立て続けに3杯も飲んでしまう。とにかくクールダウンしないと!
とんてき丼は、薄めのお肉で食べやすいタイプ。丼にするなら分厚くないほうがいいかも?
キャベツと卵ものっている。
結局、水は5杯も飲んでしまったが、これでようやく顔が赤いのもフツーに戻ったのだった。
ゆっくり休んだところで(やはり暑い時は休養をたくさんとらないとダメですね)、出発。
東海道に戻り、道は直角に曲がる。
背の低い道標があり、「大矢治・・・なんとか」と書いてある。これは服部泰次郎という人が建てたものとのこと。米穀商として成功したこの人、若い頃行商をしていて道がわからず苦労したことから千基以上もこうした道標を建てたとのことだ。
道路元標を通り過ぎ、富田小学校の校庭にある明治天皇御駐輦跡碑を見る。4回もこのあたりで休まれたらしい。
近衛文麿の筆によるものとのこと。
十四川を渡る。
この堤の両岸1.2キロにわたってソメイヨシノが約800本植えられているそうで、きっと見事でしょうね。
(3へ続く)
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