東海道五十三次歩き(第27回) 南日永~石薬師宿~庄野宿~井田川2
(1より続き)

杖衝坂を上がっていく。
日本武尊が東国遠征で疲れた体で、刺していた剣を杖代わりにして登ったという伝説のある坂だ。



坂の途中に、杖衝坂の史蹟柱、芭蕉の句碑、井戸(大日の井戸)、常夜灯(1811年)などがある。
芭蕉は江戸から伊賀に帰る途中、馬に乗ってこの坂にさしかかったところ落馬したという。

さらに上がったところにあるのが、弘法の井戸。
弘法大師が指し示したところから清水が湧き出たという。

坂を登り切ると、血塚社がある。
坂の上にたどりついた日本武尊がこの場所で血を洗い落とし、祠の下に血で染まった石を集めて葬ったと伝えられている。
先ほど買った最中をここで食べようかと思ったのだが、蚊がいるので断念(芭蕉の句碑のあたりですでに4つも刺されていた・・・)。
采女の一里塚の説明板があったところにブランコと滑り台があり、ここでようやく最中休憩をする。

この最中の形、笠となんだろ?行李かな?
ほどよい甘さの粒あんと餅が入っていて好きなタイプの最中。おいしい。

ふと見ると、四日市のコンビナートが見えた。
旧道はその先で国道に合流。

向かい側のガソリンスタンドの脇に采女一里塚跡碑があった。
鈴鹿市に入った。
ここで、再び旧道へ。

旧道に入ってすぐのところに地蔵堂と単直庵、南無阿弥陀仏名号碑がある。


地蔵堂には弘法大師、地蔵菩薩、役行者が、単直庵には阿弥陀仏が祀られている。
ゆるやかな坂を下って国道が見えてきた。
ここは横断歩道ではなく地下道で渡る。

そして見えてきたのが大きなとんてきの看板。
お昼はこのお店と決めていたので、看板に従って進む。
來來憲というお店である。四日市のとんてきのお店からのれん分けして出来たお店らしい。
頼んだのは來來憲定食。
本来ならばとんてき定食といきたいところだけれど、量が多そうなので、少なめというこま焼きの定食に。ご飯も少なめでお願いした。

いやしかし、これでも結構な肉の量ですね~
キャベツとにんにくもたっぷり。
最中を食べたばかりというのもあってか、完食ならず(肉一切れとご飯少々を残してしまった。ごめんなさい)。
これで少なめというならとんてき定食だとどんだけ多いのか・・・
おなかがいっぱいになって出発。
雨はほんの少し降っただけで、むしろ晴れ間が出て結構暑い。うーん天気予報はずれですね。

すぐに国道から旧道へと入るが、入口に石薬師宿の碑が建てられている。
信綱かるた道の案内もあり、ポストの中に地図と短歌が書かれたプリントが入っていたのでいただく。
1.8キロの間に、佐佐木信綱の短歌50首の立て札が立てられているのだけれど、早速ここに1番があった。

地蔵堂もあった。中には地蔵菩薩と弘法大師が祀られている。

東海道は信綱かるた道碑とともに進む。
全部撮ろうと思ったのに、早速3番を抜かしてしまった・・・
そして、これだけ忘れたんだと思っていたのに、帰って写真を見てみたらあと2枚撮影し忘れがあったのだった。うーむ残念・・・


短歌にはあまりふれたことがないのだが、信綱の歌はわかりやすく、素直にいいなあと思った。5歳とか7歳とかの作もあって驚く。

石薬師宿はとても静かで落ち着いていて、いい雰囲気だ。
昔もとても小さな宿だったという。

大木神社に行ってみる。
うっそうとした森の中にある。
椎の木の他、約100種の木があるそうだ。
(3へ続く)
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