東海道五十三次歩き(第28回) 井田川~亀山宿~関宿3
(2より続き)
昼寝観音(西日本で観音様を巡ってお参りする33カ所の寺を決める会議が開かれた時、落針の観音様は昼寝をして会議に行かなかったので、33ヶ所の寺に選ばれなかった)を過ぎた先で、アゲハを撮影したあと、跨線橋で関西本線の線路を渡る。
このあとまっすぐな道が続く。桜の季節はいいでしょうね。
このまっすぐな道は大岡寺畷といい、鈴鹿川に沿って2キロも続く。
広重の絵が描かれた名阪国道の高架をくぐり、ふと川を見るとなんと野生の鹿が!まさか鹿に遭遇するとは・・・
踏切で再び関西本線を越え、歩道橋で国道1号線を渡った先に関宿の看板があり、旧道へと入る。
そこにあるのが、関の小萬のもたれ松。
今あるのは松ではないようだが・・・
仇討ちで有名な小萬が若者とのたわむれを避けるために隠れた松があったそうだ。
鳥居が見えてきた。
ここが関宿の東追分、入口である。
鳥居を曲がると伊勢へ通じる道となる。
ここには一里塚址や、大きな常夜灯もあった。
関宿の街並みはすばらしい。
東追分から西追分まで1.8キロもあるそうで、江戸から明治にかけて建てられた古い家が200軒あまりも残っているそうで、どこを切り取っても絵になる美しさ。思わずバシバシ写真を撮ってしまう。
電線も埋めてあるんですね。
御馳走場跡を右折、関神社の参道に山車庫がある。
関の山という言葉の語源となった関の山車がしまわれている。
家々の軒先をかすめ人混みをかきわけて山車が巡行する様子から、この上はない、精一杯という意味の関の山という言葉ができたという。
この街では銀行までもがおもむきのある建物だ。
延命寺の門は、川北本陣の門を移築したもの。
端光寺にある柿は、権現柿といって、家康が食べたと伝わる。ちょうど柿がなっていた。
関のマンホール発見。
亀山市になる前の旧関町のイメージキャラクター「アスレ」だそう。肩にとまっているのはキジ、笠につけているのはシャクナゲとのこと。
アスレはお地蔵様と旅人をモチーフとして生まれたらしいけれど、アスレってそもそもどういう意味なんだろう・・・
関まちなみ資料館に寄ってみる。この先の関宿旅籠玉屋歴史資料館共通券は300円だ。
入ったところにマンホールにあったアスレが。
江戸末期に建築された町屋建築で、なかなかに立派。
箱階段も登ることができる。
2階にはジオラマも!そして関の街並みの移り変わりの写真展示もおもしろかった。
明治時代の自転車もあった。
ちょっと乗りにくそうだ。
川北本陣跡、問屋場跡、山車庫、伊藤本陣跡を見て、玉屋へと向かう。
(4へ続く)
マップはこちらを使っています。
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