東海道五十三次歩き(第29回) 関~土山4
(3より続き)
このあと左側に旧道跡があるが今は通れなくなっているため、猪鼻の交差点(若宮社標のあるところ)で右折し、旧道へと復帰する。
その前にちょっと寄り道。
火頭古神社へ。
本殿は国登録有形文化財とのことだが、これじゃなくて、この覆屋の中に建っているのが本殿なんですね・・・
猪鼻村に入ってきた。
東海道は色がついていてわかりやすい。
昔は立場があり、草餅や強飯が名物だったらしい。
屋号札をかけた家が多く見られる。
旅籠中屋跡には、明治天皇聖蹟碑などが建つ。
坂を登って国道1号線に合流、再び旧道に入ったところに榎島神社。
ご神木の椎の木は樹齢400年くらいとのことだ。
かわいらしい双体道祖神を過ぎ、工場を抜けた先に蟹坂古戦場跡の碑。
攻めてきた北畠勢を破り、甲賀への侵入を阻止した戦場跡である。
蟹ヶ坂という地名は旅人を食べる巨大な蟹がいたことに由来するそうだ。
飛び出し坊やたち。
手作り感満載(笑)。
海道橋の手前に高札場跡。高札が復元されている。
現在の海道橋(旧田村橋)は2005年に当時の板橋を復元したものである。
安永4(1775)年に田村川に橋が架けられる前は、もう少し下流を徒歩で渡っていたが、大水で流されて亡くなる旅人も多かったので、田村橋が架けられたという。
広重の土山の画に描かれているのも、雨の中を田村橋を渡る大名行列である。
井上士郎の句碑もあった。
東海道は田村神社のところで左折するが、神社に寄ってみる。
二の鳥居は青銅製だ。
拝殿にお参りして引き返そうとしたところ、おや?まだ奥がある。
奥にあるのが本殿であった。
街道に復帰、一の鳥居をくぐった先に道の駅あいの土山が見えてきた。
ここからバスに乗って貴生川に出る。
ちょうど4時20分のバスが来ていたのだが、生徒さんでいっぱい。30分後のバスに乗ることにして、おみやげをみる。
買ったのは、名物土山茶、あいの土山というワンカップ、そしてかにが坂飴。
蟹ヶ坂の伝説(旅人を食べる大きな蟹に通りかかった僧侶が往生要集を説いたところ悪行を悔い、甲羅が8つに割れて往生した。村人は塚を築き、割れた甲羅を模した飴を作って厄除けにした)にちなんだ飴である。
無料で提供されているお茶をいただき、50分のバスに乗る。
乗客は我々の他は1名(途中もう1名乗ってきたがほぼ貸し切り状態)。
30分ほどで貴生川の駅に到着。
駅にはかわいい忍者(甲賀忍者ですね)の絵が。
5時33分の草津線(京都直通)に乗り、6時半すぎに京都着。
今回からは京都から帰ることになる。
駅弁とビールを買い、7時5分の新幹線に乗り込む。
今回の駅弁は京寿司。押し寿司、笹寿司など、さば、えび、小鯛、鮭、かにのお寿司。これはおいしい!
ビールは黄桜酒造が造っている、京都麦酒ペールエール。
ご当地ビールがあるとうれしい。
9時23分東京着。
帰宅は11時過ぎだった。
約37100歩。雨の中まずまず歩きました。
次回は11月下旬を予定しています。
だんだん、日が短くなるのが悩みですね・・・
(完)
マップはこちらを使っています。
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