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2018/10/01

東海道五十三次歩き(第28回) 井田川~亀山宿~関宿2

(1より続き)

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趣のある街並みを進み、ちょっと寄り道。亀山城址に行ってみることにする。

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途中にあったのが、石井兄弟敵討碑。
元禄14(1701)年、このあたりの石坂門外で兄の敵である赤堀水之助を討ち取ったことを記念した碑。当時元禄曽我と言われ賞賛されたそうである。

亀山城は信長に追放されるまで関氏の城だったが、その後めまぐるしく城主が変わり、最終的には石川家で明治維新を迎えた。
現在では多門櫓と石垣、土塁、堀の一部が残されているのみである。

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多門櫓は土日祝日は中が見学できるそうだが、この日は木曜なので残念ながら見られない。

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亀山神社、大久保神官家棟門などをちらりと見学、元に戻ろうとしたところ・・・

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なぜかSLの展示が。

東海道に復帰、亀山宿の碑のところから坂道を上がる。

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問屋場跡を通り過ぎ、先に進むと旧舘屋住宅(枡屋)がある(土日祝日公開)。
幕末から大正にかけて呉服商を営んでいた枡屋。主屋は明治6年築だそう。

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蔵も立派だ。

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少し戻って飯沼慾斎生家跡(植物学の基礎を拓くなど、近代科学草創期の代表的な自然科学者・・・城趾に生誕碑もあった)を確認後、道を折れて青木門跡(家康が繁茂する青木を見て感激、おお青木と言ったことに由来)を見て、加藤家屋敷跡を見る。

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土蔵と長屋門がとても立派だ。
ここもまた土日祝日のみ見られるのであった。亀山は平日くるといろいろと見られないのですね。残念。

東海道に戻り、またまた道は曲がる。

西の丸外堀跡の先が京口門跡である。

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今は京口坂橋が架けられたため、坂道を登る道はなくなってしまったが、昔は坂の下から見上げると門や番所が見えたという。広重の亀山宿はここからの眺めを描いている。

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京口坂橋から見る竜川はきれいだ。

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坂を下った先にあるお寺が照光寺。入口には広重の亀山宿の絵がある。

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ここには、石井兄弟に討たれた赤堀水之助の碑や、またまた谷口一族が寄進した題目塔があった。

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森家住宅は今はアンティークショップ兼カフェになっている。
黒い漆喰の壁が見える。
この日はお店はお休みだった。

慈恩寺に一瞬寄ってみる。

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青面金剛と三猿を見たかったからだ。

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その先の野村一里塚(105里目)はとても立派。残っているのは北側のみだが、非常にめずらしいことに椋の木なのだった。樹齢400年。
ちょうど彼岸花が咲いていて、きれいでしたね。

田園の中を歩いていく。
大庄屋打田権四郎昌克屋敷跡を通り過ぎ、ちょっと寄り道。

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善性寺の山門はめずらしや、槇の木でできていてキレイにかりこまれている。Hという字に見えなくもない。

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本堂前にはソテツがあった。

街道に戻り、再び寄り道。
布気皇舘太神社。

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参道がかなり長いが、ずっと石灯籠が並んでいるのである。
多分56くらいはあったはずだ。

(3へ続く)


マップはこちらを使っています。
 ↓ ↓ ↓

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