東海道五十三次歩き(第29回) 関~土山2
(1より続き)
馬子唄会館の向かいは鈴鹿峠自然の家。
昭和13年に建てられた坂下尋常高等小学校の校舎で、国登録有形文化財に指定されている。
その後も東海道五十三次の標柱が並んでいる。思えばずいぶんと歩いてきたものだ。
鈴鹿馬子唄発祥之地碑。
少し先の河原谷橋を渡ると、いよいよ坂下宿だ。
坂下宿は本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠48と非常に賑わった宿だった。しかし、関西本線が通ると通行者が激減し衰えてしまった。
今は本陣も脇本陣も標柱が残るのみである。
この松屋本陣跡の他、大竹屋本陣跡、梅屋本陣跡がある。
法安寺。
庫裡の玄関は、松屋本陣の玄関を移築したものだそうだ。
坂下宿唯一の遺構である。
小竹夜脇本陣跡を過ぎ、先に進むとあるのが金蔵寺跡。今は石垣が残るのみだが、江戸時代初期には将軍家の御殿が設けられ、上洛途中の家康や家光が休息したところという。
その脇に地蔵堂があり、身代地蔵尊が祀られているが、右側のお地蔵様は板を突き抜けていた。
やがて老人の像2体が見えてきたが、誰がなんのために建てたものなのかよくわからない。
すぐ先に岩屋十一面観音菩薩碑がある。
扉を開けて中に入ってみたが、上までは登らず。
地蔵の他、馬頭観音もあった。
いったん国道1号線に合流するが、右手の細い道へと入っていく。鈴鹿峠の入口で片山神社の社標がある。
左手に地蔵堂を見つつ進むが、このあたりは古町と呼ばれ、慶安3(1650)年の大洪水で壊滅するまではここに坂下宿があった。
とうとう、道は舗装道路でなくなった。
ここで、傘はたたみ、フードをかぶってストックを持つ。それほどの雨ではないので、レインウェアのズボンはやめておいた。
すべらないようゆっくり登っていく。
片山神社。
平成11年社殿が焼失してしまったという。
鈴鹿流薙刀術発祥之地碑のところで道は折れ、いよいよ急な上り坂に。
常夜灯が4基並ぶ。
ぐいぐい登った先で国道1号線の高架をくぐり、広場を抜けてさらに階段を上がる。
芭蕉の句碑があった。「ほっしんの初に越ゆる鈴鹿山」と刻まれている。
台風の影響だろうか、方々に倒木がある。すごい台風だったんですね・・・
(3へ続く)
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