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2018/10/09

東海道五十三次歩き(第29回) 関~土山2

(1より続き)

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馬子唄会館の向かいは鈴鹿峠自然の家。
昭和13年に建てられた坂下尋常高等小学校の校舎で、国登録有形文化財に指定されている。

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その後も東海道五十三次の標柱が並んでいる。思えばずいぶんと歩いてきたものだ。

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鈴鹿馬子唄発祥之地碑。

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少し先の河原谷橋を渡ると、いよいよ坂下宿だ。

坂下宿は本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠48と非常に賑わった宿だった。しかし、関西本線が通ると通行者が激減し衰えてしまった。

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今は本陣も脇本陣も標柱が残るのみである。
この松屋本陣跡の他、大竹屋本陣跡、梅屋本陣跡がある。

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法安寺。

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庫裡の玄関は、松屋本陣の玄関を移築したものだそうだ。
坂下宿唯一の遺構である。

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小竹夜脇本陣跡を過ぎ、先に進むとあるのが金蔵寺跡。今は石垣が残るのみだが、江戸時代初期には将軍家の御殿が設けられ、上洛途中の家康や家光が休息したところという。

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その脇に地蔵堂があり、身代地蔵尊が祀られているが、右側のお地蔵様は板を突き抜けていた。

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やがて老人の像2体が見えてきたが、誰がなんのために建てたものなのかよくわからない。

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すぐ先に岩屋十一面観音菩薩碑がある。
扉を開けて中に入ってみたが、上までは登らず。

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地蔵の他、馬頭観音もあった。

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いったん国道1号線に合流するが、右手の細い道へと入っていく。鈴鹿峠の入口で片山神社の社標がある。

左手に地蔵堂を見つつ進むが、このあたりは古町と呼ばれ、慶安3(1650)年の大洪水で壊滅するまではここに坂下宿があった。

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とうとう、道は舗装道路でなくなった。
ここで、傘はたたみ、フードをかぶってストックを持つ。それほどの雨ではないので、レインウェアのズボンはやめておいた。
すべらないようゆっくり登っていく。

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片山神社。
平成11年社殿が焼失してしまったという。

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鈴鹿流薙刀術発祥之地碑のところで道は折れ、いよいよ急な上り坂に。

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常夜灯が4基並ぶ。

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ぐいぐい登った先で国道1号線の高架をくぐり、広場を抜けてさらに階段を上がる。

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芭蕉の句碑があった。「ほっしんの初に越ゆる鈴鹿山」と刻まれている。

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台風の影響だろうか、方々に倒木がある。すごい台風だったんですね・・・

(3へ続く)

マップはこちらを使っています。
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