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2019/04/07

東海道五十三次歩き(第31回) 水口宿~石部宿1

前週に引き続いての東海道歩き。
午後雨が降る予報だったし、夜中には雪かもという予報だったのでちょっと心配したのだけれど、予定どおり出かけることにした。
気温は8度くらいとのことだったので、真冬の格好で。

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前週と同じく4時半起きで、6時16分の新幹線に乗る。
乗った時は晴れていて、久々にバッチリ富士山が見えてうれしい。

京都に8時26分着。
45分の琵琶湖線に乗り、草津で乗り換えて貴生川9時53分着。
10時5分発のあいくるバスに乗り込むところまでは前週と同じ。
前回のゴールは近江鉄道の水口石橋駅だったのだから、そこからスタートがよかったのだが、電車の本数が少なく、バスに乗るよりスタートが遅くなってしまうので断念した。

降りたのは新水口。10時17分。前週よりは早い歩きはじめである。
街道の方に向かって前週訪ねた大岡寺の前を通り、今回は中の道ではなく北の道を行く。

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早速曳山蔵があった。

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水口小学校の入り口にあったのは、旧水口図書館。
メンソレータムで有名な近江兄弟社をつくったヴォーリズの設計した建物だ。
いつか近江八幡にも行ってみなきゃ!

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その前の道に延命地蔵があったが、全部で37体くらい?
ぎっしりだ。

大徳寺に寄る。

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大日堂の大日如来。金ぴか・・・

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水子地蔵。

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徳川家康の腰掛石。関ヶ原の戦い上洛のおりに使用した石という。

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甲賀騒動義民の五輪塔。
天保13年(1842)幕府の検地に反対した甲賀野洲粟田の農民一万余人は一揆を起こして抵抗し、その指導者11名は江戸に送られ処刑された。その霊を慰めるために水口城主の許可を得て此の五輪塔を建立したという。

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地蔵堂の地蔵たち。

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このあたり、町の名の標柱がたっている。こちらは塗師屋町(ぬしやまち)。

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やがて三筋の道は合流する。

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からくり時計がある。

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石橋を渡る。
それでここの駅は水口石橋というのかな?

甲賀市ひとまち街道交流館に寄ってみる。

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曳山を見せていただいた。
とても大きく立派。
しかし、今はひき手が減少していて、お祭りでは毎年交替でいくつかしか出ないという。

東海道は水口城天王口跡で右折、続いて左折、また左折、右折といくのだが、途中で寄り道。水口城跡に行ってみることにした。

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こちらは途中にあったちょんまげのついて飛び出し坊やたち。

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忍者も。

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巖谷一六(書家)の旧居跡を通り過ぎ、城跡に行く途中で桜が満開になっていた。
ソメイヨシノではなくてヒガンザクラだった。
ソメイヨシノはまだまだ1分咲きくらいだろうか。

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お城の前の桜もまだ全然咲いていない。
満開だったらキレイだったでしょうね。

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復元された櫓が資料館となっている。入場料100円。
紹介ビデオを見てぐるっと展示を見る。

二条城の御殿を模した豪華な御殿が築かれたものの、家光上洛時に一回使われたのみ。
歴代藩主も本丸は使用しなかったそうだ。

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三葉葵の瓦。

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かんぴょう=夕顔も飾ってあった。
かんぴょう、売ってたら買って帰ろうと思っていたけれど、なかったな・・・

(2へ続く)

マップはこちらを使っています。

 

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