東海道五十三次歩き(第34回) 大津宿~三条大橋2
(1より続き)
東海道は左の細い道へと入っていく。非常に狭い道の部分もあり、東海道でもっとも細い道ではないかと思った。
その後急坂が現れ、日ノ岡峠までぐいぐい登っていく。
酔芙蓉がきれいだという大乗寺は今は季節ではなにのでパス、地蔵堂、と思ったら大日如来堂のようだ。このあたりはまた、地蔵堂が多い。
細い道を抜け、府道143号線に合流したところに車石広場がある。
平成9年の京都市営地下鉄東西線の開業に伴い廃線となった京阪電鉄京津線の軌道敷を利用した広場だそうだ。
粟田口刑場跡解説板があった。
どうやら上に上がっていくと石碑があったようだが飛ばしてしまった。
粟田口刑場は、江戸時代より前から刑場として機能していたとされ、罪人総数約15000人ほどが処刑されたそうである。
蹴上浄水場を通り過ぎる。つつじの季節には一般公開されるらしい。
確かにキレイでしょうね。
ウェスティンホテルを通り過ぎると、通りの向こうに合槌稲荷神社の赤い鳥居が見えた。刀匠三条小鍛冶宗近が常に信仰していた稲荷の祠堂と云われる。
粟田神社に寄ってみる。
京都の東の出入り口、粟田口にあり、旅の神様として知られる。
御神馬。
上に上がると平安神宮の鳥居が見えた。
拝殿。
本殿。
舞殿。
そろそろお昼。ということで、お福といううどんとそばの店に入る。
頼んだのはにしんそば。にしんがとてもおいしい。
交差点からはまたまた平安神宮の鳥居が見える。
京都に入っても着色したお地蔵さん。
坂本龍馬お龍結婚式場跡を通り過ぎ、三条白川橋のところに道標。京都市で最古の道標である。
川沿いは柳が植えられていてきれいだ。
川沿いを進んだところに明智光秀の首塚がある。
光秀は自刃、最後を遂げたといわれるが、家来が、光秀の首を落とし、知恩院の近くまできたが、夜が明けたため、この地に首を埋めたと伝えられているそうである。
京都市のマンホールはつまらない。
が、御所車のデザインらしい。
ここで大将軍神社に寄る。
桓武天皇が平安京を造営した際、大内裏鎮護のため四方四隅に祀られた大将軍神社のうち、東南隅の一つだそうだ。
御神木のいちょうは樹齢800年だそうだが、切られていた・・・
とうとう三条大橋が見えてきた。
直前の交差点のところには高山彦九郎正之像。
群馬県出身の思想家で、京都に出入りする折には、京都御所に向かって拝礼したという。
三条大橋。広重の絵で描かれているよりは小さな橋なんですね。
駅伝発祥の地の碑。
カルガモの子ども。
弥次喜多像は案外小さかった・・・
ついについに三条大橋に到達、東海道完歩です!
今回のおみやげ。
京都観光して家に帰るまで約38000歩でした。
(完)
マップはこちらを使用しました。
« 東海道五十三次歩き(第34回) 大津宿~三条大橋1 | トップページ | 京都観光 »
「街道歩き」カテゴリの記事
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋6(2024.05.04)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋5(2024.05.03)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋4(2024.05.02)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋3(2024.05.01)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋2(2024.04.29)
コメント