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2019/05/26

東海道五十三次歩き(第34回) 大津宿~三条大橋1

いよいよ最後の東海道歩き。
天気予報では京都は30度超えと出ていたけれど、もちろん?出かけることにした。

いつものように5時過ぎの電車に乗り、東京駅6時16分発ののぞみに乗り込む。パンなどで朝食。うつらうつらしつつ、京都着8時26分。

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若干かすんではいたが富士山を見ることができた。

8時34分の電車に乗り、隣駅の山科で京阪に乗り換え、前回のゴール大谷へ。
歩きはじめは9時。

歩きはじめてすぐに国道に合流、歩道橋を渡る。

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そこにあったのが大津算盤の始祖・片岡庄兵衛解説碑である。1612年片岡庄兵衛が長崎に伝来した算盤を参考に製造を始めたとのことだ。

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その先に月心寺。
かつては走井の茶屋だったところで、井戸の水で搗いた餅菓子が走井餅。
橋本関雪が別邸とし、その後月心寺となったという。
残念ながら中には入ることができないが、結構敷地は広そうだ。

しばらく行くと高速をくぐる。

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その先に大日如来堂があった。真ん中に大日如来(多分)、そのまわりにお地蔵様が置かれている。

髭茶屋追分到着。

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追分道標と蓮如上人御塚があり、道標には「みきハ京ミち」、「ひだりハふしミみち」、「柳緑花紅」と書かれている。やなぎはみどり、はなくれないは中国宋の時代の詩人蘇東波の詩だそうである。
今回は右に進むが、左に行けば京街道。いつか歩くことがあるかもしれない。いや、歩いてみたいなあ是非。

追分からほど近いところに閑栖寺がある。

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門前に車石が置かれているほか、中に入ると、車道が再現されていたり、またまた車石もあったり。

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どのように牛車が動いていたかの絵もあった。

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まだまだ地蔵尊がある。
このあたりからずっと地蔵堂が立派だった。

さて、井筒八ッ橋本舗の工場兼店舗に寄ってみる。

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なぜか駐車場には天智天皇像と坂上田村麻呂像があった。

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まず2階に上がって工場見学。
工場見学は大好きなのでついつい寄ってしまう。

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大津そろばんや針の展示もあった。
大津といえば、そろばん、針なのだそうだ。

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大津絵も名物の一つ。
絵によって効用が違ったわけなんですね。

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売店でおみやげを物色していると、生八橋(夕子)を出して下さった。おいしい!
ついでに走井餅も試食。ホントは買って帰りたかったのだけど、気温が高いので断念。残念。
結局、家へのおみやげに八ッ橋と、おやつ用に生八橋入り三笠を購入。

街道に復帰、先を進むが、街道は国道1号線によって分断されているので歩道橋を渡る。

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旧道に入ると、魚やさんの前にまたまた車石が置かれていた。

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小関道の道標を通りすぎ、いよいよ京都市に入る。

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徳林庵(六角堂)。
雲英が人康親王を都もらうために創建した。
人康親王は仁明天皇の第四皇子で、失明後のこのあたりに隠棲したという。それでこのあたりの地名が四宮となったそうだ。

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かわいらしいわらべ地蔵。

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人康親王供養塔と蝉丸供養塔もあった。

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道の奥に入っていくと十禅寺がある。人康親王が開山したという。

諸羽神社の鳥居を通り過ぎ、山科駅を横目にみつつ先に進む。

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愛宕常夜燈。なぜか上にゴジラが・・・

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五条別れ道標。
「右ハ三条通」、「左ハ五条橋 ひがしに六条大佛今ぐ満きよみず道」と書かれている。

 

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高架をくぐって先に進むと冠木門のモニュメントが見えてきた。

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横には地蔵堂。

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通りの向こうは天智天皇陵への参道があり、日時計が。
日本初の時計を考案したのは天智天皇だったのか!

(2へ続く)

マップはこちらを使用しました。

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