« 中山道六十九次歩き(第1回) 草津~武佐2 | トップページ | 中山道六十九次歩き(第1回) 草津~武佐4 »

2019/06/04

中山道六十九次歩き(第1回) 草津~武佐3

(2より続き)

1_22

野洲市(旧野洲町)マンホールが案外つまらない・・・と思ったら銅鐸の紋様だそうだ。

東海道本線の線路をくぐった先に宇野勝酒造があったが、なんだか人がいなさそうで買えず・・・
宇野酒造というのはもうないのかな?

少し先に梅本老舗という和菓子やさんがあり、おやつとして三上山彩景というお菓子を購入。

2_22

枡形のようになったところにあった蓮照寺の境内にはすぐ先の朝鮮人街道との分岐にあったという道標が2つと従是北淀領の境界石があった。

3_21

向かいの唯心寺の屋根は茅葺き。

4_22

門前にはかわいらしい石仏が。
このお寺を開基した唯心尼は処刑された住蓮坊を手厚く葬ったという。

5_22

さらに進むと背くらべ地蔵なるものがあった。弘法大師作と伝わるものらしい。
てっきり、二つの地蔵が背くらべしてるのかと思いきや・・・
左は阿弥陀如来立像なんですね。
当時は乳児がよく死んだため子を持つ親達が、「我が子もこのお地蔵さんくらいになれば、あとは良く育つ」 と背くらべをさせるようになり、いつしか 「背くらべ地蔵」 と呼ばれるようになった・・・そうだ。

お隣の行事神社にも寄る。

6_22

鳥居にかかっている縄は勧請縄といって悪霊や疫病神が入ってこないよう縄を張って守るためのものらしい。

7_22

脇の用水路は祇王井。
平清盛の寵愛を受けた祇王が故郷の人々が干ばつで苦しんでいることを訴え、清盛が水路を造らせたとのことでこの名がついたのだそう。

8_22

朝鮮人街道との分岐を通り過ぎ、小学校の前のベンチで少々休憩。

9_22

野洲市の2種類目のマンホール発見!
三上山、野洲川、旧中主町の花であるあやめが描かれている。

またまた残念!暁酒造もあいておらず・・・

10_22

養専寺のイチョウはとても立派だ。

11_22

中之池地蔵尊に座るところがあったので休憩。先ほど買ったお菓子を食べる。蒸しパン風の生地にあんこでおいしい。

12_22

地蔵。

13_22

かわいらしい六地蔵。

だんだんと新幹線の線路が近づいてきた。

14_22

桜生公民館には銅鐸がのっている!
このあたりで合計24個もの銅鐸が発見されたそうで、銅鐸博物館もあった。ちょっと行ってみたかったけれど先を急ぐので断念。

途中まで歩いて、宝樹寺を見学。

15_21

鎌倉時代の宝篋印塔がある。
このお寺は東海道沿いで見た(聞いた)天保一揆の打ち合わせが行われた場所という。

16_21

桜生史跡公園に寄る。道を上がっていくと甲山古墳があった(他に二つの古墳がある)。

17_20

石棺大きいなあ。

この公園のあたりが一番新幹線の線路に接近するがまた離れていく。

18_21

少し先に、子安地蔵堂。

残念ながら子安地蔵は秘仏で、1,8月の縁日のみ開扉されるそうだ。

19_20
なので、外の地蔵たちを撮影。

20_20

家棟川(天井川)はいまやなく、新家棟川が作られているのだが、その脇にある神社が篠原神社。何度となく家棟川の氾濫で社殿がながされたとのことで、現在あるのは明治9年に造られたものだそうだ。

21_20

川を渡ったところに愛宕山常夜燈など。

国道に合流した。狭い歩道を歩いていく。

右側の土手の向こうには西池があるのだが、見えない。

いったん旧道に入りまた国道に合流。

22_19

東池の方は道から見ることができる。

23_16

三上山もまだ見えた。

24_14

光善寺川を渡った先にある池は、不帰池(蛙不鳴池)。平宗盛はこの地で処刑されたという。その首を洗った首洗い池と続いていて蛙がなかなくなった・・・とのことだ。

25_7

草ぼうぼうの細い道を入っていくと、平宗盛・清宗親子の胴塚があった。
義経の配慮で親子は一つの穴に埋められて塚が建てられたとのことである。


(4に続く)

 

マップはこちらを使っています。

« 中山道六十九次歩き(第1回) 草津~武佐2 | トップページ | 中山道六十九次歩き(第1回) 草津~武佐4 »

街道歩き」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 中山道六十九次歩き(第1回) 草津~武佐2 | トップページ | 中山道六十九次歩き(第1回) 草津~武佐4 »

twitter

google


  • Google

    WWW
    ブログ内

amzon