中山道六十九次歩き(第2回) 武佐宿~愛知川宿~高宮宿1
今回の中山道歩きだが、行こうかどうしようか直前まで迷っていた。
一週間前の天気予報だと、曇り時々雨、その後もまあ曇りベースかなと思っていたら、直前になって雨ベース、しかも結構な雨が降りそうな予報に変わり・・・しかし、新幹線の切符予約しちゃったしな、どうしよう・・・と前日まで迷いに迷ったあげく、なんとかなるかと決行決定!
いつものように4時半起床で出発。このときはまだ雨は降っていなかった。
新幹線は6時26分発のひかり。名古屋までの停車駅は小田原と豊橋。当然ながら富士山を含め山の姿はほとんど見えない。
名古屋を過ぎたあたりから雨が降り始め、8時48分米原に到着したときにはかなりの雨になっていた。
琵琶湖線に乗り換え、近江八幡で近江鉄道に乗り換えて、武佐駅到着は9時43分。
さらに雨は強まっていたので、レインウェアのズボンを履く(結果的にゴアテックスだったので、非常によく撥水し、まったくぬれることなくむれることなく・・・軽いしすぐれものです)。
マップをマップケースに入れ、歩きスタート。
武佐駅のホームに沿って道は曲がっているが、ここが武佐宿の西の見付。
高札場跡の解説板は、小学生が作ったもの。この宿は随所にこのような解説板がたてられていていいですね。
愛宕山常夜燈と愛宕山碑。前回もいくつか見たし、このあたりは火伏せといえばこれなんですね。
近江八幡市のマンホールのデザインは、八幡堀、白壁の蔵、八幡山、近江商人のそろばんの玉柄ののれん、市の木さくらのようだ。
こちらには船も描かれていますね。
静かな街並み。
途中から埋まってしまっているが、安土浄厳院道の道標。
浄厳院は、安土の浄土宗の総本山で、織田信長が行わせた宗教戦争、安土問答で有名なお寺だそうだ。
本陣跡。門が立派だ。
街のあちこちにあったが(前回も見ているが)、むしゃりんどうはこの地の特有のお花。
お隣の郵便局も本陣の敷地だったところだそうだが、黒い書状集箱があり、実際に使っているんですね。
東海道五十三次より有名ではないけれど、木曽海道六拾九次もある。
今度、まとめて見てみなければ!
武佐町交差点に新しい常夜燈が。奥の説明板には象が通った道であると書かれていた。
脇本陣跡には冠木門が作られている。
広済寺は中には入ってみなかったが、明治天皇御聖蹟碑のみ撮影。
明治天皇の北陸の往復で昼食の行在処となったそうだ。
高札場跡を通り過ぎ、牟佐神社に寄る。
御神木のけやきの周りにたくさんの御神燈が立っていた。
蛇砂川を渡る。西側にはどんどん川とある。どういう意味だろう?
西福寺。
山門脇の地蔵堂に泡子延命地蔵尊が祀られていたようなのだが、のぞいてもよく見えなかった・・・
そのすぐ先の水辺に泡子延命地蔵尊遺跡がある。
茶店の娘が旅する僧侶に恋をし、飲み残しのお茶を飲んだところ懐妊、男の子を産んだ。3年後僧侶が現れ、男の子にふっと息をふきかけたところ泡となって消えた・・・という。
別のマンホールのデザイン。
と思ったら旧安土町のマンホール。
信長が使っていた刀の鍔に永楽通宝銭がデザインされており、ANZUCCIはポルトガル語での表記とのこと。
東光寺。
伝内堂には秀吉の書記だった建部伝内の像がある。
西老蘇地区に入り、鎌若宮神社に寄る。
老蘇村が東西に分かれた際、奥石神社の若宮として勧請された。
参道には御神燈が並ぶ。
奥石神社御旅所、緑苔園を通り過ぎる。
この庭園は、江戸末期に造られた回遊式枯山水庭園とのこと。ここって見学できるんだろうか?
轟橋を渡る。金比羅大権現常夜燈と、渡った先に轟地蔵跡があった。
この地蔵は小幡人形の千体仏で福生寺に今は祭祀されている・・・そうだったが、残念ながら見られない。
が、お寺の境内には例によってたくさんの地蔵等石造物が集められていた。
(2へ続く)
マップはこちらを使っています。
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