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2019/06/05

中山道六十九次歩き(第1回) 草津~武佐4

(3より続き)

一瞬旧道に入り、また国道に出たところに道の駅、竜王かがみの里がある。竜王町に入った。
このあたり、鏡は間の宿である。

ちょっと休憩。
この先どこまで行けるか検討した結果、なんとか武佐駅まで行けそうだということになる。

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向かいに義経元服の池とそのの碑がある。

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鏡神社の参道には、義経が元服後参拝した折に烏帽子をかけたとされる烏帽子掛け松があったが、明治6年の台風で倒れたため切断したまま残されている。

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神社の本殿は室町時代のもので重文。

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このあと、旅籠の跡や本陣跡などの案内板が続く。

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源義経宿泊の館跡もあった。
このあたりは義経関係が多い。

鏡口交差点から旧道に入る。

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愛宕常夜燈と愛宕大神があった。

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竜王町のマンホールは町の木の松と町の花コバノミツバツツジである。

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自治会館前の地蔵、道祖神、石仏。
滋賀県は地蔵が多いけれど、東海道には道祖神はなかったような?

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間の宿を抜けると田んぼが広がる。

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また国道に合流するがそこにあった道標は「みなくち道」「是よりいせみち」である。
だからというわけではないけれど、道の駅でおみやげに買ったワンカップは、水口の酒造のものだ。

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川縁の石造物。

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日野川の渡し(船)は今はなく、迂回して国道沿いの横関橋で渡る。
近江八幡市に入った。

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水田と麦畑の中を行く。麦秋ですね。

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猫発見!なんだかボロボロだ・・・

またまた国道に合流。

その地点に高札場跡、八幡社がある。
源義家が奥州遠征の途中、愛馬が熱病にかかりここで休ませたところたちまち回復したので、応神天皇の霊を勧請して武運の長久を祈願して造ったとの伝承があるそうだ。

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本殿は織田信長の兵火により焼失、1596年に再建されたもの。三間社流造桧皮葺で重文。

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少し進むと街道からは供養塚古墳が見え・・・

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続いて遠くに住蓮坊古墳が見えた(うっかり首洗い池は通りすぎてしまった)。
法然上人の弟子、住蓮と安楽は後鳥羽上皇が寵愛する女官たちを出家させたため、上皇の逆鱗に触れ死罪となった。
住蓮坊はこの地で処刑され首を洗われた。
住蓮坊古墳に2人の墓があるそうだ。

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またまた麦畑の中を行く。

武佐宿に入ってきた。
やっと旧道に入りほっとする。

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伊庭貞剛邸跡。伊庭貞剛はこの地に生まれ、明治に入って住友に入社、グループの育ての親とも言うべき人物とのこと。

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ここは公園になっているのだが、武佐竜胆が飾られていた。
ここ、武佐で発見されたりんどうなのですね。

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すぐに武佐駅到着。ここでこの日の中山道歩きはおしまい。

無人駅で、近江八幡に向かう方のホームはどうやっていくの?と思ったら線路を渡っていくのだった。

2両編成の電車がきて、乗り込む。
整理券をとって、近江八幡駅にて料金を払う。

JR琵琶湖線の快速に乗り換える。
なんと!線路に人立ち入りとかで電車がとまってしまい、一瞬あせるが10分ほどの遅れですんでほっ。

新幹線の改札を通って駅弁を買おうと思ったら・・・
ほとんど選択肢なし!
結局牛肉弁当を買う。

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18時57分のひかりに乗り込み、早速お食事タイム(もちろんビールも)。

牛肉が甘辛く味付けされておいしい。おつまみとしてもよろしい。

乗ったひかりは名古屋の次は小田原に止まる電車で案外早く東京着。21時10分。
中央線が遅れており少し時間がかかったが、10時半前には到着した。

約50400歩。
よく歩きました。

(完)

マップはこちらを使っています。

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