中山道六十九次歩き(第5回) 関ヶ原宿~垂井宿~赤坂宿~美江寺宿2
(1より続き)
お寺の斜め向かいにあるのが、小林家住宅主家。油屋宇吉家から小林家が明治になって譲り受け、亀屋の屋号で旅籠を営んでいてそうだ。
続いて旅籠の長浜屋。休日はお休み処として利用できるようだ。
南宮大社の大鳥居。高さは7メートル以上ある。
常夜燈は1840年のもの。
本陣跡(建物は焼失)の先の丹波屋さんの建物もおもむきがある。
鬼瓦にWaterと書いてあるけれど、これはいったい?
旅籠の亀丸屋。
最近まで営業していたようだが、今は廃業している。
この前は枡形になっている。
道をちょっと入ったところに紙屋塚がある。
昔、紙漉き場があったとのことで、美濃紙発祥の地と言われるているそうである。
ここで、重要なポイントを通り過ぎてきてしまったことに気づいた。
垂井の泉である。そんなに重要でなければ飛ばしていくところだが、ここははずせない。
この日のスケジュールはかなりタイトなので少々あせるが、急いで来た道を戻った。
玉泉寺の脇に垂井の泉がある。
樹齢800年の大ケヤキの根元から水がわき出ていた・・・のだが、残念ながら今はない。垂井の地名の起源とされているこの泉、とても水がきれいだ。
先に進み、垂井宿の東の見付で宿を出る。
と思うとすぐに相川。
相川橋を渡る。ここは暴れ川で、人足渡しだった模様。ただし、朝鮮通信使や姫宮などが通る時には橋がかけれらたそうだ。
山が見えていい風景だ。
渡ったところにあるのが垂井追分道標。
中山道と美濃路の追分である。中山道は左に行く。
いつか美濃路も歩こう!
すぐ先に稲荷神社があるのだが、そこには珍しい物が。
日露戦争時の砲弾である。なんでここにあるのだろう??
ちょっと早い時間だったが、ここで昼食タイム。
今回は飲食店が見つからず、コンビニイートインでのお昼である。
多分東京のコンビニではないと思うが、名古屋名物のあんかけスパゲティを売っていたのでこれにする。
東海道で名古屋を歩いた時にミラカンを食べたっけ。
30分ほどで出発。
平尾御坊道道標の脇に立ってる地蔵と座っている地蔵があった。
大垣市に入って青野一里塚跡。大神宮常夜燈がある。
教覚寺に寄ってみる。
脇には稲葉岩見守正休公碑がある。
稲葉正成(春日局の夫だった人)の子孫だが、江戸城内で大老を刺殺、自身も殺されたという人物だ。
鐘楼台にはフリズナ(有孔虫)の化石があるとのことだったが、これかな?
本当はここを入った先にある国分寺跡に行きたかったのだが、だいぶ時間が押していたのであきらめる。残念。
田んぼの中をすすむ。もう少しで収穫かな?
大谷川を渡った先にあるのが、圓願寺芦竹庵。
牛若丸奥州へ落ちのびる途中、青墓の円願時で休み、江州から杖にしてきた芦の杖を地面に突き刺し 「挿しおくも 形見となれや 後の世に源氏栄えば芦竹となれ」 の歌を詠んだという。その後、芦から芽が出て竹の葉になったとの伝説がある。
照手姫の墓と言われる墓もあった(他の場所にもあったような)。
大きな十一面観音菩薩もある。
右に折れると照手姫水汲井戸がある。
照手姫は栗判官の死後、青墓宿の大炊長者に買われたがかたくなにを取るのを断ったため長者から籠で水を汲めなどという無理な仕事を言いつけられたという。このところ照手姫づいている気がしますね。
粉糠山古墳に寄った。
なんと今は墓地になっているのだった。前方後円墳だ。
青墓の遊女たちが捨てた粉糠がつもったものであるという。
(3に続く)
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