盛田金しゃち酒造 金鯱 しゃちカップ
先月の中山道歩きで、帰りの名古屋駅にて購入したカップ酒。
金鯱のデザインなので、当然名古屋市の蔵元かと思ったら、半田市だった。
開けるとやや色がついてますかね。
飲んでみると、意外と甘みを感じる。といってくどい甘さではない。酒臭さはあって、すっきり飲める感じではないけれど、まずまず。
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先月の中山道歩きで、帰りの名古屋駅にて購入したカップ酒。
金鯱のデザインなので、当然名古屋市の蔵元かと思ったら、半田市だった。
開けるとやや色がついてますかね。
飲んでみると、意外と甘みを感じる。といってくどい甘さではない。酒臭さはあって、すっきり飲める感じではないけれど、まずまず。
スーパードライの派生品。
なんだかおめでたい感じ?天皇即位と関係あるんかしらん・・・
注いでみると、やや薄めの色。
飲んでみると、おや?ちょっと不思議な香り?ホップなんでしょうかね。
スーパードライとは全然違うような?
派生品とはわからない感じ。
ちょっとコンセプトはわからなかったけれど、スーパードライとしては結構よいと思う。
一番搾り黒生のリニューアル品。
リニューアルしても、ひっそりな場合はスルーしてしまうことが多いが、これはでかでかと「新おいしい!」と書かれていたので、見逃さずに購入。
以前はキリンの黒ビールは上面発酵のスタウトだったが、今は下面発酵のシュバルツになっている。
注いでみると、当然ながら漆黒。
飲んでみると、焦げ味しっかり、苦みしっかりの黒ビールだけれど、黒系としては飲みやすいのではないかと思う。
悪くないです。
以前はJPL(ジャパンペールラガー)という名のビールが、JPL(インディアペールラガー)に。
注いでみると、濃いめの黄金色。
飲んでみると・・・
この名前からしたらきっと苦みがスゴいだろうなと思っていたけれど、実際にぐぐっと苦みがくる。とともにホップの香りがぐっとくる。
これ好きだな。
八王子市夢美術館に行ったあとの昼食は、2回目のブロンコビリー。
前に行ったのはコストコ多摩境店の近くのお店だった。
ランチメニューはいろいろあったのだけど、やっぱり定番を。
炭焼き粗挽きビーフハンバーグランチ。
まずは、サラダバーとスープ。
ついついたくさん盛ってしまった・・・
そしてメインのハンバーグと大かまどごはん(小)。
ここのハンバーグは細長い俵型で、席で鉄板に乗せられたあと、半分に割られて鉄板で焼くのだけど、中はかなりレア。
ホントはワタクシ的にはもっとしっかり焼いてほしいのだけど、おいしいのはおいしかったです。まずは岩塩で次は和風ソースで。
岩塩だけだとどうだろうと思ったけれど、意外とイケる。
ワタクシは210グラム。
同居人は280グラム。いずれも今なら10%ましということでボリューミーに。
最後にデザートもいただきました。ピーチゼリー。
おなかいっぱい。
今度行っても、やっぱりこのハンバーグを食べそうな気が・・・
東京都八王子市大和田町5丁目33-5
art-40【素描礼讃 岸田劉生と木村荘八展】 八王子市夢美術館
先日、東京ステーションギャラリーで【岸田劉生展】を見た際に、この展覧会をやっているのを知って行ってみることに。
22日火曜日。
朝方は結構雨が降っていたが、昼近くになって小降りになったので車でお出かけ。
行くまで知らなかったが、この日はお祝いということで無料だった。ラッキー。
笠間日動美術館、うらわ美術館、小杉放菴記念日光美術館が所蔵する素描を中心とした展覧会だった。
1 岸田と木村 銀座築地スケッチ&エッセイ
岸田劉生と木村荘八は白馬会の画塾で出会い、友人となった。
先日の展覧会でも見たが、岸田は木村の肖像画を何枚も描いていたようだ。
木村の『東京繁盛記』の挿絵など、銀座や築地界隈の素描が並んでいたが、ノスタルジーを感じる風景が、サラサラッと描かれていてなかなかよい。いつか読んでみるかな~
2 岸田劉生 素描・単色画を中心に
岸田劉生のコーナーだが、素描だけでなく油彩や日本画なども。
定番の「自画像」は力強く、弟子の「丸山君の像」は、先日も思ったけれど、なぜ何かを持たせるんでしょう?(これはみかん)。肖像画も描き方に変遷があるけれど、デューラー風のが印象的だ。
「夏の路(鵠沼海岸)」など風景画、静物画などもあったが、やはり麗子!
木炭、コンテで描かれた「麗子の像」は、これがリアルなんでしょう、かわいい麗子。「麗子十六歳之像」は美人に描かれている。
なのに、「寒山風麗子像」はデフォルメしすぎで不気味。麗子さん、悲しかったかも?「麗子曼荼羅」はユーモラスで楽しいが。
こんな作品もあったんだなあと思ったのが「猫図」。猫の毛並みが非常に細密に描かれている。
先日の展覧会でも見たが、エッチングの「天地創造」、意外と好き。
3 木村荘八 挿絵原画を中心に
木村荘八といえば、『濹東綺譚』の挿絵のイメージ(以前行った展覧会でたくさん見た)。永井荷風の小説自体は好きとは言いがたいけれど、この挿絵はいい。今回はそのあたりの展示はほとんどなかったのが残念だけれど、やはりこの人は、挿絵が素晴らしい。
油彩画もあった。「歌妓支度」は鏡に向かい着付けをしている女性が描かれているが、粋な感じでよい。
2人の画家、どちらのファンの方でも楽しめる展覧会。是非どうぞ。
(3より続き)
再び土手に上がり、少し進み、ムクノキのところで降りる。
解説板にはこの地で生まれた坪内逍遙が夫婦で訪れた際にこの木の前で記念撮影したという写真があった。
その角にあるのが、虚空蔵堂。逍遙の子どもの頃の遊び場だったところだそうだ。
ここのあたりは、また、承久の乱の古戦場跡でもある。
いろいろな石碑もあった。
道は直角に曲がり、ここが西の枡形。いよいよ太田宿に入ってきた。
さらに道は直角に曲がるが、この角に道標。「右関上有知道 左西京伊勢道」と刻まれている。郡上街道との追分である。
本陣跡。今は門が残るのみである。
和宮が江戸に向かう時に新築された門とのことだ。
中山道の家並みも新築、修繕されたと言われている。
その向かいにあるのが、太田宿中山道会館。
エノキとヤドリギ。
展示室には、太田宿の展示の他、この地に暮らした岡本一平に関する展示なども。
向こうに見えている模型は、坪内逍遙の父が勤めていた太田代官所。
逍遙が書き残した平面図を元にして造ったものだそうだ。
岡本一平の展示。
一平が暮らしたという家を移築した糸遊庵もあった。
売店で買った白川茶は濃くておいしかった。
脇本陣跡の林家住宅。うだつの上がる立派なお屋敷だ。
今も住まわれている建物なので、見学できるのは隠居家のみ。
ただ、4時までだったので、この日は見学できず・・・
次回見ることとしよう。
このところ酒造がなかったが、この日は御代桜酒造に寄り、無事お酒をゲット!
魚徳では、子持ち鮎の甘露煮(おいしいかった!)をゲット!
旅籠だった小松屋(吉田家住宅)は今は案内所となっている。
坪内逍遙や、播隆上人の説明板などがあった。
播隆上人は知らなかったが、槍ヶ岳を開山した上人さんなのですね。
向かいの建物は旧十六銀行太田支店だったところ。
鬼瓦に「銀」とある!
祐泉寺に寄る。
北原白秋の歌碑と坪内逍遙の歌碑があった(芭蕉句碑もあったが見つけられなかった)。播隆上人の墓碑もあったらしい。
ここでこの日の街道歩きは終了。
美濃太田駅へと向かう。
美濃加茂市のマンホール。日本ライン下りの船と船頭さんが描かれている。
美濃太田駅の前には、坪内逍遙の胸像があった。
5時35分の高山本線で岐阜まで、乗り換えて名古屋着は6時45分。
お弁当とビールを買い、いつもの7時26分発のひかりに乗り込む。
今回の駅弁はだるまの満彩おこわ弁当。
おかずも豊富でおいしい。白いご飯はたくさん食べられないのだが、こうしたご飯だといける。
東京駅着は9時10分。帰宅は10時半前だった。
約43000歩ちょっと。
まあまあ歩きました。
次回は11月を予定しています。
(完)
マップはこちらを使っています。
(2より続き)
六十六部を通り過ぎ、その先にもりの本屋さんなるものがあった。
図書館とのことだが、こんな図書館が家の近くにあったら、通っちゃうな~
ここで、イノシシよけのため、カウベルをリュックに取り付ける。
この先で道は石畳となり、眺望の丘との分岐を左へ行く。
うとう坂の一里塚(100番目)があった。
北側はしっかり塚が残っているが、南側は戦時中に陸軍の兵舎が建てられて半分以上崩れてしまっている。
途中から下り坂となる。
石畳に苔の生えた部分はすべりやすいので、慎重に降りていく。
しかし、下を見て歩いていたせいか、うっかし喜右衛門菩提碑を見逃してしまった・・・道標をかねたものとのことで見たかったのだが・・・
また、各所にイノシシ出没注意と、まむし注意の看板がたっており、イノシシはどうやら夜出ることが多いらしいが、マムシはホントに出るかもと注意しながら歩いていく。
丸太橋を渡り・・・
高山本線と県道をくぐるトンネルを通る。前週の台風のせいか、脇から水が流れ込んでいた。
坂祝町へと入ってきた。
階段を上がると県道だが、多くの飲食店が廃墟となっていた。
日本ライン下りが終了し、急激にさびれてしまったようだ。
小桜踏切のところでちょうど高山本線がきたのでパチリ。
岩屋観音へと上がっていく。木曽川が見える。
中山道はここだけ、県道を歩かない。
観音堂には地蔵尊もあるが・・・
聖観音座像や
奥には三面六臂の馬頭観音や八大龍王などもある。
巌屋坂之碑、地蔵尊を見て、崖道を通って、再び県道へと合流する。
中山道はここから、太田宿の近くまで県道を行くのだが、車量も多く、風情もないので、川沿いのロマンチック街道を行くことにした。
川と対岸の山々が見えて、気持ちのいい道だ。
水神碑と社があった。
勝山湊跡。桑名方面へ向かう年貢米の積み出し港として、また水上交通の要所として栄えたそうだ。
東屋があったので、持参した栗羊羹で休憩をとる。
行幸巌記念碑。
昭和天皇が昭和2年巡幸されたのを記念して建てられた。
向こうに見える岩肌が見えている山は、可児市の鳩吹山である。
まだまだロマンチック街道は続く。
向こうに見える山々はは御嶽山など木曽の山々だろうか。
やがて中州が見えてきたが、手前の川にはなぜか水がない・・・
と思ったら、木曽川一色派川という水の流れていない川なのだそうだ。
加茂川が木曽川へと合流する加茂川送水樋門。
ここで、坂祝町から美濃太田市へと入る。
木曽川の対岸に見える煙突群は、可児市の製紙工場だそうだ。
美濃の俳人、兼松嘯風句碑があり、その先の欄干にたくさんの句碑があった。
土手をいったん降りて、芳春寺へ。
お寺の前に地蔵尊、馬頭観音、三界萬霊塔、弘法大師が並んでいた。
(4へ続く)
マップはこちらを使っています。
(1より続き)
鵜沼宿脇本陣跡。
江戸時代末期の鵜沼宿各家の間取りを描いた 「鵜沼宿家並絵図」 をもとに、現存する脇本陣の外観や内装、意匠などを参考としながら、脇本陣を務めた坂井家の建物の姿を現代に復元し、平成22年から公開している。
うだつが上がっている。
中山道69次の瓢箪。
お庭。
内部の様子(上段の間は撮影禁止)。
ボランティアガイドの方にいろいろと説明していただいたのだが、今年、和宮が食べたという食事の再現のお話が大変興味深かった。
茄子の奈良漬けが好物だったとは!
味噌汁はごぼうだけとか。
そのうち、この宿でお料理を提供するようになるかもしれませんね。
芭蕉の句碑「ふく志るも喰へは喰せよきく乃酒」
主人の求めに応じて、楠の化石に即興の句を彫ったとのことだが、自身で彫ったかはさだかでないらしい。
「汲溜の水泡たつや蝉の声」「おくられつ送りつ果ハ木曽の秋」「はらなかやものにもつかす啼くひはり」
の句碑。
菊川酒造。
ガイドの方に案内していただいた旧大垣城鉄門。高麗門と呼ばれる型式の門で、正面には短冊状の筋鉄(すじがね)が張られている。
火矢による攻撃から門を守るためだそうだ。
ここでガイドさんとお別れし、鉄門の斜め前にある花の木で昼ご飯(その後、またこのお店でガイドさんに遭遇)。
いただいたのは、ねぶか雑炊のセット。
伊能忠敬が測量に訪れた際、鵜沼宿が用意したねぶか雑炊(ねぎ雑炊)をうとう峠で食べたという。
炊が出るまでの間、りんごマンゴー酢を飲んで待つ。
茶碗蒸し、刺し身入りサラダ、ポテトサラダ、茶碗蒸し、肉団子、ごま豆腐などもついていて、なかなかにゴージャスな昼食となった。
もちろん、雑炊はしみじみとおいしい。
お米は岐阜県産とのことだが、これまたとてもおいしいお米だった。
食後、少し戻って鵜沼宿町屋館を見学。
江戸時代には絹屋という旅籠を営んでいた武藤家は明治に入り郵便局を営むことになった。その建物を市が譲り受け、歴史民俗資料館として公開している。
高札場(復元)を通り過ぎ(実際は東の見附の近くにあった)、鵜沼駅への道との分岐を左に行くと、赤坂神社がある。
拝殿の前にはたくさんの御神燈が並んでいた。
ふと空を見ると秋らしいうろこ雲だ。
角に、東の見附跡と、赤坂の地蔵堂がある。
「右ハさいしょ(在所)みち」「左ハ江戸幷せんこうし(善光寺)みち」と地蔵に刻まれている。
またまた道標をかねた地蔵だ。
ここからうとう峠に向けて坂道がはじまる。
結構登っていく。振り返ると犬山城が見えたらしいのだが、うっかり見るのを忘れてしまった・・・残念。
江戸時代から農業用水として利用されていた合戸池。
中山道北側に水田を拓いた梅田由三郎の顕彰碑や、1814年の釈迦如来像もあった。
(3へ続く)
マップはこちらを使っています。
前週に続いての中山道歩き。
天気予報では雨になるかも?とのことだったので、雨用の準備をして出かける(結局降ったのは、夜、地元に戻ってきてからだけだったが)。
いつものように、4時半起きで6時16分ののぞみで、名古屋着8時51分。東海道線に乗り換え岐阜まで。岐阜で名鉄に乗り換え、六軒駅へ。
9時10分歩き始める。
まずは駅近くの神明神社に寄る。なんだかこのあたりにはこの名の神社が多い。
灯籠、御神馬、そして蕃塀がある。
手前には馬頭観音があった。
岐阜県に入ってから馬頭観音がホントに多くなったと思う。
秋葉神社の先に六軒一里塚跡。
標柱があるのみだ。
馬頭観音だけでなく、地蔵もそれなりにある。
長楽寺には三十三所観音。
お隣にはまたまた馬頭観音があった。
さらに苧ヶ瀬駅を過ぎたあたりで馬頭観音(笑)。こんなにUPしてると馬頭観音ブログになってしまう(笑)
ここまでずっと国道を歩いてきたが(つらい・・・)、ようやく鵜沼羽場町交差点で、旧道へと入る。
津島神社。
各務原市指定重要有形民俗文化財の皆楽座がある。皆楽座は芝居小屋であるが、拝殿を兼ねているため本殿に向かって正面にある。客席を持たない舞台のみの農村舞台であるが、廻り舞台、奈落、セリ、太夫座などを備えているそうだ。
キンモクセイが満開!
ここで、ハタダの栗タルトを食べて休憩する。
ちょっと寄り道。
坊の塚古墳である。
この写真では古墳というのがわかりづらいが、岐阜県では2番目前方後円墳だそうだ。
空安寺の前に日露戦役忠魂碑。乃木希典の字だそうだ。
このお寺の参道は塀に囲まれていて立派だ。
お隣に衣装塚古墳。こちらは円墳だ。
八木山弘法堂を通り過ぎた先に西の見附跡。いよいよ鵜沼宿に入ってきた。
裏には翠池がある。農業用のため池だそうだ。
馬頭観音、三界萬霊塔、南無観世音菩薩もあった。
すぐ先に木曽川泥流堆積物がある。
75万年前から活動している御嶽山が5万年前に大崩壊を起し、土砂が山麓の東側から大滝川、木曽川により約200㎞流れ下り、各務原台地までたどりついた溶岩礫を含む泥のことだそうだ。
またまた寄り道。石亀神社に寄る。意外と高台にある。
石亀様。確かに亀に見える!
鵜沼宿は濃尾地震により建物は消失しまったのだが、最近になって脇本陣の復元をはじめとして整備され、風情のある街並みになっている。
安田家住宅、梅田昭二家住宅、梅田吉道家住宅、坂井家住宅と続く。
二ノ宮神社は古墳の上に建てられた神社。
横穴式古墳の石室がある。
(2へ続く)
マップはこちらを使っています。
麦とホップの派生品。
毎年発売されてきたかと思うが、今回から通年品となったらしい。
注いでみると、赤銅色。
飲んでみると、ロースティな香り。
このロースト香にごまかされて・・・フツーの麦とホップにある、変な甘さが目立たなくなっている。
なので、こっちの方がいいと思う。
金麦の季節限定派生品。
去年も発売されていたものである。
注いでみると、フツーの黄金色。
飲んでみると、うーん、濃くはないなあ。度数は高いけれど・・・
後味は通常の金麦より甘い。
悪くはないけれど、しょっちゅう飲むものではないかと。
このところ、スマホのバッテリー機能が低下していたのですが、おとといあたりから本格的にヤバくなり・・・
もうすぐ4年になるので、買い換えを決意。
本日行って参りました。
Xperiaの後継機種を。なんだか長細くなって、前よりちょっと重いのが残念・・・
やっとセッティングし終わったところです。
(3より続き)
小木曽薬局。
「登録商標 明治水」の看板がある。明治水とは目薬だそうだ。
伊豆神社。
祭神は大山祇神の娘石長姫命で長寿を司る神。
隣には三面六臂の馬頭観音があった。
少し脇にはいると切通陣屋跡之碑がある。
磐城平藩の美濃領支配のため切通村に陣屋を設けたもので、安藤氏7代に渡って明治維新まで置かれていたという。
奥には切通聖観音があった。
手力雄神社二の鳥居のところで道は左に曲がる。
ここで神社に向かわずに、中山道を少々進んで、神社に行く。
天照大神が隠れた岩戸を開けた天手力雄命が祭神で、火祭りが有名らしい。
狛犬が3対、常夜燈が5対あった。
境川を高田橋で渡る。すぐそこに名鉄の高田橋駅が見えており、ちょうど電車を撮ることができた。桜の季節はいいでしょうね。
濃川排水路を越えたところに、「中山道 間の宿 新加納」の標柱がたっており、ここから道は少々上り坂となる。
加納、鵜沼間は長いため、5つの立場が設けられており、その一つだ。
上がった先に道祖神。
道祖神は久々に見ましたね。
そこの道を入っていくとあるのが善休寺である。
親鸞聖人像、蓮如上人像、十三重塔がある。
手水石には葵のご紋があったが、これは尾張徳川家が各務野にて狩の折に宿所としたことから、特別に葵の紋を与えられたことによるという。
新加納の一里塚跡(104里目)を通り過ぎ、日吉神社による。
ここで有名なのは、狛犬ならぬ狛蛙!狛犬もいたけれど。
蛙ははじめてだなあ。
すぐ先に蔵元林本店があり、ホントはここが造る百十郎が買いたかったのだが、大きな瓶しかなさそうだったのであきらめる。残念!
ぐいぐい進んで和菓子屋さんのだるま屋に寄る。
豆大福が有名なお店で、時間があったら中の茶店でいただきたかったところだが、ここでゆっくりしていると目的地までたどりつけなさそうだったので断念。買ってのちほど食べることにする。
新境川を渡る。堤に桜が千本以上植えられているそうだが、これは地元出身の歌舞伎役者市川百十郎が寄贈したものだそうで、百十郎桜と呼ばれているそうだ(それでお酒もこの名前なんですね)。
市民公園を左に見つつ進む。
とても広く、まるでヨーロッパの公園のようだった。岐阜大学の跡地。
ここで大福を食べてもよかったのだが、やはり駅に急いだ方がよいと思い通り過ぎる。
警察署の前に張りぼての恐竜がいたのだが、ナッシーというらしい。
交通事故なっしーの意味とか・・・
よく軍用機が飛んでるなあと思ったら、南側に航空自衛隊岐阜基地があっのですね。
なんだか要塞のような各務原市役所を通りすぎ、予定より早く六軒駅に到着。今回はここで街道歩き終了。
六軒駅は無人駅だが、ここのように交通系ICカードが使えると助かりますね。
電車を待つ間に先ほどの豆大福をいただく。ほどよい甘さでおいしい。
予定より早い電車で名鉄岐阜駅に出て、乗り換えて名古屋に向かう。
早く名古屋に到着したので、前にも入ったことのある山本屋総本店にて夕食。
漬け物をつまみつつビールを飲んで、味噌煮込みうどんを待つ。
久々の味噌煮込みうどん、おいしい。
名古屋駅に岐阜のお酒が売っていないかなあと思ったが残念!売っておらず、愛知のお酒を購入。
いつもの7時26分発のひかりに乗り、定刻どおり9時10分東京駅着。
着くと雨が降っていた。
帰宅は10時半前。
52000歩弱。前回よりはちょっとだけ少なかったけれど、よく歩きました。
前回より少し気温が低かったからか、前回より楽でした。
(完)
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(2より続き)
街道に戻ると、すぐ先に本陣跡兼皇女和宮御泊所跡の標柱があった。
和宮の歌碑もある。
「遠ざかる都としれば旅衣 一夜の宿もたちうかりけり」
中山道は和宮も関するものが多い。
通りを渡り、今度は当分本陣跡兼明治天皇御小休所跡の標柱があり、そして昨年うなぎを食べた二文字屋を通り過ぎる。
大手門跡の石碑を右折、ちょっと寄り道。
左右に学校が並ぶ中進むと、突き当たりが加納城跡である。
石垣が残る。
本丸跡は今は広い公園になっていて、ここで少々休憩。
再び歩き始める。
高札場跡を通り過ぎ、角に道標があった。
「左 西京道 左 中山道」、逆側は「右 ぎふ道 右 東京道」と書かれている。
ここを右折すると、古い感じの街並みになっていたが、このあたりだけ空襲の被害を免れたようだ。
側溝蓋に御鮨街道とある。
岐阜町で作られたなれ寿司を江戸へと届ける街道だったそう。
専福寺。
信長や秀吉の朱印状など、多くの古い文書が残っているそうだが、当然ながら見ることはできない。
東番所跡で加納宿を出る。去年はここまで歩いたのだった。
ここから次の宿、鵜沼までは16.8キロと長い。
「右 岐阜 谷汲 左 西京」と彫られた道標で曲がり、さらに加納大橋を渡ってだんごやのところでまた曲がる。鉤型になっている。
すぐに御鮨街道と中山道の分岐があり、鏡岩がある。
江戸時代の二代目鏡岩源之助は土俵外での行いが悪かったことを改心して寺を建て、自分と同じ大きさの木像を作り、罪滅ぼしのつもりで旅人に棒でぶたせ、ぶった旅人にはお茶を振る舞ったことから 「茶所(ちゃじょ)」 という地名が生まれたそうだ。
名鉄の線路を越えたところに立派なお屋敷が。
森邸である。
そしてさらに東海道線の高架をくぐった先には、秋葉神社があり、門柱に「皇太子殿下御渡欧記念」とある。昭和天皇が大正時代に渡欧したことを記念したものらしいが、なぜここにあるんだろう?
岐阜城がまだまだ見えている。
伊勢街道との追分に追分地蔵があった。
道標には「伊勢 名古屋 ちかみち 笠松凡一里」「木曽路 せき 上有知 郡上 道」「西京道 加納宿凡八丁 」と彫られている。
地蔵堂の中には半跏趺坐地蔵菩薩と般若心経を巻いた地蔵菩薩があった。
ちょっと先に細畑の一里塚がある。
昭和27年に復元されたものだそうだ。北側の方はゴミ置き場に・・・
(4へ続く)
マップはこちらを使っています。
(1より続き)
ちょっと寄り道。
赤い鳥居をくぐっていくと倉稲魂稲荷神社が。
ここは石川駿河守源光が祀ったという鏡島城跡だそうだ。
観音寺の前には朝日縮緬碑がある。
このあたりは江戸時代から織物業が盛んで縮緬の産地だった(三大縮緬の産地)。特に鏡島地区では村中が機織りに従事していたそうだ。
日本三躰厄除け弘法大師のひとつ、乙津寺(梅寺)。
別名梅寺というのは弘法大師が地面に挿した杖が梅の木となり、枝葉が出たという話に由来しているそうだ。
お寺の境内にはたくさんの石仏などがある。
弘法大師、不動明王など。
本四国八十八所観音。
福禄寿。
街道に戻る。
鏡島追分に論田川改修記念碑があり、手前には道標があって「左 岐阜道」とあったとおり、ここは岐阜道と中山道との追分だ。中山道は右へと進む。
予定では、ここからちょっと進んだところにあるお寿司やさんでお昼と思っていたのだが・・・
なんとなくなっていた!!
ということで、仕方なく街道から少しそれ、デニーズへ。
ランチセットを注文。
メインは、からすみのスパゲティ、サイドメニューはシーザーサラダをチョイス。
ドリンクバーつきだったので、オレンジジュース、ほうじ茶、水と立て続けに飲んで、水分補給をする。
再び街道に戻る。
県道77号線を渡るところにあるのが多羅野八幡神社。
3つの神社が合祀されていて、左から秋葉神社、八幡神社、天満神社である。
この先の立場ではだらり餅というあん餅が有名だったとのことだが、食べてみたかったなあ。復刻しないかしら?
医王寺の馬頭観音。
前回から急に馬頭観音が増えてきた。
東海道線の高架を潜り、いよいよ加納宿が近づいてきた。加納宿は城下町で規模もおおきいが(5番目に大きな宿場、美濃最大)、空襲で焼けてほとんど遺構は残っていない。
一里塚跡は通りすぎてしまい・・・
西番所跡。
裏に秋葉神社・愛宕神社。
「皇孫殿下御生誕記念碑」なるものがあったが、これ今の天皇のことなんですね。
そして、このあたりは秋葉神社がやたらと多いが、火災が多かったのだろうか。
街道らしい街並みを進み(道い色がついている)、岐阜駅前の通りを渡る。
ここからは、昨年夏、岐阜を訪れた際、ちょっとだけ歩いた区間だ。
岐阜市のマンホール。
鮎と鵜飼いの鵜ですね。
通りを渡ると道路は全面カラーになっている。
先本陣跡の標柱を通り過ぎ、加納天満宮に寄る。
1445年、斎藤利家が沓井城を築城の際、守護神として勧請され、菅原道真を祀っている神社。
舞台の奥に見える拝殿は、戦災で唯一残った建物だそうだ。
本殿。
(3へ続く)
マップはこちらを使っています。
2週間ぶりの中山道歩き。
台風が近づく中、この日はまだ大丈夫そうということで予定通り出かける。
いつもの通り、4時半起きで6時16分ののぞみに乗る。富士山はきれいに見えた。
7時51分名古屋着、59分の東海道線に乗り換え、終点の大垣へ。
改札から出ることなく樽見鉄道に乗り換え。
樽見鉄道のホームに切符売り場があり、買い求めると沿線のガイドブック(結構立派。いろいろと見所が多そうだ)をくれた。前回は310円だったが、320円。消費税率アップで値上がったのだろう。
電車を撮影してから乗り込もうと思ったら、すぐに発車するとのアナウンスで慌てて乗り込む。カラフルな電車だ。
16分で美江寺駅到着。
電車を見送ってから歩き始める。9時歩きスタート。天気はよい。
暑くなりそうなので、まだ涼しかったが、半袖になる。
駅から街道に出たところに道標。
「右岐阜加納二至ル 左北方谷汲二至ル」と刻まれている。前回からちょいちょい出てくる谷汲道。
谷汲山華厳寺にお詣りする人が多かったのだろうか。春は桜、秋はモミジがきれいらしい。
2週間前より稲穂が重そうになっているが、そろそろ収穫の時期だろうか。
サボテンのビニールハウスが続く。
なぜここで??
柿は2週間前より色づいていた。
五六川を渡る。
美江寺が江戸から56番目の宿場だからだそうだ。
高札場跡、本田代官所跡と続く。
関ヶ原の戦い後、有力大名が出てこないよう幕府の直轄領となった。1770年に大垣藩預けとなるまで本田代官所は続いたという。
交差点のところに本田地蔵堂(延命地蔵)がある。
糸貫川(しばしば氾濫したという)を渡り、四つ角の高台にあるのが馬場地蔵堂。
お地蔵さんにはよくよく見ると、「右谷汲道」と彫られていて道標を兼ねている。前回もいくつかあったが、このあたりのお地蔵さんはこうしたものが多いのだろうか。
やがて道を左折すると、まっすぐな道が続く。
しばらくは広い道を行くが、やがて細い道に入る。
いよいよ河渡宿に入ってきた。
河渡は本陣1軒のみ(脇本陣なし)の小さな宿だが、長良川が川留めになると賑わった。旅籠の数は人口を考えると多い。
一里塚跡(107里目)と松下神社跡。
河渡宿は土地が低く、たびたび甚大な被害があったが、代官松下内匠が宿中を5尺ほど土盛をして以降は被害が減り、村人がこの功績に対し、神社と碑をたてた。
長良川の堤防に突き当たったところで左折、水神祠(かつての渡し場があったところ)のあたりで左に折れると、馬頭観音堂がある。昔は堤防の上にあったらしい。
観音堂には愛染明王。
らしいのだが、馬頭観音だよね・・・
下にいるちっちゃなのはなんだろう?
地蔵堂には南無地蔵菩薩が祀られている。
長良川を河渡橋で渡る。
少し上流には小紅の渡しがあり、今も無料で船で渡ることができる。時間があれば乗ってみたかったが・・・
後ろには伊吹山が。
前には金華山が。岐阜まではあと少しだ。
橋を渡って土手を左へ。
鏡島港の説明板がある。鏡島湊は長良川を利用した舟運の湊として、豊臣秀吉の政権以前から栄えたが、明治後半にその役割を終えている。
このあたりで左足の親指が痛いと思ったら、紐をきつくしめすぎて豆ができかかっており、慌てて紐をゆるめ、バンドエイド豆・靴擦れブロックを貼るとぐんと楽になった。
(2へ続く)
マップはこちらを使っています。
art-39【岸田劉生展】 東京ステーションギャラリー
昨日、電車が動き始め、美術館も開館(午後2時)したところで、東京ステーションギャラリーの岸田劉生展へ。
結構な人の入りでした。
ほぼ年代順に並んでいて、作風の変化がよくわかる展示です。
第一章:「第二の誕生」まで:1907~1913
黒田清輝の元で絵を学び、画家としてスタートした頃の作品。
この頃の作品は今まであまり見たことがないかも?
十代の頃の水彩画もあったけれど、非常に繊細な感じ。
師の影響が感じられる風景画のあとの「自画像」。これはインパクトありすね。フォービズム的。風景画もいきなり鮮やかな色彩と太い輪郭に。
ゴッホに感銘を受けたらしいのだが、どちらかというとゴーギャン的とも言える。
第二章:「近代的傾向…離れ」から「クラシックの感化」まで:1913~1915
肖像画を多く描いた時代。
自宅を訪ねてきた友人たちを片っ端から描いたとか。木村荘八、バーナード・リーチ、武者小路実篤などなど・・・
しかし、なんといっても自画像の多さ!レンブラントなみ・・・
ほとんど同じ角度で同じ服装・・・が続く中、突然の変化が。
デューラーに傾倒したらしく、デューラー風の自画像へと変化しているのである。
奥さんを描いた絵も数枚あったけれど、やはりデューラーっぽい感じ。エンブレムやサインもマネしたのだろうか。
「黒き土の上に立てる女」も奥さんがモデルとのことだが、これは急に泥臭い感じ。
第三章:「実在の神秘」を超えて:1915~1918
近代美術館の常設展示でよく見る、傑作「道路と土手と塀(切通之写生)」。これは大好きな作品なのだが、この絵が描かれた20日前に描いたという「代々木附近」の展示も。こちらの作品は同じ場所を横から描いていて、
前者に映り込んでいる影・・・の電柱が描きこまれている。ここの坂、ちょっと行ってみたくなる。
「古屋君の肖像(草持てる男の肖像)」。リアルに描かれた肖像画なのだが、なぜ花?草を持たされているのか・・・
今回はじめて見て気に入ったのが「壺の上に林檎が載って在る」。描かれている壺はバーナード・リーチの壺とのことで、壺だけの絵もあるが、なぜかこちらにはリンゴが上に乗っている・・・なぜ乗せようと思ったのか(笑)
この頃、劉生は結核と診断され(誤診だったそうだが)、屋外に出ることができなくなって静物画を多く描いているのだが、これがなかなかによいのである。
セザンヌばりに林檎の絵をいろいろと描いているが、ちょっと傷みかけていたり、配置にこだわった感じもあっておもしろい。
いよいよ!「麗子肖像(麗子五歳之像)」。これがはじめて描いた麗子の絵とのことだが、非常に写実的に可愛く描かれている。
第四章:「東洋の美」への目覚め:1919~1921
麗子づくし!!
ワタクシは麗子の絵が好きで、追っかけているのだけれど、今回は今まで見たことがなかったものをたくさん見られたのがうれしい。前期に出ていたのも見たかったなあ。
麗子もはじめは、フツーのかわいらしい少女として描かれているのだが、次第にデフォルメされ、怪しげな感じに・・・
「麗子八歳洋装之図」はめずらしく洋装の麗子。こんな作品もあったんですねぇ。
第五章:「卑近美」と「写実の欠除」を巡って:1922~1926
次第に日本画へと傾倒していく劉生。こうしたイメージもあまりなかったなあ。
このパートの麗子像はだいぶ怪しい感じになっていたが、「七童図」なども、なんとなく子どもが皆麗子に見える・・・
。
「鯰坊主」は、浮世絵の役者絵(大首絵)。
風景画や四季の花果図などはさらさらっと描いていて力が抜けている感じ。悪くない。
第六章:「新しい余の道」へ:1926~1929
この頃よく描いたモチーフが冬瓜。
粉をふいたような感じがおもしろかったらしい。何枚か見ていると確かにおもしろくなってくるような・・・
『棋道』という囲碁の雑誌の表紙絵は、ちょっとマンガチックで楽しい。
最晩年の満州・大連を描いた風景画は、色鮮やかで、ルノワール的。
帰国後劉生は急逝しているのだが、このまま長生きすればもっともっと作風が変化したのかも・・・
見応えあります。
是非どうぞ。
今日は元々東京ステーションギャラリーに行く予定にしていたのだけど、台風でどうなるかわからず・・・
結局、14時にオープンすることがわかり、ゆっくり家を出た。
東京駅着はすでに14時を過ぎていたので、まずは昼食を。
あまり行かない東京駅の飲食店街をふらふら歩いてうどんにすることにした。
讃岐うどんかと思いきや、関西のうどんのお店。
ワタクシが頼んだのは、季節限定、5種キノコのトロロうどん。
なめこ、えのき(かきの木茸)、椎茸、あとはなんだろう、平茸?エリンギ???
きのこ好きのワタクシとしてはうれしいメニュー。
暖かいのと冷たいのを選べたが、今日は暑かったので冷たい方に。とろろでつるつるっといける。
麺はかなりしっかりしたこしのあるタイプだった。
同居人のカレーうどん。
ちょっと味見させてもらったけれど、そんなに辛くはなく、マイルド。これもいいですね。
今度は定番のちく玉天ぷっかけを食べてみようかな?
東京都千代田区丸の内1-9-1 キッチンストリート1F
book-13 『拳銃使いの娘』 ジョーダン・ハーパー著 ハヤカワポケットミステリ
STORY:11歳のポリーの元に突如現れた刑務所帰りの父親。獄中でギャング団を敵に回し、自分のみならず妻子にも処刑命令が出たため、逃亡することに・・・
☆☆☆エドガー賞受賞作。
著者のデビュー作。著者はテレビドラマの脚本家出身。
ということもあってか、映像化されそうな小説だった。
読んで「レオン」を連想したけれど、実際著者は「レオン」や「ペーパームーン」そして子連れ狼に影響を受けているという。
なかなかにハードな小説で、映画化するとすごそう・・・
映画化も進んでいるそうだけれど、イメージ的にタランティーノが撮りそうな感じである。
残虐な場面も多そうだし、血もかなり飛びそうだけれど、一方では父と娘のドラマであり、娘の成長ドラマでもある。
ページ数が少ないこともあって一気に読めるけれど、最後まで緊張しっぱなしだった。
これはこれで悪くないのだけど、次読むミステリーはコージー系がいいかなあ・・・
チリの激安赤ワイン。
お料理に使おうと思って買ったのだが、もちろん?使うのは一部なので残りは飲みます・・・
非常にフルーティで、まあ非常に飲みやすくて・・・
ミディアムとあったけれどライトボディに近いかな。
でもこの安さなら、これは十分ありですね。
スペインの白ワイン。
ネーミング通りのラベル。明るくていいですね。
飲んでみると、やや甘めかな~
常温で飲んだけれど、これは冷やした方がいいですね。
どうやら、箱ワインでも売っているようで・・・
まあ気軽に飲めるお酒ってことでしょう。
スペインのカスティーリャ、ラマンチャの赤ワイン。
テンプラニーリョは好きな品種なのだけど・・・
元々テンプラニーリョはすごく濃いなという感じのワインとはならないけれど、これは思ったより薄い感じが・・・
12度と度数が低いせいなんだろうか・・・
スペインのカヴァ。
シャンパンと同じ製法だけれと、ずっと安くていいですね。
が、飲んでみると、うーん、ちょっと後味が甘いなあ。
もうちょっとすっきりしている方が好みですね。
ボルドーの赤ワイン。
品種はメルローとカベルネ・ソーヴィニヨン。
飲んでみると、うーん、なんといっていいか・・・
可もなく、不可もなくという・・・
ごくごくフツーでコメントのしようがないという(笑)。
これまた、澱が結構ありました。
2018年パリコンクール金賞受賞のワインだそうである。
ボルドーの赤。
飲んでみるとまあまあのコクだけど、そう目立った特徴はないかなあ。
いや、ありました!
澱がかなりある。
なんでも、味わいを残すためフィルターがけを少なくしているとのこと。
最後何センチは残さないといけません!
前々から気になっていたラグビーワールドカップデザインのハイネケン。
ラグビーも盛り上がっているしということで買ってみた。
ハイネケンというと、オランダのスキポール空港で乗り継ぐ際に、飲むビール・・・というイメージで、いつもは瓶で飲んでるんですね。
缶で飲むのははじめてかも??
そして、なぜか350㎖入ってると思ったら、ハイネケン社のライセンスでキリンビールが製造してるんですね。
注いでみると、かなり薄い色。
飲んでみると、さっぱりビールなんですね。
といって、新ジャンルではなくあくまでビールで、それなりにコクもあってよいのです。
夏に那須に行った帰りに寄った酒屋さんで購入したお酒。
大田原市の酒造のお酒である。
品揃えのよいお店で、どれにしようか悩んでいたら、お店の方がどんな感じのお酒が好みですかというので、辛口のお酒をと言ったところ、すすめてくれたお酒。晩酌にいいですよと。
飲んでみると、確かに辛口ではあるけれど、あとからじわじわと旨みと甘みも感じておいしい。確かに、気軽に晩酌用に飲めるお酒だと思う。
このあたりでしかあまり出回らないようで、いいのを勧めてもらったなと。
(3より続き)
平野井川を新橋で渡り、瑞穂市に入ったところで、小簾紅園に寄る。
和宮が呂久渡を利用したことを記念して記念碑建立を記念して整備された。
呂久渡船場跡碑。呂久の渡しは中山道を遮る呂久川(現揖斐川)を舟渡しでつなぐ渡し場だった。呂久とは、呂久川が曲がっていてそれを轆轤に見立てたことによるものだそうだ。
和宮御遺蹟碑も隣にあった。
なかなかに風情のある庭で、よくよく見るともみじが多い。
ということで「落ちて行く身と知りながらもみじ葉の人なつかしくこがれこそすれ」という和宮が詠んだ句碑がある。
観音堂を見て、先を進む。
お!久々にマンホール。
大垣市も神戸町もマンホールを見つけることができなかったか、旧巣南町のものと思われるマンホールはもみじであった。小簾紅園近くだけのものなのだろうか。
馬淵家の長屋門。呂久の渡しの船年寄馬渕家の屋敷。立派だ。
明治天皇御所休所跡碑もある。
ここを右折、次に左折するとことに大きなお地蔵さんがいた。
揖斐川を鷺田橋で渡る。河口で長良川と合流して伊勢湾に流れ込む。東海道で通りましたね。
前方には金華山も見えてきた。
瑞穂市は富有柿発祥の地で、確かに柿の木が多い。収穫まではまだちょっとありそうな感じだ。
宿の石碑があるポケットパークを通り、きれいな図書館を横目に見つつ進む。大垣藩の御領榜示杭があった。
曲がり角に千躰寺があり、千躰仏(自然居士が作成した桧材一木造の阿弥陀如来立像が千体並べられている)があるとのことだったが、残念!お堂に鍵かかかっていて見られなかった。
犀川沿いに歩いてきたのだが、カルガモがたくさん。きれいな川で藻が見えたから、餌がたくさんあるってことかも?
すぐ先に千手観音。
千躰仏はみられなかったけれど、千手観音が見られたからいいか。
この観音様は新月橋のすぐそばにあるのだけれど、この橋から見た風景を広重が描いている・・・ということで写真を撮ってみた。
ここまで結構ハイペースできたが、どうやらこれ以上そんなにがんばらなくても美江寺駅には到達できそうということで、高札場跡脇にある休憩所でプチ休憩。また歩き出す。
和宮が小休憩したという美江寺宿もまた静かな宿である。当初は本陣も旅籠もない小さな宿であったそうだ。
本陣跡を通りすぎ、枡形の角には庄屋の和田家。
ここを曲がると布屋という酒屋がかつてあった(つい最近まで?)らしいが、廃業してしまっており残念だ。
信号を渡り、美江神社に寄る。かつてはここに美江寺があったという。
中山道美江寺宿跡の碑。
高札場の復元もあった。
自然居士之墓の標柱(千躰仏を作った)、美江寺一里塚跡の標柱を通ったところで街道歩き終了。
駅への入り口がわからず、Googleマップで確認。
かわいらしい駅だった。
予定していた電車の20分ちょっと前に到着し、ゆっくり休む。金華山もだいぶ近づいてきた。
一両のかわいらしい樽見鉄道に乗り、大垣駅で乗り換え(なんと駅の外に出ずに乗り換えられる。降車証明をもらう)名古屋駅到着6時16分。
新幹線の時間までだいぶあるので、駅コンコースの驛釜きしめんへ。
入るまで少々待ったが、きしめんはわりとすぐに出てきた。
今回は卵とじきしめん。まだまだいろいろな味が楽しめそうだ。
kioskでおみやげを買い、前回と同じ7時26分発のひかりに乗り込む。
ビールで乾杯!
新幹線は定時に到着、帰宅は10時半前だった。
今回は約52000歩。中山道歩き5回の中で一番歩きました。
いやはや、でも美江寺まで行くことができてよかったな。
(完)
マップはこちらを使っています。
(2より続き)
東海道(下り線の方)をくぐると昼飯町(ひるい)である。
善光寺如来という仏像が大坂の海から拾い上げられ、長野の善光寺に納められることになり、この仏像を運ぶ一行がこの地で昼飯をとったことから昼飯という地名となったそうだ。
ここに大きな古墳がある。
昼飯大塚古墳である。岐阜県最大の前方後円墳とのことで、確かにでかい!
上に登ると景色がよい。
東側を見ると、石灰の山が見えた。
このあと、石灰の会社がいくつもあった。江戸時代から良質な石灰石が採掘されていたとのことだ。
西濃鉄道線路を通ると赤坂宿御使者場跡とともに兜塚がある。
関ケ原合戦の前日、杭瀬川の戦いで戦死した東軍・中村隊の武将・野一色頼母を葬り、その鎧兜を埋めた場所だそうだ。
さて、赤坂宿に入ってきた。静かな街だ。
所郁太郎生誕地、お墓と続く。
所郁太郎とは、瀕死の重傷をうけた井上聞多(後の明治の元勲井上馨)を手術し畳針で縫いその一命を救ったという人物だ。
脇本陣跡の斜め前にあるのが和菓子屋さんの金生堂。
秋には栗きんとんがあると聞いていたのだが、残念。まだちょっと早かった。ということで栗きんとんわらび餅なるものをおやつに買う。
角に1831年に建てられた谷汲道道標がある。北にある谷汲山に向かう道だ。
よく街道沿いにあるのだけれど、銀行もちゃんと古いお屋敷風になっていますね。
そして、旧清水家住宅。1730年建てられた家で、土日は公開されているそうだ。2階が狭そうに見えるが、2階は米を収納する部屋になっているらしい。米やさんだったのですね。
本陣跡は公園になっており、和宮が宿泊した記念碑とともの所郁太郎の像がある。
ここで少々休憩。栗きんとんわらび餅を食べる。
すぐ先に線路があり、これは石灰を運ぶ西濃鉄道のものである。
赤坂本町駅跡があった。
赤坂湊会館。赤坂警察署を復元したもので、土日は資料館として公開されている。
赤坂港はかつて桑名まで船がいっていて、その後は名古屋まで石灰を運ぶ船がいったというが、鉄道ができると衰退してしまった。
今は港が復元されていて、火の見櫓が目立つ。
赤坂宿を出て、道標を兼ねた加納薬師如来があった。
一里塚跡は発見できずに通り過ぎてしまったようだ・・・
このあたりもまた田んぼが広がっているが、水路も多い。水がきれいだ。
何度か角を曲がったところに七回り半の道標があった。
が、7回は曲がってないような・・・
またまた道標になっている石仏が。聖観世音菩薩である。
「右ぜんこうじ道 左谷汲山ごうどいび近道」と彫られている。このあたりはこういった道標が多いのだろうか?
またまた道は何度か曲がる。
途中あったのが素戔嗚社で、1888念大垣輪中瀬古堤決壊で神府が竹藪に漂着し、鑑定をすると素戔嗚尊と判明し、この地に社殿を設けたとのことだ。
この日、サギを何回も見たのだが、民家の塀で脇の水路の魚を狙っているチュウサギの姿がかっこよかった。
そして三回り半の標柱。これまた3回もまわったかな・・・
柳瀬橋を渡った先の神明神社の前に一里塚跡の解説板が。109里目の一里塚だが、なぜ街道沿いじゃない川を渡った先にあるんだろう。
再び川を渡ると、土手には彼岸花がいっぱい。
もう少しで満開という感じだったが、キレイだ。
(4に続く)
マップはこちらを使っています。
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