中山道六十九次歩き(第6回) 美江寺宿~河渡宿~加納宿~六軒3
(2より続き)

街道に戻ると、すぐ先に本陣跡兼皇女和宮御泊所跡の標柱があった。

和宮の歌碑もある。
「遠ざかる都としれば旅衣 一夜の宿もたちうかりけり」
中山道は和宮も関するものが多い。

通りを渡り、今度は当分本陣跡兼明治天皇御小休所跡の標柱があり、そして昨年うなぎを食べた二文字屋を通り過ぎる。
大手門跡の石碑を右折、ちょっと寄り道。
左右に学校が並ぶ中進むと、突き当たりが加納城跡である。

石垣が残る。

本丸跡は今は広い公園になっていて、ここで少々休憩。
再び歩き始める。

高札場跡を通り過ぎ、角に道標があった。
「左 西京道 左 中山道」、逆側は「右 ぎふ道 右 東京道」と書かれている。

ここを右折すると、古い感じの街並みになっていたが、このあたりだけ空襲の被害を免れたようだ。

側溝蓋に御鮨街道とある。
岐阜町で作られたなれ寿司を江戸へと届ける街道だったそう。

専福寺。
信長や秀吉の朱印状など、多くの古い文書が残っているそうだが、当然ながら見ることはできない。

東番所跡で加納宿を出る。去年はここまで歩いたのだった。
ここから次の宿、鵜沼までは16.8キロと長い。

「右 岐阜 谷汲 左 西京」と彫られた道標で曲がり、さらに加納大橋を渡ってだんごやのところでまた曲がる。鉤型になっている。

すぐに御鮨街道と中山道の分岐があり、鏡岩がある。
江戸時代の二代目鏡岩源之助は土俵外での行いが悪かったことを改心して寺を建て、自分と同じ大きさの木像を作り、罪滅ぼしのつもりで旅人に棒でぶたせ、ぶった旅人にはお茶を振る舞ったことから 「茶所(ちゃじょ)」 という地名が生まれたそうだ。

名鉄の線路を越えたところに立派なお屋敷が。
森邸である。

そしてさらに東海道線の高架をくぐった先には、秋葉神社があり、門柱に「皇太子殿下御渡欧記念」とある。昭和天皇が大正時代に渡欧したことを記念したものらしいが、なぜここにあるんだろう?

岐阜城がまだまだ見えている。

伊勢街道との追分に追分地蔵があった。
道標には「伊勢 名古屋 ちかみち 笠松凡一里」「木曽路 せき 上有知 郡上 道」「西京道 加納宿凡八丁 」と彫られている。

地蔵堂の中には半跏趺坐地蔵菩薩と般若心経を巻いた地蔵菩薩があった。

ちょっと先に細畑の一里塚がある。
昭和27年に復元されたものだそうだ。北側の方はゴミ置き場に・・・
(4へ続く)
マップはこちらを使っています。
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