中山道六十九次歩き(第7回) 六軒~鵜沼宿~太田宿4
(3より続き)
再び土手に上がり、少し進み、ムクノキのところで降りる。
解説板にはこの地で生まれた坪内逍遙が夫婦で訪れた際にこの木の前で記念撮影したという写真があった。
その角にあるのが、虚空蔵堂。逍遙の子どもの頃の遊び場だったところだそうだ。
ここのあたりは、また、承久の乱の古戦場跡でもある。

いろいろな石碑もあった。
道は直角に曲がり、ここが西の枡形。いよいよ太田宿に入ってきた。

さらに道は直角に曲がるが、この角に道標。「右関上有知道 左西京伊勢道」と刻まれている。郡上街道との追分である。

本陣跡。今は門が残るのみである。
和宮が江戸に向かう時に新築された門とのことだ。
中山道の家並みも新築、修繕されたと言われている。

その向かいにあるのが、太田宿中山道会館。

エノキとヤドリギ。

展示室には、太田宿の展示の他、この地に暮らした岡本一平に関する展示なども。
向こうに見えている模型は、坪内逍遙の父が勤めていた太田代官所。
逍遙が書き残した平面図を元にして造ったものだそうだ。

岡本一平の展示。
一平が暮らしたという家を移築した糸遊庵もあった。
売店で買った白川茶は濃くておいしかった。



脇本陣跡の林家住宅。うだつの上がる立派なお屋敷だ。
今も住まわれている建物なので、見学できるのは隠居家のみ。
ただ、4時までだったので、この日は見学できず・・・
次回見ることとしよう。

このところ酒造がなかったが、この日は御代桜酒造に寄り、無事お酒をゲット!

魚徳では、子持ち鮎の甘露煮(おいしいかった!)をゲット!

旅籠だった小松屋(吉田家住宅)は今は案内所となっている。

坪内逍遙や、播隆上人の説明板などがあった。
播隆上人は知らなかったが、槍ヶ岳を開山した上人さんなのですね。

向かいの建物は旧十六銀行太田支店だったところ。

鬼瓦に「銀」とある!

祐泉寺に寄る。

北原白秋の歌碑と坪内逍遙の歌碑があった(芭蕉句碑もあったが見つけられなかった)。播隆上人の墓碑もあったらしい。
ここでこの日の街道歩きは終了。
美濃太田駅へと向かう。

美濃加茂市のマンホール。日本ライン下りの船と船頭さんが描かれている。

美濃太田駅の前には、坪内逍遙の胸像があった。
5時35分の高山本線で岐阜まで、乗り換えて名古屋着は6時45分。
お弁当とビールを買い、いつもの7時26分発のひかりに乗り込む。

今回の駅弁はだるまの満彩おこわ弁当。
おかずも豊富でおいしい。白いご飯はたくさん食べられないのだが、こうしたご飯だといける。
東京駅着は9時10分。帰宅は10時半前だった。
約43000歩ちょっと。
まあまあ歩きました。
次回は11月を予定しています。
(完)
マップはこちらを使っています。
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