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2019/11/11

中山道六十九次歩き(第8回) 太田宿~伏見宿~御嶽宿2

(1より続き)

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古井の一里塚跡を通り過ぎ、なんか不思議なものがあるぞと思ったら、アメンボーグ?アメンボなんですね。彫刻シンポジウムの作品らしい。

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太田橋が近づいてきた。

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下に降りていくと化石林公園がある。
平成6年夏、異常渇水により、木曽川両岸で525本もの化石林が発見され、公園として整備されたもの。

ちょっとわかりづらいけれど、丸っぽいのがそうなんでしょうね。

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すぐそばには太田の渡し跡が。
石畳が残る。対岸は今渡渡し跡のようだ。
昔は、祐泉寺のあたりが渡し場だったとのことだが、流れが変わり、この場所になったらしい。

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太田橋の下を通って進むと、なにやらきれいな施設が。
以前は日本ライン下りの船着き場だったところが、昨年リバーボートパークとして生まれ変わったそう。テントっぽいものがたくさんあるな~と思ったら、バーベキュー会場らしい。

ここを回り込んで、いよいよ太田橋を渡る。

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大正15年にできた橋だが、以前は歩道がなかったそうで、それは怖かっただろうなあ・・・

可児市に入った。

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渡った先にはポケットパークがある。

ちょっと寄り道。

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今渡の渡し跡。
明治時代の石畳が残る。

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対岸の渡し跡もよく見える。

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弘法堂には四国八十八所観音像。

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さざれ石は苔むしていた。

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可児市のマンホールは、市の花サツキである。

街道に戻り、龍洞寺に寄る。

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地蔵菩薩、庚申塔、三十三体観音像など。

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龍の枕石。
このお寺を開基した和尚さんが龍を封じ込めた際に発見した石で、龍の枕に違いないと持ち帰った・・・そうである。

国道248号線を渡り、ずんずん進む。

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開墾記念碑とともにあったのが、開運北辰妙見大菩薩。
北斗七星を信仰するものとのことで、確かに星がついていますね。

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JRの太多線の踏切を越える。
美濃太田と多治見を結ぶ路線。

このあとすぐに国道21号線に合流。
やっぱり、国道歩きはうれしくないなあ・・・

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黙々と歩き、新しい一里塚跡碑のところにある地下道で、向かい側に渡る。

そろそろお昼。
国道沿いにはいろいろとお店があって助かる。

結局回転寿司にすることにしたのだが、なんと!
はま寿司とくら寿司が並んでいる!
一瞬迷ったが、手前のはま寿司にすることにした。
そういえば、東海道を歩いた時にも入ったっけ。
はま寿司は平日はちょっと安いのもうれしい。

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甘えび、しめさば、とろいわし、あじ、とびっこ、煮穴子、あおさの味噌汁、つぶ貝、えんがわ、合鴨カルパッチョ(!)、大とろ。
2人で1300円ちょっと。やっぱり安い。

御嵩町に入る。

ここを出ると、すぐに脇道に入らねばならないのだが、国道はなかなか渡れない・・・
仕方なくちょっと通り過ぎてから信号で渡り、戻る。
国道を離れるとホッとする。

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上恵土神社。

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西側に稲荷神社の鳥居が並んでいた。

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弘法堂のところには、新四国第八十六番札所碑などとともに四国西国巡拝碑がある。大正13年、72歳で四国西国巡礼をした女性の記念碑だそうだ。

(3へ続く)

マップはこちらを使っています。

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