中山道六十九次歩き(第8回) 太田宿~伏見宿~御嶽宿3
(2より続き)

犬山道道標を通り過ぎ、子規の句碑。

「すげ笠の 生國名のれ ほととぎす」と刻まれている。
子規は故郷の松山に向かう途中に伏見宿に泊まっているそうだ。

そして・・・
御嵩町は可児才蔵生誕の地だったんですね。
この可児才蔵はかっこよすぎる気がするけれど(笑)。
ここからは少々上り坂。

播隆上人名号碑があった。
御嵩町には9つもあるらしい。ここのは1834年に建てられ、226センチもあって最もおおきいものだそうだ。
ここは伏見宿の京方の見附でもある。

伏見宿の街並み。小さな宿だ。
松屋と旧伏見郵便局。
松屋といえばらくだ。将軍家斉に献上すべくペルシャから輸入されたらくだは、受け取りを断られ、全国を興業してまわっていた。興行師が病気でここに滞在し、めずらしいらくだを見ようとたくさんの人が集まったらしい。
郵便局はお休み処となっていたが、残念ながらこの日はお休みだった・・・
ここでちょっと寄り道。
東寺山古墳に行ってみる。

前方後円墳だが、1号は後円部のみが残る。

2号の方はほぼ残っている。

御嵩のマンホールを発見。町の木、アカマツである。
この古墳までの道には小学校があるのだが、野口英世の胸像があった。

一本松公園にて休憩。
松の木は200年以上たっているという。
昔は松並木があったそうだが、戦時中、松根油のために拠出されない。

東屋には、らくだ、播隆上人、松並木、新村湊などの解説板があった。

午前中仕入れたあんぱんを食べて休む。

「右御嵩 左兼山八百津」と刻まれた道標があった。

浄覚寺。尾張徳川家二代目徳川光友公夫妻の菩提寺とのこと。
へー、東寺山古墳、このお寺の寺領地内だったんですね。
街道に戻る。

ポンプ庫の絵の消防車にはらくだが!

本陣跡を通り過ぎ、旧道に入り、また国道に合流し、またまた旧道へ。道は上っていき、小高い丘へ。

その後道は下り、東海環状自動車をくぐった先に比衣一里塚跡(96里)。

国道にまたまた合流すると、可児川が見える。

顔土城址にちらっと寄る。
応仁の乱の頃に築かれたもので、空堀と土塁が残る。

御嶽神社分霊社。

その先に鬼の首塚。
鬼岩に住み着き悪さをして御嵩の人々を困らせていた関の太郎という男を地頭・纐纈源吾盛康の使いの4人の武士たちが退治、その首を運ぶ途中、急に重くなり、転げ落ちた首が動かなくなったので埋めたという。
なんか、似たような話を聞いたような?
(4へ続く)
マップはこちらを使っています。
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