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2019年12月

2019/12/31

今年を振り返って(2019)

今年は仕事の内容が変わり、とても苦労しました。まだまだ、来年も大変そうですが、がんばります。

プライベートでは、なんといっても東海道を完歩したのがうれしかったですね。達成感がありました。
引き続き、中山道を歩いていますが、山道も多く、電車が不便なところも多く難易度が高いです。でも、風情があっていいですね。
冬は木曽路は厳しいのでいったんお休みし、春に再開します。

難易度が上がり、下準備により時間がかかるようになったこともあり、映画、本は不調。来年はもうちょっと見たいし、読みたいと思います。

今年の3本。見た数がすくないので(たった19本!)5本はチョイスできず。
1.「オーケストラ」
コメディかと思いきや、最後は感動的なドラマ。
2.「マダム・マロリーとと魔法のスパイス」
ハレストレム監督の映画は好き。後味がいいのがよい。
「リリィ、はちみつ色の秘密」
癒やしのドラマ。素直にいい映画だと思う。

今年の3冊。これまた14冊と低調でした。
1.ピーター・スワンソン『そしてミランダを殺す』
予測不可能なミステリ。こうくるとは!うまい。
2.坂木司『和菓子のアン』
心温まる物語。和菓子が食べたくなります。
3.シー・J・ボックス『沈黙の森』
古いミステリシリーズだが(現在も続いている)、楽しみなシリーズに出会えた。

今年の5展。展覧会は去年より多くみることができました。46展。
1.【没後50年 坂本繁二郎展】
こんなにまとめて坂本繁二郎を見たのははじめて。色遣いがいい。
2.【世紀末ウィーンのグラフィック展】
今年はウィーン世紀末芸術に関する展覧会が3展続いたが、一番地味なこの展覧会が一番気に入りました。
3.【コートールド美術館展】
名画揃いの展覧会。個人的にはセザンヌがたくさん見られたのがうれしい。
4.【松方コレクション展】
いつも常設展示で見ているコレクションだが、いかにして集められ、どのような運命をたどったがよくわかる展覧会でした。
5.【岸田劉生展】
劉生関連は2展みました。麗子像いいね!

今年もご訪問ありがとうございました。
来年もよろしくお願い致します。
よいお年を!!

2019/12/30

【ゴッホ展】

art-46【ゴッホ展】 上野の森美術館

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寒い日だったがゴッホ展へ。
昨日の様子をツイッターで見たところ、午後はチケット買うのに10分、入場するのに50分とのことだったので、どうしようかちょっと迷ったけれど、えいやと出かけた。

結果的には、チケット待ち20分、入場待ち20分。寒かった・・・

Part1 ハーグ派に導かれて
展示は2部構成。ゴッホが影響をハーグ派と印象派に分けての展示である。
ゴッホというとアルル以降の印象が強いと思うが、ハーグ時代の絵はまるで違う。
スタートは、暗く重い色調で、テーマも農民など。
「永遠の入り口にて」、「疲れ果てて」はいずれもうずくまるように座り顔に手をあてている農婦が描かれ、生活に疲れているのか貧しさに絶望しているのか・・・
その他の絵含め描き方は正統的である。

ハーグ派の画家たちの作品が並んでいた。
ゴッホに絵を教えたマウフェ。
「雪の中の羊飼いと羊の群れ」。なんとも寒々しい風景。羊はわりとさらさらっと描かれているような。ゴッホはのちにマウフェと喧嘩別れしたらしい。
友人だったラッパルトとも仲違いしたりと、ゴッホは若い頃からなんとも気むずかしかったようで・・・
ハーグ派の中で気に入ったのは、ヨゼフ・イスラエルス。光の描き方が美しい。マリス兄弟の絵も牧歌的でいいですね。

さて、ゴッホの「ジャガイモを食べる人々」。完成作はオランダで見ているのだが、今回はリトグラフの展示があった。これは油彩の方がいいかも?
ここに描かれた人物が「農婦の頭部」の女性でもあり、とても特徴的。
「ジャガイモの皮を剥くシーン」のモデルは当時一緒に生活していた子連れの娼婦とのこと。この絵は暗い・・・
「器と洋梨のある静物」は色調が暗くまるでじゃがいものような・・・
一番いいなと思ったのは「秋の夕暮れ」だろうか。夕日が美しい。

Part2 印象派に学ぶ
パリに出てきたゴッホが大きな影響を受けたのがモンティセリ。
厚塗りが特徴で、ちょっとやりすぎな感じもあるくらい・・・
が、ゴッホは非常に傾倒していて、なるほど、これが後年のあの塗りになるのかと思った次第。
パリ時代のゴッホの「花瓶の花」は、まさにモンティセリ的だ。
「パリの屋根」。まだまだ色調は鮮やかではなく、落ち着いた絵。

さらにゴッホが影響を受けた印象派の画家の絵が並ぶ。ピサロ、セザンヌ、シスレー、モネ、ルノワール。
一番影響が大きいのはセザンヌ?ピサロ?

続いてアルル時代の絵。
「タンギー爺さんの肖像」。タンギー爺さんを描いた絵は何枚かあるようだが、まだまだ写実絵画だ。
「パイプと麦わら帽子の自画像」。明るくまだ病んだ感じはない。
「麦畑」。麦が美しい。空との対比もよく、これは好き。
「麦畑とポピー」はポピーの赤がアクセント。
「ぼさぼさ頭の娘」。どうした?この髪(笑)。インパクト大。

最後はサン・レミ以降の絵のコーナー。
意外とこの時代の絵、好きなんですね。
「糸杉」。うねりがすごい!
「サン=レミの療養院の庭」。これは好きな作品。意外なほどの明るさが感じられる。
「夕暮れの松の木」。浮世絵的。
「薔薇」。「花咲くアーモンドの木の枝」を思わせる色。いいなあこれ。とっても気に入ってマグネットも買っちゃいました。

新しい切り口のゴッホ展。是非どうぞ。

 

2019/12/29

アサヒ スーパードライ ジャパンスペシャル

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アサヒの冬のギフト限定のビールをゲット。

注いでみると、やや薄めの色。
飲んでみると、スーパードライとは違う香りが・・・
国産のホップ(信州早生)とのことだが、その香りかな?
スーパードライは、我が家ではあまり好みではなく、普段飲まないのだけど、これはまずまず。
スーパードライっぽくピリピリ感はあるけれど、スーパードライよりコクはある感じ。もはやスーパードライではない気も・・・

2019/12/28

国分寺:日本橋亭 国分寺店

昨日は仕事納め。
大掃除を終えて地元で打ち上げ!
昨年も同じ店でしたね。

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瓶ビールで乾杯!
お通しはいかと玉ねぎのサラダ。

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シメサバ、炙りさわら。

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栃尾葱味噌挟み焼。

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じゃがチーズ揚げ。

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いかの漁師焼き。

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鮭のタレかつ。

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豆腐ときのこのステーキ。

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漬け物盛り合わせ。
ビールのあとは日本酒6種。

東京都国分寺市本町2-11-5 矢野ビル 2F

2019/12/26

いつものお店で

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ちょっと早いけれど、日曜日にいつものお店で同居人のお誕生日ディナーを。

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原木椎茸のあえもの。

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さばの棒寿司、チーズ豆腐いくらのせ、からすみ。

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かきの茶碗蒸し。

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氷見ぶりの刺し身。

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サーモンの西京焼。

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海老芋・水菜・あげの煮物。

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海老と銀杏のかき揚げ。

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おそば。

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デザート1。

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デザート2(サービスでいただいたもの)。

お酒はビールのあと日本酒。松尾と春鹿。

今年もどのお料理もおいしかったです。
また来年!

2019/12/25

中山道六十九次歩き(第11回) 大井宿~中井川宿4

(3より続き)

上用水之碑がある上宿休憩所に到着した。

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ここで、先ほど買った栗きんつばを食べて少々休憩する。

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すぐ先に上宿の一里塚跡。塚があるがっこれは昭和9年に復元されたもので昔の3分の1の大きさという。南側の塚はなし。

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脇には明治天皇御鳳輦前駆奉仕蹟碑なるものがあった。
駒場村の青年達が懸命に馬車の先引きを行い小手ノ木坂を通したという。

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さらに石仏群!

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馬頭観音などもあるけれど、双頭一身道祖神を中山道ではじめて見た。
「是よ苗木道」と彫られていたようだ。

そう、ここは苗木城(是非いつか行ってみたい)へと続く苗木道との分岐点なのですね。

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「こでの木坂 左ひだみち」と刻まれた道標があった。

ここで、うっかり階段を見過ごしてしまい、違う方向へ行ってしまい(東からだと間違えないと思う)、慌てて戻る。だいぶ時間が押しているというのに・・・

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ぐんぐん坂を下っていくと、高札?が3枚あった。
このあたりが駒場村の高札場跡である。

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3基の馬頭観音と南無阿弥陀仏碑。正直なところ文字の馬頭様はおもしろくないなあ・・・

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中津川を中津川橋で渡る。
この橋が、広重の晴れの方の中津川のモデルの場所とのことだ。昔の橋は100メートル下流にあったそうだが。

橋を渡って中津川宿に入ってきた。2.2キロもある。
説明板がとてもきれいだ。

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素敵な街並み。

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はざま酒造。
ここの恵那山を是非買わねば!と思ったが、ちらりと中をのぞいたところ大きな瓶しか見えなかったので、駅前のにぎわいプラザでカップ酒3本セットを買うことにする。他の酒造のも入っているし・・・

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枡形の角にうだつのあがる家があった。旧中川家。

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白木屋(横井家)にもうだつが。ここは無料休憩所になっているようだったが、ちょうど閉まるところだった・・・ちょっと中を見てみたかったが・・・中二階に隠し部屋があるってわくわくするよね。

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十八屋、天満屋と続き、川上屋。
ここの栗きんとんも気になる・・・

枡形を右に曲がり、大阪屋を通り過ぎる。

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用水は火災に備えて作られたものだが、明治天皇がきたさいに、馬車が通れるように埋められてしまったという。
これは再現してるのかな?

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うだつの上がる庄屋の家。

森家脇本陣跡にあるのは中山道歴史資料館。

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奥には土蔵(中には展示)と・・・

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上段の間の再現があった。

本当は歴史資料館をじっくり見たかったのだが、いろいろなところで時間をとってしまい、泣く泣くあきらめる。

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マップをいただき、木曽五木などを見て(ここまでは無料)出る。

向かいは本陣跡だ。

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四ツ目川を渡る。
ここからは恵那山がよく見える。

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駆け足で桂小五郎隠れ家跡を見学。
京都に向かう藩主毛利慶親公の行列を待つ間、幕吏の目を逃れて秘かに 「やけ山」に隠れ待機した。

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栗きんとんで有名なすや。
先日職場でいただいたこのお店の栗きんとんは甘みが抑えてあってとても上品だった。

というところで中山道歩きはおしまい。
駅に向かう。

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途中新しいマンホール発見。恵那山と市の花サラサドウダン。

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恵那山もこの日は見納め。

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にぎわいプラザに寄って、予定通りワンカップ3点セットと川上屋の栗きんとんを購入。
最後は結構急ぎ足でなんとか駅到着。

4時49分発のワイドビューしなの19号に乗り松本着6時4分。
ここで駅弁を買い、結構待って、6時40分発のあずさ32号に乗った。
あずさに乗るのは相当久しぶりで、すっかりきれいになり、最新式になっていたことにビックリ!

電車が動き始める頃に夕食タイム。

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安曇野釜めしと井筒ワインの赤ワインをいただく。
釜めしは、合鴨、しめじ、うずら、椎茸、いんげん、ヤマゴボウ、高野豆腐、野沢菜、栗、チェリーがのっている。
おいしい!
松本駅の駅弁、他にもおいしそうなのが結構あったからこれからが楽しみですね。

あずさがちょっと遅れたが、9時過ぎには帰宅。
約33000歩だった。

これから本格的に冬となり、木曽路は厳しいので、春になったらまた中山道歩きを再開します。

その間は別の街道を歩きます。

(完)

マップはこちらを使っています。

2019/12/24

中山道六十九次歩き(第11回) 大井宿~中井川宿3

(2より続き)

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濁川を渡る。流れこむ水が山の赤土を含み濁っていたことによるらしいが、今見ると澄んでいる・・・

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岡瀬澤の永代燈。
うっすらしかわからないが、ひだりあきばみちと刻まれているらしい。静岡の遠州秋葉山に通じる道なんだそう。
28里(112キロ)あるというから、かなり遠いですね。

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社宮司跡。おしゃもじ様などとも言う。
検地で使用した縄や尺杖を祀る。檜の根元には金神と氏神が祀られている。

岡瀬坂を上り、広久手坂の標柱から下る。このあたりも久手・・・湿気が多い土地なんですかね。

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馬頭観音。
三面八臂だが、くっきりお顔が見える。

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坂を下りきったところで、中津川市に入った。

石拾坂を上る途中に那須川焼の説明板があり(はじめて聞いたけれど、今はないんですね)、地蔵を見て、新しいマンホール発見!

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元坂本村の地区のものと思われ、シデコブシとハナノキが描かれている。
坂本地区は手書きの地図が各所にあってなんかうれしい。

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坂を下る。
恵那山は徐々に近づいてくる。

そろそろお昼。ということでちょっと脇道にそれてファミマへ。このあたりはお店がほとんどなく・・・喫茶店はあるようだったが、開いているかどうかわからなかったので、イートインで食事にすることとした。

イートインはテーブルもあって広い。
ミートソース、海老とブロッコリーのサラダで昼食。
トイレもお借りして先を進む。

中山道に戻り、秋葉道との分岐に常夜燈が。

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秋葉大権現、是よりあきはみち、安永5年(1776)と刻まれているものと・・・

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秋葉大権現、享和3年(1803)と刻まれているもの。

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明治天皇御小休所碑があった。篠原家である。
明治天皇だけでなく、和宮も休憩したという。休憩した部屋、厠が残っているとのこと。

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和菓子屋さんの美濃屋。
前回、母がここのお菓子からすみを恵那駅でおみやげに買っていたので、別のお菓子をということで栗きんつばをおやつに買う(栗きんとんは夕方おみやげに買おうということでパス)。

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長連寺薬師堂跡、白木改め番所跡(尾州藩の木曽産出の材木の監視を行った)、茄子川村の高札場跡を通り過ぎる。
ずっと道には白と黄色の小さな石が埋め込まれていてわかりやすい。

坂本観音堂を通り過ぎ、坂をぐんぐん上っていく。

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途中、南無阿弥陀仏碑などたくさんの石造物が並んでいた。
石造物だらけの一日!

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坂本立場跡の先を少し進むと、馬頭観音。やっぱりお顔がくっきり!馬もよく見える。このあたりはこうした馬頭様なんだな・・・

うっかり三ツ家の一里塚跡の石柱を通りすぎてしまい・・・気づくと将監塚のところまで行ってしまった・・・

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仕方なく坂を上って写真を撮りにいく。昭和35,6年頃までは塚が残っていたそうだ。

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将監塚。
慶長18年(1613)から寛永8年(1631)まで二代目美濃代官を務めた岡田将監善同(よしあつ)の墓である。名古屋城築城の際、木曽材持出奉行として駐在していた。

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さらに近づく恵那山だが、なかなか雲がとれない。

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中平弘法堂には観音様と弘法大師が。

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そして、一面六臂の馬頭観音(右)と三面八臂の准胝観音。

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少し雲がとれてきた恵那山。

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指さし道標があった。
「新国道美乃坂本駅ヲ経テ大井町ニ至ル」「旧国道大井町ニ至ル」と刻まれている。

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三面六臂の馬頭観音と如意輪観音。

秋葉常夜燈、高札場跡を通り過ぎ、坂本神社八幡宮の参道へちょっとだけ入ってみる。
松風義校跡、観音様と弘法大師、妙見大菩薩碑などがあった。

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大きな木に絡んでいるこの実はなんだろう?

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街道に戻り先を進むと六地蔵石幢がある。
石柱の六面にお地蔵様が刻まれている。初めて見たなあ。

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嵐讃岐の供養塔。
木曽家の有力武将の一人、嵐讃岐を供養するため、寛永3年(1626)に建立されたものだ。

小石川の立場跡(悲しい恋物語あり。恋しい塚が変じて小石川になったとか)を通り過ぎたところで、新しいマンホール発見!

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おいでん祭りで踊られる風流おどりと市の花のサラサドウダンが描かれている。

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またまた石仏群。

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別のマンホール。市の花サラサドウダンのみのデザイン。

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ついに雲がとれた恵那山!
おそらくこのあたりが2枚あるうちの69次の絵、雨の方の中津川宿を描いた場所・・・らしい。雨の方は世界に数枚しかないとは!!

(4に続く)

マップはこちらを使っています。

2019/12/23

中山道六十九次歩き(第11回) 大井宿~中井川宿2

(1より続き)

たっぷり見学して、ちょっと時間がおしてきたので、先を急ぐ。

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5つ目の枡形の角に本陣跡。戦後の火災でほとんどが焼けてしまったそうだ。

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裏の内城稲荷社には根付石がある。手前のもの。
50キロもの重さの石を根付石に使うとは!

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大井で昼食をとった際和宮が使用したという井戸もあった。水がよかったため、次の中津川宿で使用する水も運んだとか。

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6つ目の枡形の角には延寿院があり、ここが大井宿の江戸方見付だったという。

上横橋を渡ると上り坂(五妙坂)。

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大井城の北の鬼門という毘沙門天をちらっと見学して、またほんのちょっと坂を進むと高札場の再現があった。

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となりに馬頭観音。まだまだある!

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右側にあったのが南無阿弥陀仏碑。
武蔵国の新井長左衛門が、伊勢参りの帰りに母が病にかかり、1か月余りの闘病の末に亡くなったため、その供養に建立したものだそうだ。字がはっきり見えますね。

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明知鉄道の高架をくぐる。ずいぶんと低い。
この鉄道もいつか乗ってみたいものだ。

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山本用水。
安永元年(1772)に東野の山本から阿木川の水を灌漑用水として引いたものだそうだ。

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寺坂の上宿石仏群。

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いろいろあるが、真ん中が馬頭観音、右が痰切地蔵。

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その先にまたもや馬頭観音。
上宿の女講連中で建てたもので、裏には名前が彫られているそうだ。

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階段を上がった先に菅原神社。中央自動車道が作られる際にこの場所にうつってきたそうだ。

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その中央自動車道を越え、ちょっと脇道に入ると旅人の墓がある。
中山道を旅する途中、大井宿で亡くなった人たちを埋葬している。

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街道に戻り少し進むと石塔群がある。
馬頭観音、三界萬霊塔、大乗妙典千部之塔、妙法蓮華経塔、五輪塔と背の高い長石塔がある。3.6メートルもあるそうだ。でかい!大井宿の長国寺和尚が村内安全を祈願し、延宝8年(1680)に建立したもの。

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蓮花寺坂を上がっていき、名古屋の塩問屋が寄進したという明治天皇行在所碑を過ぎた先に関戸一里塚跡。87里目。
塚は大正時代に壊され畑になってしまったという。

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甚平坂石仏群。道路拡張でここに移されたもの。

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虵塚もあった。蛇なんですね。

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根津神社。

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上がっていくと、本殿の後に宝篋印塔がある。これは根津甚平のお墓。
根津甚平は鎌倉幕府に化け鳥退治を命じられ、馬に乗り、犬と鷹を連れ、多くの家臣と背子(せこ)を引き連れて化け鳥を追い、この坂に追い詰めた。しかし馬はここで倒れ、犬と鷹はなおも追い続けたが、犬は日吉(現瑞浪市)で力尽きたため、里人はこの坂に馬と犬を葬ったというお話がある。

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甚平坂公園にはハナノキがあった。すっかり葉が落ちてしまってわからないが、是非紅葉した葉や花も見てみたいものだ。

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そして、この公園からはうっすらと御嶽山が!
もうちょっと晴れていたらきれいに見えたんだろうな~残念だ。

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犬塚(甚平のおともの犬)。

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馬塚(甚平のおともの馬)。

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庚申塔。
岡瀬沢では庚申講がとても盛んで、「庚申待ち」といって、講元の家に集まり青面金剛の掛け軸をかけて、お茶飯と汁、漬物の夕食を食べて夜が明けるまで話をしていたのだそうだ。

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岡瀬沢観音堂の馬頭観音。

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石塔は苔むしていて何が書いてあるかわからない・・・

(3に続く)

マップはこちらを使っています。

2019/12/22

中山道六十九次歩き(第11回) 大井宿~中井川宿1

前々週に続いての中山道歩き。
前回は結構寒かったが(朝には雪が降ったとのことで)、今回は最低気温はそれほど低くなく、最高気温は11~13℃のことだったので、ちょっとだけ薄着(でもしっかり着込んで)でお出かけ。

いつものとおり4時半起きで6時16分ののぞみに乗る。前回は富士山がきれいに見えたが、この日は雲に分厚く覆われ、ほとんど見えなかった。
名古屋で中央線に乗り換え、恵那駅到着は9時9分。

前回、時間がなく、恵那駅まですっ飛ばして歩いてしまったので、長島橋のところまで戻ることにする。
そしてまた、前回は恵那市のマンホールを撮影したかったのだが、急いでいたのとだいぶ暗くなっていたので撮るのを断念した・・・

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ということでまず撮影。
真ん中は市章(太陽と飛翔する鳥。翼は6枚の羽で、合併した6つの市町村を表しているとか)、まわりには市の花ベニドウダンが描かれている。

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そして、長島(おさしま)橋のところまで戻って街道歩きスタート!
観音堂と常夜燈が見える。

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大きな常夜燈は寛政8年(1796)のものだ。

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観音堂の中には阿弥陀如来、弘法大師、三十三観音がある。

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中野村庄屋の家。
和宮降嫁の際、岩村藩代官より強制的に賄役を強要された野井村百姓代熊崎新三郎が庄屋宅に滞在していた代官に斬りつけた。代官による強制的な賦役が慣例となることを恐れて岩村藩相手に裁判に訴えたところ、代官は罷免され、野井村に金二十五両が下付されたのだそうだ。

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この家の壁は浸水防止壁だったそうだ。
道の両側にこのような石があって厚板をはめ、氾濫した川からの浸水を防いだという。

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これは誰の胸像?
と思ったら、古屋慶隆という恵那市出身の政治家で高山本線、太多線、明知線の開設に尽力した人物だそうだ。

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ここで、楽しみにしていた中山道広重美術館に寄る。
他にお客さんもおらず独占状態!
ちょうど「ニッポンのえんぎもの」という企画展をやっており、はじめてみる絵も何点もあって楽しめた。近くにあったら、毎回通っちゃいそうだ。

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駅の方にいったん戻り、五平餅のお店、あまから本店へ。

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1串ずつ注文し、お店の中で食べさせてもらうことにする。
たったこれだけの注文でお茶も出してもらい恐縮する。

今まで食べたことのある五平餅は、平べったい形をしていたのだが、このあたりでは団子型のようだ。
甘辛なタレはくるみとごまが入っていてとてもおいしい。餅も香ばしい。
田楽とか菜っ葉をあえるのに使ってみようかと、おみやげにタレ購入。

街道に復帰。

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大井橋を渡る。欄干には中山道69次の浮世絵がはめこまれている。
向こうに見える煙は王子マテリアの工場。恵那は段ボールの工場が多いそうだ。

橋を渡るといよいよ大井宿だ。
全長710メートルだが、なんと6カ所もの枡形がある。

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白木番所跡(尾張藩の役人が常駐して、木曽の材木流しや木材製品の監視のほか、領内の山林の見回・各村々の木材の伐採申請の検分などを行っていたという)を通り過ぎ、枡形のところに市神神社。

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次の枡形の角には旅館いち川がある。
角にあるため角屋と呼ばれていたそうで、若山牧水や北原白秋も泊まったそうだ。

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ここで大井宿のマンホール発見。広重の雪の大井宿の絵のデザインだ。

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次の枡形の角を曲がると伊藤家跡(現在は岩井家)。
明治天皇大井行在所碑と明治天皇行在所舊址碑が建てられている明治天皇が宿泊された際使用された部屋、風呂場、便所は当時のまま残っているという。

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下問屋場跡(脇本陣の高木家跡でもある)。
大井宿問屋場は本町上(上問屋)とここ(下問屋)の二か所にあった。

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斜め向かいに宿役人の家、さらに少し進むとひし屋資料館がある。
ここは古山家住宅を改修復元して公開しているもの。
古山家は江戸時代中期以降、大井村の庄屋を務めた家柄で、明治以降は郵便取扱役、恵那郡役所掛屋(銀行)に任命され、養蚕研究や俳諧文化の推進にも力を尽くした家柄だそう。現在は別のところにお住まいだとか。

せっかくなので見学していくことにする。200円。

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まず5分ほどのビデオを鑑賞したあと、丁寧な説明を聞きながらお部屋をまわる。
こういう説明はありがたいですね。説明なしで見ていると、へーすごいねで終わってしまうので・・・
部屋を広く使うための工夫や、暑さ寒さをしのぐ工夫、見えないようにする工夫などとてもおもしろい。

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欄間も素敵。

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庭もおもむきがある。
しばってある石は、そこから向こうには入らないようにという目印らしい。

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蔵の一つは展示室になっている。

(2に続く)

マップはこちらを使っています。

2019/12/21

八海山

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新潟みやげにいただいた八海山。

これはまあよく飲む機会があるわけだけど、安定していいですね。
新潟らしく、淡麗辛口で、お料理はなんにでもあうといういいお酒です。

2019/12/20

御代桜醸造 御代櫻 純米カップ

 

中山道歩きで、太田宿の街道沿いにあった御代桜で買ったカップ酒。
パンダの柄がいいな~
このカップは捨てられない!
上野の動物園にパンダがきた記念で作ったらしい。

飲んでみると、わりと辛めですかね。
料理にはあいます。好きなタイプのお酒。

2019/12/19

キリン ブラウマイスター 芳醇プレミアム

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土曜日も居酒屋さんで飲んだブラウマイスターを缶でも飲んでみた。
たまに発売されるのかな。

注いでみると、フツーの黄金色。お店ではもっと濃い色かと思ったけれどそうでもない。
飲んでみると、苦みがぐーっときて持続。
かなり重めなビールで、やっぱりこれ好き。

2019/12/18

国分寺:炭火ダイニングひろ

美術館のはしごをして地元に戻ったあとの夕食。
しょっちゅうこの前は通るのだけど、なぜか入る機会に恵まれなかったお店についに踏み入れる!

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まずはキリンブラウマイスター。
お通しはローストビーフ、もずくとくらげ、鹿肉入りグラタン。このお通しだと結構お値段高そうに思えるけれど、なんと300円台。鹿肉はほろほろだった。

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生ハム入りミックスサラダ。ハーフでも結構なサイズだ。

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焼き鳥のおまかせ5本セット。
白レバー、梅しそささみ。レバーがとろけそう!
ささみも単なるささみよりいいなあ。

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つくね、ねぎま、ハツ。
ハツは柚子胡椒つけるとなおよい。つくねも同様。

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生ゆば刺し。
ゆばいいなあ。

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ワインは、フランスのピノノワールとチリのカベルネ。
ボトルもたくさんあって、はじめからワインでもいいかも?

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牛すじのトマトチーズ焼き、ガーリックトースト。この2つの組み合わせいいぞ。

まだまだ食べたいメニューがたくさんあるので、また行こう!


東京都国分寺市南町3-23-12 山元ビル 1F

2019/12/17

【リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展】

art-45【リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展】 Bunkamuraザ・ミュージアム

続いて渋谷へ。
渋谷は恐ろしいくらいの人出で、なかなか進めない・・・

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リヒテンシュタインの展覧会には2012年も行っていて、ルーベンスの子どもの絵が印象的だった。今回はどんな作品がきているか・・・

第1章:リヒテンシュタイン侯爵家の歴史と貴族の生活
侯爵家の肖像画から。
肖像画というのは、その人を知らないとふーんなるほどと思うだけなのだが・・・
この章でおもしろかったのは、侯爵家が馬の繁殖に力を入れていたということでの馬の絵。妙につるんとしていたり、柄が牛っぽかったり、馬っぽくない感じというのもツボだったが、たてがみが編まれている!昔は編んでいたんだろうか・・・

第2章:宗教画
フォラボスコ「ゴリアテの首を持つダヴィデ」。ダヴィデの首おおきすぎない?
ヤン・ブリューゲル(子)とヘンドリク・ファン・バーレンの「風景の中の聖母子」。当然、風景をブリューゲルが描いてんでしょうね。風景画に限りなく近い。
ルーカス・クラナーハ(父)「イサクの犠牲」。近景に違う人物が描かれているところがおもしろい。
レーニが2枚。この色調が好き。

第3章:神話画・歴史画
ペーテル・パウル・ルーベンスと工房「ペルセウスとアンドロメダ」。ルーベンスらしい劇的な絵。
ヘンドリク・ファン・バーレン「エウロパの略奪」。めずらしく略奪の前の場面を描いているが、後の方にちっちゃく略奪の場面も。よくよく見ないとわからないなあ。
レーニ、ルーベンスなどの原画のカップ、絵皿などもあったが、上品な感じ。

第4章:磁器ー西洋と東洋の出会い
中国、日本の磁器、そして、デルフト、マイセン、ウィーンの窯のもの。
すごいコレクションですね。
中国のもの、日本の有田焼なども、金属装飾の装飾をつけると絢爛豪華になる。ちょっと不思議な感じではあるけれど。

第5章:ウィーンの磁器製作所
さらに磁器は続く・・・
トカゲがちょいグロテスクだったり・・・
ホットチョコレートを飲むために作られたというカップと受け皿はおもしろい。朝ベッドで飲む際にこぼさないようにとのことだけど、カップには穴があいていて???となった。
気に入ったのは、トランプ柄のカップ&ソーサー。これ、欲しい。

第6章:風景画
ヤン・ブリューゲル(父)「市場への道」。小さな作品だが、よくぞ細かく描いたなと。
フェルディナンド・ゲオルグ・ヴァルトミュラー「イシュル近くのヒュッテンエック高原からのハルシュタット湖の眺望」。この人も細かい・・・というよりは緻密で、写実的。
ロイスダール「オランダの河川風景」。好きだなあ。
ここにもまた磁器が並んでいた。

第7章:花の静物画
この章は撮影可。

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いや~華やかだな~
フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラーが2点。これまた細密な描写。
ベターの作品はいずれも鳥が描かれていて、花だけより楽しい。
アントン・デーリング イグナーツ・ヴィルトマンの金地花文ティーセットがまたきらびやかなこと!スフィンクスが怖かったけれど・・・

ゴージャスな展覧会。是非どうぞ。

2019/12/16

【鏑木清方 幻の《築地明石町》特別公開展】

art-44【鏑木清方 幻の《築地明石町》特別公開展】 国立近代美術館

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仕事を終えて、近代美術館へ。
1975年から所在不明となっていた鏑木清方の「築地明石町」及び、「新富町」、「浜町河岸」の3点を収蔵した記念にお披露目、他の清方作品を常設展示の一部屋で公開するもの。

翌日(日曜日)で終了ということもあってか、チケット売り場も長蛇の列・・・
中もそこそこ混雑。

常設展示もささって見つつ、3階の部屋へ。
(4階にも一点あり)

「明治風俗十二ヶ月」。
1~12月の様々な風物を添えた美人画。
清方は美人画を描く画家だけれど、風俗画的な美人画が多く、なかなか興味深いし、単なる美人画より楽しい。
このシリーズは季節感もあっていいですね。

そして、3部作。
「新富町」
新富町は花街。ということで描かれているのは芸者さん。後に描かれているのは関東大震災で消失した新富座だとのこと。
傘の明るい色調がワンポイント。
「浜町河岸」
扇子を口元にあてる仕草がかわいらしい。後に見えるのは火の見櫓。
明るい絵。
そして「築地明石町」
いやー、やっぱりこれが好きかな~
凜とした美しさ。後に帆船?が描かれていてモダンだ。
どれも、よくよく見ると着物の柄もとても細かいのがわかる。

美人画は決して得意ではないのだけれど、鏑木清方は好き。
2022年、大回顧展が開催されるとのことで、楽しみ。

※この展示はすでに終了しています。

 

2019/12/15

新宿御苑:つけ麺大成

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昨日は土曜出勤ぴ。
仕事を終えての昼食。

なんのあてもなく、靖国通りに出るとつけ麺という文字が!
迷わず入店。

どうやらベジポタ系つけ麺のお店の模様。久々かも?

頼んだのは、つけ麺。同居人は辛味つけ麺。
見た目は変わらないので写真はカット。

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濃厚ですね。どろりとしている。味もしっかりついていて、最後まで薄まることはなかった。野菜の甘みも出ていてこれ好きだな~

具はチャーシュー(もうちょっと薄くてもいいけど)、メンマ、ねぎ、水菜。
麺の上に海苔。
最後に柚子が出てきた。底に沈んでいたのかな?
麺はもちろんかなり太め。

油そばも食べてみたいな。

東京都新宿区富久町16-10 ニューライフ新宿参番館 1F

 

2019/12/14

アサヒ クリアアサヒ 吟醸

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クリアアサヒの派生品。

山田錦使用?
お米が使用されていてることから、吟醸という名前なんだろうか・・・
お米は磨いているのだろうか?

注いでみると、やや薄めの色。
飲んでみると、まあなんとなくわかるかな、吟醸というのが。すっきりとした味。
まあ、やっぱりコクはないけれど。

2019/12/13

三鷹:アントゥーカ

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先週土曜日。
結婚記念日ディナーで三鷹のフレンチのお店へ。
去年も行ったお店。

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ワインはボルドーの赤を。
なかなかに濃くてよい。

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アミューズは、フォアグラのマッシュルームムース。
フォアグラの味がきいている。

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前菜。私のウフ・アンムレット~こだわり卵の赤ワインソース~
卵が揚げてあるんですね。

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同居人の秋鮭の軽いスモーク 青柚子の香り。

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メインは骨付き仔羊のペルシャードとベックオフ。
仔羊おいしいなあ。ベックオフはアルザスのお料理なんですね。

 

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デザートはアップルパイ。紅茶。
いつもりんご系食べてる気がするけれど、好きだからいいのだ。

また来年も是非!

東京都武蔵野市中町1-10-1 國島ビル1F

2019/12/12

「ビブリア古書堂の事件手帖」

本日の映画


movie-18「ビブリア古書堂の事件手帖」 2018年日


DIR:三島有紀子
CAST:黒木華、野村周平、成田凌、東出昌大、夏帆
STORY:鎌倉の古書店ビブリア古書堂を訪れた五浦大輔。亡くなった祖母の遺品の「それから」のサインの真偽を確かめるためだったが、人見知りだが本の話になると急によどみなくしゃべり始める若き女性店主の栞子に驚く。この店で働くことになった大輔は自分の人生におおきくかかわる事実を知ることに。

☆☆☆ベストセラーの映画化。

三上延原作のベストセラー。
このシリーズは大好きで7巻目まで読んでいるのだが(その後を描いた作品はまだ読んでいないが)、自分なりのイメージができあがっているせいか、テレビシリーズは全然なじめず、第1話を見ただけで、見るのをやめてしまった。

ということで、不安もあったのだが・・・

予想よりよかった!

特に、黒木華は栞子さんにぴったりで、テレビシリーズでえ?と思っていた身としては安心したというか(笑)
超人見知りなのに、本のことになると、急にスイッチが入ったようにしゃべりはじめ、するどい推理を発揮する・・・という役にはまっていましたね。見た目を寄せてるだけでなく、演技力ということでしょう。

他の配役もよくて、まあまあイメージ通り。
原作とだいぶ違うところもあるのだけれど、それはまあいいかと。

ちょっと残念だったのは、犯人がこれじゃあ原作読んでなくともわかっちゃうんじゃないかといういこと。怪しすぎますもん。
また、過去の恋愛物語(このパートはなかなかいいです)と現在の物語がもうちょっとうまく絡んでいたらなあというところはあるけれど、まずまず満足の映画だった。

2019/12/11

中山道六十九次歩き(第10回) 細久手宿~大湫宿~大井宿4

(3より続き)

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黒すくも坂を上がり、馬茶屋跡、うばが茶屋跡を通り過ぎ、紅坂のところにぼたん岩。うーん、ぼたんに見えるような見えないような・・・

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うばヶ出茶屋の先に紅坂一里塚(89里)。
これもまた両塚が残る。北塚は2.2メートル、南塚は3.2メートルだそうだ。

びやいと茶屋跡(「枇杷湯糖」。枇杷の葉に薬草を加えて煎じたものをこの茶屋で売ったという)、平六茶屋跡を過ぎる。いやはや、ホントに茶屋が多いなあ。

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平六坂の先に妻の神。小さな祠がある。
道祖神の一種で夫婦和合、子宝の神などで塞ノ神とも言われる。

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かくれ神坂を下ると急にひらけた。
遠くに山並みも見える。

ここに集落があるが、舗装が黄色っぽくなっていてわかりやすい。

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殿様街道跡の標柱。
ここから武並駅に下るという手もあったが、やはり恵那駅まで行くことに。

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竹折高札場跡。

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うつ木原坂を下り(ウツギが多く自生していたことから命名)、みだれ橋でみだれ川を渡る。石も流れる急流であり、飛脚たちが出資して宝暦年間(1751-63)に長さ7.2m、幅2.2mの土橋を架け、「乱れ橋」 または 「祝橋」 といい、荷物を積んだ馬(荷駄)1頭につき2文づつ銭を徴収する有料橋のときもあったという。

ここからはみだれ坂。
この坂はとても急なため、旅人の息が乱れたり、大名行列が乱れたりしたことから、この名が付いたらしい。
石畳がちょっとだけあった。

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首なし地蔵跡。
二人連れの中間が道中、地蔵前で昼寝をしていたが、一人が眼を覚ますと仲間の首がない。怒った中間が 「仲間が襲われたのに黙ってみているとは何事」 と地蔵の首を刀で斬り落としてしまったという。

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下座切場跡(前の切場跡と同じですね)の先に子持ち松。

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姫御殿跡。
周囲の展望が良いので中山道を通る旅人にとっては、かっこうの休息地だったためお姫様行列の時などには仮御殿を建てて休息をすることが多くあったとのことだ。

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今はそれほど眺望はよくないが・・・

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祝坂を下ると馬頭観音。まだまだある(笑)。

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槙が根追分には大きな道標がある。下街道との分岐だ。名古屋を経て、伊勢へ行く道。昔はにぎわったという。
この道標には鳥居が描かれ、「右西京大坂 左伊勢名古屋 道」と彫られている。
伊勢に行けない人は、ここで手をあわせ、遙拝したそうである。

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が根立場跡。
茶屋が昔は9軒もあったそうだ。

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茶屋松本屋跡、茶屋槙本屋跡の先に西行の森桜百選の園。
春は桜がきれいなんでしょうね。

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七本松原の標柱の先に槙ヶ根一里塚(88里)。ここも両塚が残っている。

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下っていった先に西行塚(五輪塔)。
西行は諸国行脚の途中、この地に竹林庵を結び3年暮らした言われ、自分の死期を悟った西行は自分が死んだら遺骸をここに埋葬するよう頼み、建久9年(1198)2月に亡くなると村人たちはここに埋葬して五輪塔を建てたという。

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そして、東屋からは恵那山!
ちょっと雲がかかっているが、雪をうっすらかぶって美しい。

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西行坂を下っていくと、最後の馬頭観音があったのだが・・・
写真がぶれぶれ・・・

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そして十三峠の東入口にたどりついた。
いやはや、十三峠(におまけが7つ)とはよく言ったもので、アップダウンを繰り返す道のりだった。
が、これは西から東に歩く方が圧倒的に楽だと思う。

だいぶ時間が迫ってきたので先を急ぐ。

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中央自動車道をくぐり、中山道踏切を渡る。
正面に恵那山が見える道を進む。

時間がないので神明神社はとばし、西行硯水。

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西行句碑、奚花坊句碑など。

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西行がここの池で墨をすったというが、今は水はない。

途中まで中山道を歩いたが、ゆっくり見ていると時間がなくなるので、ショートカットして、恵那駅に向かった。

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すっかり暗くなったところで駅到着。
電車まで若干余裕があったのでkioskでおみやげのお酒を買う。

5時すぎの中央本線に乗り、名古屋へ。

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新幹線の時間まで1時間ちょっとあったので、イタリアンのお店で食事(と、赤ワイン)。
ラスパドゥーチーズのピザ(ビアンコ)と、名古屋コーチン卵と熟成ベーコンのカルボナーラ。おいしくいただく。

いつもの、7時26分のひかりに乗り、東京着9時10分。
帰宅は10時半前だった。

約40500歩。
いやはや、恵那駅まで歩けてよかった・・・

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おみやげの日本酒。

(完)

マップはこちらを使っています。

2019/12/10

中山道六十九次歩き(第10回) 細久手宿~大湫宿~大井宿3

(2より続き)

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旧旅籠三浦屋。

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本陣跡は、旧大湫小学校(昨年取り壊されたらしい)のところにあったそうだ。

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脇には皇女和宮御歌碑がある。
「遠ざかる 都と知れば 旅衣 一夜の宿も たちうかりけり」
「思いきや 雲井の袂 ぬぎかえて うき旅衣 袖しぼるとは」

宗昌寺に寄る。

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六地蔵尊と鐘楼。

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ここからも大湫宿がよく見える。

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さて、十三峠の入り口である。

ほどなく、山道に。

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童子ヶ根碑。ヶ根というのは尾根筋を意味するとのこと。

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山之神坂。

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八丁坂(しゃれこ坂)には観音碑がある。

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またまた石灰帯を通り過ぎて、尻冷やし地蔵があった。
清水で尻を冷やしているように見えることから呼ばれたものだそうだ。

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阿波屋の茶屋跡のところに、観音石窟があり、なんと!三十三体もの馬頭観音がおさめられている。

曽根松坂の先に、なんとゴルフ場が!中山道はゴルフ場を横切るのである。

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びあいと坂を上り、巡礼水。昔、旅の母娘の巡礼がここで病気になったが、念仏によって水が湧き出して命が助かったと伝えられている。今は水がないようだ。

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馬頭様もいる。

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たびたびゴルフ場のカート道を渡る。

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と現れたのが権現山一里塚(90里)である。ここもまた左右現存している。

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樫ノ木坂は石畳。87メートル続く。

三回目の石灰帯を通り過ぎ、吾郎坂、炭焼立場跡。
わき水を利用した立場があったという。
鞍骨坂を登って、権現坂を下る。

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観音堂には弘法大師像があった。

灰くべ餅(ってどんな餅かな?)の出茶屋跡を通り過ぎ、西国四国秩父坂東供養塔があった。

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その先に観音坂の馬頭様。
ずきんをかぶっているので馬は見えなかったが・・・

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大久後の向茶屋跡(茶屋やら立場が多いな)を過ぎて、中山道の石碑。
ここが瑞浪市と恵那市の境だ。

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下座切場跡の標柱。
中山道を行く役人を地元の代官が裃をつけて土下座して迎えた場所だそうだ。

茶屋坂の先にばばが茶屋跡。
ここはみちじろ峠で、道は下っていく(みちじろ坂)。

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さらに西坂を下ると急に開ける。

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深萱立場である。
当初の計画ではここから武並駅に出て帰ることにしていたのだが、案外いいペースで歩いてこられたので、若干ペースをあげて恵那まで歩くことにする。

山形屋(祖先は代官)跡、本陣跡(加納家)を通り過ぎる。

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高札場(藤村高札)の復元。

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お隣には庚申塔、馬頭観音。

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うっかりよごれ茶屋(なんたる名前!)跡の標柱は通り過ぎてしまい、廿二夜塔と佐倉宗五郎大明神のある稲荷神社。
元禄の頃岩村藩で農民騒動が起きそうになったとき、竹折村庄屋田中与一郎が将軍に直訴して農民を救ったがその罪で斬首となった。その行動が佐倉藩の佐倉宗五郎に似ていることから祀られているという。

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嘉永7年(1854)の三社灯籠。

(4へ続く)

マップはこちらを使っています。

2019/12/09

中山道六十九次歩き(第10回) 細久手宿~大湫宿~大井宿2

(1より続き)

その先に二つ岩。

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烏帽子岩。

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母衣岩。前回もあったが、大きな岩だ。

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すぐ先の東屋の前にまたまた馬頭観音。
暖かければここで昼食を思っていたが、寒くて断念する。

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さらに馬頭観音。小坂の馬頭様である。

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紅葉洞の石橋を通り過ぎ、いよいよ大湫宿に入ってきた。

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復元した高札場。

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観音堂へと登っていく。

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いろいろな石造物がある。芭蕉の句碑があるが読めず。

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観音堂の中の天井絵が有名らしいが、撮影は難しかった・・・

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ここからは大湫宿を見渡すことができる。

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街並み。

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山車庫。

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神明神社の大杉は立派だ。
大湫宿に過ぎたるもの2つと言われたのは、この杉と観音様だったようだ。

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十分立派な杉だけれど、雷が2回落ちてちょっと縮んでしまったらしい。現在の高さは40メートルだそうだ。

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この宿も屋号札がかかる。

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脇本陣。

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向かいの家には虫籠窓。

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問屋場跡、白山神社を通り過ぎた先に和宮人形。

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コミュニティセンター到着。
事前に観光協会に問い合わせたところ、ここのロビーで飲食可ということだったので、入らせてもらう。

ご親切に、ストーブをつけていただいたので、暖かくてうれしい。

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お昼を食べたあとは向かいの丸森邸を見学する。

梅茶をごちそうになった。
こういうおもてなし、嬉しいですね。

(3へ続く)

マップはこちらを使っています。

2019/12/08

中山道六十九次歩き(第10回) 細久手宿~大湫宿~大井宿1

3週間ぶりの中山道歩き。
天気がなかなか定まらず・・・
前日雪かもという予報だったが、そんなには降らないだろうと行くことにした。ところが、当日も歩き始める頃にみぞれか雨の予報に変わり・・・
まあでも行くべし!ということになった。

いつもの通り4時半起きで真っ暗な中出発。
6時16分ののぞみで名古屋へ。

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富士山はだいぶ白くなっていた。

名古屋で中央本線に乗り換え、瑞浪駅到着8時54分。
暖かいお茶などを買って、小雨の中、前回同様予約していたタクシーに乗り込む。

運転手さんによると、細久手は高いところだからもしかして雪かもということだったが、細久手バス停に到着した時には、雪ではなく、雨もほぼやみかけていた。

9時半スタート。

まずは三国見晴らし台と馬頭様の標柱。
全然見晴らしはよくないが・・・

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奥に馬頭様。馬がくっきり見える。
この日もたくさんの馬頭観音を見ることになった。

やがて奥之田一里塚が見えてきた。

両方とも現存していて、結構おおきい。高さ4メートル、直径12メートルだそうだ。

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まわりをぐるっとまわることができる。

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南塚から北塚を見たところ。

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続いて、女男松の跡の標柱。
かつてこの場所に根元で二つに枝分かれした女男松と呼ばれる松があり、夫婦円満・子授けに御利益ありといわれていたものの、昭和初期に枯れてしまったらしい。

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南垣外ハナノキ自生地の標柱。
春には真っ赤な花が咲き、秋はカエデのような葉が紅葉するとのことだったが、どの木がわからず・・・どうやら、500メートルくらい中に入ったあたりらしい。どんな木なんだろう?

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弁財天の池が見えてきた。

太田南畝(蜀山人)が著した『壬戌紀行』に「左の方に小さき池あり。杜若生ひ茂れり。池の中に弁財天の宮あり」 とあるそうだ。

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中之島の祠には八臂の立像が。弁財天ではない??

天神坂を登っていき、その後また道は下る。

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今回も熊出没注意の看板!
慌ててカウベルをつける。

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焼坂の馬頭様(1807年)。顔がちょっとキュビズム的?
いやはや前回もだが今回も馬頭観音だらけ。瑞浪市の中山道沿いには実に12もあるらしい。

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天神前のバス停脇に、天神辻の地蔵。
ここで、車に乗った女性から話しかけられ、大湫宿に行くなら丸森に是非よってお茶の接待を受けて下さいねとのこと(もちろん、寄るつもり!)。

一つ屋茶屋跡(一軒の茶屋があった)を通り過ぎた先で、犬がワンワン吠えると思ったら・・・

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国際犬訓練所なるものがあった。
時間があったら見学したかったところだ。

道はまた登っていく(北野坂)。

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あったのは廻国塔。
通り沿いに標柱があって見当たらないと思ったら、林の奥にあった!
全国66ヶ国巡礼達成の祈念碑である(1777年)。

道はゆるゆると下る(八瀬坂)。
コケコッコー、コケコッコーと盛んに鶏がないている。声、でかい(笑)。
この日2カ所めの養鶏場だ。

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いい風景の中を進む。

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句が三首刻まれた琵琶峠西上り口碑のところから、県道とわかれ、山道へと入っていく。

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なにかいろいろなオブジェが置かれているところで、お饅頭休憩。

ストックを組み立て、山道へ入っていく。

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前回も見た石灰帯が現れた。

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ほどなく石畳が。730メートルもの石畳だそうだが、意外と歩きやすい。

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いったん舗装道路でさえぎられるが、石畳は続く。

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と出てきてたのが八瀬沢一里塚。ここもまた両塚とも現存。

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少し登ると琵琶峠到着。標高538メートル。美濃の最高地点。

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峠には馬頭観音が。かわいらしい観音様だ。

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そこからは下り(上りの距離の方が若干多かった)、琵琶峠東上り口へ。
そこにもしっかり、馬頭観音があった。

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そして、なぜか、福沢諭吉の心訓があった・・・

(2へ続く)

マップはこちらを使っています。

2019/12/07

シャトー・オー・グラヴリ

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ボルドーの赤ワイン。

結構見た目は濃そうな感じはしたけれど・・・
それほどでもなかった。

カベルネ・ソーヴィニヨンとメルローとのことだがメルローがかなり多めなのかな。
とても飲みやすいワイン。

安いワインとしては結構いいですね。

2019/12/06

「オーケストラ!」

本日の映画


movie-19「オーケストラ!」  LE CONCERT   2009年仏



DIR:ラデュ・ミヘイレアニュ
CAST:アレクセイ・グシュコフ、メラニー・ロラン、フランソワ・ベルレアン、ミュウ=ミュウ
STORY:かつて天才指揮者としてボリショイ交響楽団をひきいていたアンドレイは、共産主義の時代に、ユダヤ系の演奏家をかばったことから回顧され、今は清掃作業員として働いていた。ある日、パリの劇場からの演奏依頼のファックスを手にしたアンドレイはかつての仲間を集めて偽の楽団を結成、パリへ行くが・・・


☆☆☆☆コメディドラマ。

コメディだと思って見始めたのだが、いやいや、最後は感動的なドラマになっていた。

確かに終盤に至るまではコメディ的展開なのだけど、ちょっと中途半端感、というかなんか泥臭いのだ。

が、アンドレイとバイオリニストのアンヌ=マリーとの話が展開しはじめると、物語は動き、ラストのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の演奏場面が感動的なものに・・・
いや、泣けるな~

終盤までのコメディ的展開とラストが違いすぎる気もするのだが・・・
いやだからこそ感動が高まるのかも??

アンヌ・マリー演じるメラニー・ロラン、ヴァイオリンを猛特訓して、実際にひいているそうで。「イングロリアス・バスターズ」でもきれいな人だなあと思ったが、この映画でも際だってましたね。
そして、育ての親を演じたのが、ミュウ=ミュウだったのか!全然わからなかった・・・

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を通しで聴きたくなりました。

 

2019/12/05

バルデペーニャス レゼルバ

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酒のパスポートで安く売っていたので買ったスペインの赤ワイン。
値段につられて買ったので、よくよく見ていなかったのだけど・・・
なんと2007年のもの。

あんまり年数がたっていると、結構ヤバイこともあって心配になったのだが・・・

注いでみると、紫というよりは茶色っぽい色でますます不安になるが・・・
飲んでみると案外劣化はしていない。
ただし、なんかねっとりした感じ?
もはや、テンプラニーリョって言われてもわからないけれど、まあまあでした。

2019/12/03

D・M・ディヴァイン『そして医師も死す』

本日の本

 

book-14 『そして医師も死す』 D・M・ディヴァイン著 創元推理文庫

STORY:医師アランの診療所の共同経営者が不慮の事故で亡くなった。殺人ではないかと告げられ、死の真相を探ろうとするが・・・

☆☆☆著者の長編第2作。

ディヴァインは一時マイブームでいろいろと読んだが、まだ未読のものがいくつかある。

突如、古い感じの本格ミステリが読みたくなり、手にとった。

事故と思われていた男の死が殺人らしいと聞いて、独自に調査を開始する主人公だが、次第に不利な状況に追い込まれ・・・
地方の狭い人間関係の中で、あっという間に噂がたって、絶体絶命に・・・・

はじめのうちはちょっとイライラする展開。
少し間延びしてるかな~

しかし、最後になってこの死がそういうことだったのだということわかって、急展開。
こういうオチは、何度も読んだことがあるのだけれど、すっかり瞞されましたね。

犯人は、勝手にコイツ怪しいと思っていて、実際そうだったわけだけど(笑)、なるほど、だからこの人が犯人ということか!と納得。
やっぱり、うまいな、ディヴァイン。

1962年の作品で、ちょっと古めかしいつくりのミステリだけれど、時々こういうの読みたくなりますね。

まだ未読の作品があるから読もう。

 

2019/12/02

サントリー ザ・プレミアム・モルツ 香るエール 2019 初摘みホップヌーヴォー

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前日はフツーのプレモル初摘みホップヌーヴォーを飲んだが、続いては香るエールの方を飲んでみた。

注いでみると、やはりやや薄めの色。
飲んでみると、うーん、前日のより、香りがやはり高めかな?
そもそも香るエールはいい香りですからね。
香りはあるけれど、飲み口はフツーのより軽やかというか爽やかというか。

あ、でもこれも好きですね。

2019/12/01

サントリー ザ・プレミアム・モルツ 2019 初摘みホップヌーヴォー

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毎年発売されているプレモルの季節限定品。
今年の缶のデザイン・・・特に裏のデザインいいなあ。

注いでみると、やや薄めの色。
飲んでみると、香りはさすが!いいですね。
苦みもしっかりあるけれど、去年までより抑えめかな?

でもこれは毎年楽しみ。

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