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2020/01/19

京街道歩き(第1回) 髭茶屋追分~淀宿1

本年初の街道歩き。
中山道の続きを歩きたいところではあるが、馬籠のあたりは今年は雪はそれほど降っていないにしてもかなり寒そうなので、冬の間はお休みして、別の街道を歩くことに。

選んだのは京街道。
東海道五十三次は完歩したが、その延長、東海道五十七次まで歩こうという計画。

やはり4時半起きで、いつもの新幹線に乗る。
神奈川ではきれいに見えた富士山(すっかり雪を被っている)も、静岡に入った頃には厚い雲に覆われて見えなくなっていた・・・残念。

京都には8時26分着。東海道線に乗り換え、山科で京阪に乗り換えて、追分駅到着は8時55分前。

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階段をのぼって東海道へ、まもなく懐かしい髭茶屋追分に出た。
修理された蓮如上人塚と追分道標がある。
ここから、京街道スタート!
(本来は、大阪からが京街道、京都からは大阪街道というらしい。)

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すぐに地蔵堂があり、中にはカラフルなお地蔵さんが!

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お隣に、頌徳碑があったが、筍組合のもの。昔は山科のあたりは筍農家がたくさんあったらしい。

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道は下って行く。

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大きな常夜燈と道標がある。「左 宇治 右伏見」と彫られている方はくっきり見えるのだけど、もう一つの方は、「左 船岡山」、右は何だろう?ちょっと読めなかった・・・

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少し先に「牛尾山道」の道標。
ここを進むと、牛尾山法厳寺にたどり着く。清水寺の奥の院なのだそうだ。

国道1号線を地下道で渡り、また牛尾山道の道標があったがよく読めない。

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再び地下道で国道1号線を渡ると、「ひだりおゝつみち みぎうじみち」と彫られた道標があった。

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ちょっと小高いところに木の切り株と「皇塚」と彫られた碑がある。
かつてこの地には円墳があり、桓武天皇の墓所とも言われ、大塚という地名の由来になったそうだ。

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妙見宮碑を通りすぎ、だいぶ歩くと岩屋神社の鳥居がある。
奥の院に陰陽2つの巨大な岩が祀られているとのことで、ちょっと見てみたかったけれど、さすがに時間がないのであきらめる。

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大きなケヤキの向こうに、岩屋神社御旅所。

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すぐ先に大宅一里塚跡がある。切り株になってしまっているが、京都で唯一残っている一里塚だそうである。

名神高速をくぐってちょっと寄り道。

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大宅中学校の中にある大宅廃寺跡の標柱を見にいく。
白鳳時代の寺の跡で、藤原鎌足が建立した山階寺であるという説もあるそうだ。

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さらに足をのばして歓喜光寺へ。この場所には1975年に移転してきている。

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本堂は淀君が現世と来世を幸せに過ごせるよう祈願して桃山時代に建立されたものとのことだが、印象的だったのは、無数の地蔵が並んでいることだ。

山科署のところから、細い道へと入る。

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この日はロウバイがあちらこちらで咲いていた。

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愛宕常夜燈を通り過ぎて進み、右折するとしめ縄がかかった大きなもみの木があった。

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オジカソースの工場。
手に入れたいと思い、歩き終わりの淀駅にあるスーパーで見たがなく・・・この近くのスーパーだったらあったのだろうか。

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山科川を勧修寺橋で渡る。

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川にはカワセミも!

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3つの道標と愛宕常夜燈を見て、勧修寺へ。

(2へ続く)

マップはこちらを使っています。

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