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2020/01/20

京街道歩き(第1回) 髭茶屋追分~淀宿2

(1より続き)

勧修寺は醍醐天皇の母藤原胤子を弔うために創建された(元々は宇治郡の大領であった宮道弥益の邸宅跡という)。

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塀が長く、なかなか入り口に到着しない・・・

400円の入場料を支払い見学。

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宸殿。江戸時代初期の御所の建物。

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手すりは曲げたのではなく、このまま切り出されたもの。

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勧修寺灯篭(水戸黄門の寄進による)と、その前にハイビャクシン。
一面が一本の木で樹齢750年とか。

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親子孫3代の梅(臥竜の老梅)。
親の樹齢は300年でもう枯れてしまっており、子も花はちょっとしかついていない?孫の木はたくさん咲きそうだ。

本堂は台風で壊れたのか、修理中であった。

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四国八十八ヵ所巡りもやってみる。

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88の霊石が埋められていて一周する八十八カ所巡りができるというわけ。

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氷室池はぐるっと一周できるのだが、「この先行かれるのは自由ですが大いに危険」と書いてあったので、ちょっとだけ踏み込んで、不動明王(左右は何かな?)を撮影して戻る。

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池にはマガモや鷺がいるが、ちょっと寂しい。蓮が咲く季節はいいでしょうね。

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観音堂。

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出口に向かう途中にあったのは山桃の木(樹齢350年)だが、雷が落ちて2つに裂けてしまっている!

さらに寄り道。
明智光秀の胴塚を見にいく。

なんかぼーっと歩いて通り過ぎてしまい、慌てて戻る。逆方向からくればすぐにわかったかもしれないのだが、ちょっと見えづらいところにあるんですね。

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東海道を歩いた際には首塚も見ているが、こちらは胴塚である。

さて、街道まで戻ってきた。
墨染のあたりまで行ってから昼食ということも考えたけれど、すでに11時半。このあたりで昼食にしておいた方がよいと判断。御寿司やさんに入る(一休寿し)。結果的にはこれでよかったのだ。入ろうと考えていた墨染のうどんやさんは臨時休業だったので・・・早め早めに食事すべし!である。

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頼んだのは握りの梅。
うっかり、一つ(いか)を食べてしまってから写真の撮り忘れに気づき、慌てて撮影。
当初は、追加でさばのお寿しでも頼もうかと言っていたのだが、シャリもネタも大きく、これで十分だった。

おなかいっぱいになって出発。

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宮道神社。日本武尊と子の稚武王を祀っていて、二所明神とも言う。

道を上っていくとやがて高速道路にぶちあたる。
その下を通る府道を進み、京都南12のトンネルをくぐって向こう側へ。少しだけ旧道が残っている。

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その先に醍醐天皇御母小野陵が。
宮内庁の管轄なんですね。

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きれいに整備されている(この日は植木の手入れをしているところだった)。鳥居がある。

このあと京都南10のトンネルをくぐってまた南側に出るはずだったのだが、見落としてしまい・・・
結局9のトンネルまできてしまった。まあいいか。

その先で旧道に入り、また府道に合流し、筆ヶ坂を上っていく。
どこで曲がったらいいの?と一瞬考えたが、マップに地蔵マークがある!これがいい目印になる。

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この日はたくさん地蔵を見たが、結構着色したタイプが多く楽しい。
虫籠窓の古い家もある。

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途中民家の軒先にベンチが置いてあり、休憩にどうぞとあったので、素直に?休憩。跨線橋で線路を越えようとしたら、ちょうど奈良線がやってきた。

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藤森駅の前で右折、藤森神社に寄る。菖蒲の節句発祥の地の石柱があった。鳥居は石造りだ。鳥居には額がないのだが、前は後水尾天皇の筆による額が掲げられていたが、西国大名の参勤交代の道筋で、神社前を通る時、駕籠を下りて拝礼しなければいけなかった。幕末の動乱時代、悠長なことは時代にそぐわないと、近藤勇が外したといわれているそうだ。

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蒙古塚。昔は七つの塚があり、七つ塚と言われており、蒙古の戦利の蒙古の大将の首を納めた。

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拝殿。

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本殿は足利義教公が造営したと言われる。重文。

(3へ続く)

マップはこちらを使っています。

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