京街道歩き(第2回) 淀宿~枚方宿1
京街道歩き2回目。
直前まで京都の天気は晴れ一時雪と出ていたし、気温も低そうなので大丈夫かなとは思ったが、雪マークは消えたので出かけることにした。
いつもの通り4時半起きで、6時16分ののぞみに乗る。
朝ご飯を食べて寝る。

はっと気づいて外を見ると雪!関ヶ原は雪景色だった。寒そうな景色だ。
関ヶ原を過ぎると雪はなくなり、京都に着いた時は少し日も差していた。
近鉄に乗り換え、さらに丹波橋で京阪に乗り換え、前回の終わり、淀駅着9時3分。歩き始める。曇っていて寒い。

駅前には水車のモニュメントがある。
徳川秀忠は、元和5年(1619)伏見城の廃城に伴い、寛永2年(1625)松平定綱に命じて淀城を築城。周囲に二重三重の濠を廻らし、直径8mもある水車が城の西南と北の二か所に取り付けられていたそうである。

高架下に三宅安兵衛(京都の呉服商として一代をなした人物)が建てた道標がある。東一口(いもあらい)の安養寺に参詣者を導くための道標だが(写ってない方に書かれていたが)、これいもあらいとは読めないな~
淀三川に囲まれ、出口が西側の一か所で、「一口」という漢字があてられた。入り口に祀られた稲荷が疱瘡を洗う(なおす)ので、「ひとくちのいもあらい」これが「ひとくち=いもあらい」となったという。

與杼神社に寄る。
桂川右岸に水上運輸の守護神が祀られていたものが、河川敷の拡幅工事でここに移転してきている。

拝殿は重要文化財。
稲葉神社。春日局が寄進した稲葉正成を祀る神社。
淀城址公園には石垣が残っている。
一番新しい淀城の石垣である(はじめのは妙教寺のあたりの古城、2番目は秀吉が茶々に与えた城、最後は秀忠が作らせた城)。
「唐人雁木跡碑」、「淀小橋旧址碑」、「淀城故址碑」もあった。街道沿いのはレプリカなのかな?
商店街の和菓子屋さんで、美豆のしずくというお菓子があると聞き、いってみたのだが、なんとお休み・・・残念である。
いよいよ本格的に街道歩きスタート。

駅を越えて右折、少しいった角に大専寺があり、戊辰戦争の東軍戦死者埋骨地碑がある。このあたりは激戦地だったようで、なので淀宿は遺構はほとんど何も残っていないのですね。
そういえば、前回の歩きの最後の方にもこうした碑があったっけ。
道はさらに数度曲がる。枡形になっている。

孫橋を渡り淀宿を出る。渡って川沿いに歩くとお寺が3つあり、その真ん中のお寺、長円寺に「鳥羽伏見の戦い 幕府軍野戦病院の地碑」や榎本武揚書の「戊辰役東軍戦死者の碑」がある。鳥羽伏見の戦いの時に幕府軍の野戦病院となったところだそうだ。

八幡市の飛び地を通り、宇治川の方に行ってみると、穀物の貯蔵庫である浜納屋があった。

向かいは木田醤油店。
ご近所の方によれば、先代が亡くなられてもう営業はしていないとか。
街道に戻り進む。

ロウバイがまだ咲いている。

またまた寄り道。涼森神社。
菅原道真が太宰府に向かう途中に寄り、鈴を寄進したことからこの名前になった・・・他にも説があるらしいが。

戦国時代には美豆城が築かれたということで、石碑があった。

京阪線の高架、京滋バイパスをくぐり、御幸橋を渡る。

まずは宇治川。

中間地点にさくらであい館があり、展望塔に上ってみた。
ちょうどここは琵琶湖から流れ出る宇治川、三重県から流れ出る木津川、京都府北部から流れ出る桂川が合流し、淀川へと合流する地点なのである。


晴れていたらもっといい景色だっただろう。
あいにくと、少し前から雪が舞い始め、曇ってしまっていた。
ちょっとだけ休憩し、また歩き始める。雪は少し小降りになったようだ(その後も降ったりやんだり、時にあられが降ったり・・・晴れたり曇ったり、不思議なお天気の一日だった)。


続いて木津川を渡る。
(2に続く)
マップはこちらを使っています。
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