日光街道歩き(第1回) 日本橋~千住宿1
街道は、中山道と京街道が途中ではあるが、日光街道歩きも始めてみることにした。
ゆっくり出発。
日本橋より10時半前歩き始める。
懐かしいなあ、日本橋。
東海道の歩きはじめだった。
三越前、三井記念美術館を通り過ぎ、横道に入る。
福徳神社。
徳川家康が江戸入府直後に参詣。慶長19年(1614)家忠も参詣し、「福富とはめでたい神号だ。」と称賛したそう。
算額。ペーパーをもらってきたからやってみなくては!
室町三丁目南交差点で右折。まっすぐ行くと中山道なのだが、ここに戻ってくるのはいつになるやら・・・
小津和紙店の前に、和紙の原料となる木がいろいろと植わっていてた。
於竹大日如来井戸跡。
大伝馬町馬込の下女「お竹」は大日如来の化身で、五代将軍綱吉の母・桂昌院の信仰が篤かったとのことだ。
身延別院にあった、油かけ大黒天神。ぬるぬるしてる感じ。この間、伏見でも油かけ地蔵を見たっけ。
十思公園は、伝馬町牢屋敷跡。
石町(こくちょう)時の鐘。処刑はこの鐘を合図に行われたという。
右から松陰先生終焉之地碑、辞世歌碑、吉田松陰先生瘰癧碑。
大安楽寺は、江戸伝馬町処刑場跡。
刑死者を供養する延命地蔵尊がある。
椙森神社。
平将門の乱を鎮定するために、藤原秀郷が戦勝祈願をした所と云われている。
江戸時代には、江戸城下の三森(烏森神社、柳森神社、椙森神社)の一つに数えられ、江戸庶民の信仰を集め、富籤が行われていたそうだ。
ということで富塚があった。
横山町問屋街を歩く。
衣料品のお店が続く。
外濠歩きをした際にも通った、郡代屋敷跡を通り過ぎ、浅草橋を渡る。
カラフルな船だ。
浅草見附跡。
ここで、ちょっと早いお昼を。浅草に近づくときっとお店が混んでいると思い、目に入った御寿司やさんにて。
銀杏岡八幡神社。
源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中、小高い丘だったこの地に銀杏の枝を差して戦勝祈願し、その帰途、銀杏が繁茂していたため、神恩に感謝し大刀一振を捧げ、康平5年(1062)八幡宮を勧請したのが始まりとのこと。
蔵前の総鎮守、須賀神社を通り過ぎ、第六天榊神社に寄る。
浅草文庫跡碑があり、ここは明治7年創立の官立図書館跡だ。
蔵前1丁目交差点を右折して寄り道。
首尾の松跡。
吉原帰りの客がここで前夜の首尾を語り合ったところという。
が、なぜここで?
向かい側には浅草御蔵跡がある。
この付近に徳川幕府の米蔵があり、蔵前という地名の由来となったという。
楫取(かじとり)神社。
御蔵造営用の石材を運ぶ遠州灘で遭難しかかった時に現れた稲荷を祀る。
蔵前神社。
綱吉公が、江戸城鬼門除けの守護神として山城国(京都)男山の石清水八幡宮を勧請したのが始まり。
眠そうな猫!
歌川国安錦絵「力持」。
蔵前神社で行われた 「力持」 の技芸の奉納を描いたものである。
元犬。
古典落語だそうで、今度聴いてみよう。
阿武松という落語の舞台でもあるそう。
諏訪神社。
諏訪大社の分霊を勧請した。
と、なんだかいろんなキャラクターが!
と思ったらバンダイの本社。楽しいな~
(2へ続く)
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